ようこそ人類、ここは地図。

私たちにおける、素晴らしい座標を

平成家族賛歌。私は家族が大好きです。

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おとうさまが押入れの中で憲法を読み上げていらっしゃるあいだ、 おかあさまはお風呂場で、お皿を千枚割りました。

 

おにいさまがまだ温い食べものを捨てた土の上に、 おねえさまがぴかぴか光る指輪の種を蒔いて育てています。

 

素敵な家族をもう一度、みなさまのお顔をもう一度、 ぜひとも懐かしみたくて、自分の目玉をこしらえようと、わたしは重たい土の下、おはじき集めに必死です。

 

もう何年が過ぎたでしょう。

いったいどちらにあるのでしょう。

朱色のまじったあの丸いやつ。

ぼってり大きな白いやつ。

棺の中の手の中に、従妹がそっと握らせた、 わたしの大事なおはじき袋。

目玉のかわりのガラス玉。

 

どこにも見つからないのです。

どなたも遊んでくれません。

さびしさだけが増えました。

恋しや、わたしの家族さま。

ファンタジーについて。

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ここに記すのはファンタジーについての記録だ。私の人生とそこに出てくる登場人物たちを飲み込んでいるファンタジーについて。その記録。備忘録。不正確かもしれない幾つかの出来事についてのごく個人的な私の感想と意見。分析のための分析。忘れないために幾つかの考えを削除し、いくつかの考えを取り置いて残すこと。

 

ファンタジーとは何か、あなたはご存知だろうか。それは頭の中の避難梯子だ。登る前と、終わりまで登りつめた後では、目に見える世界が確実にすっかり違っている。それがファンタジー。視点を移動するための避難梯子。

私以外の多くの人はその梯子を登る前と、登りきった後、その二種類の景色しか知らないんじゃないだろうか。あるいは梯子の存在自体に無知なまま、せいぜい数メートルかそこらの物理的な目線の上下のうちに一生を終えるのではないだろうか。時々私はそんな風に考える。そしてむしろその方が自然なことだとも思う。

なぜならその梯子には高さというものがないから。方向というものがないから。登り切るまでの時間も体力も必要としないから。

 

梯子はただただ、そこにある。

手を触れることのできない頭の中の暗闇にそっと音もなく立てかけてある。はじめから終わりまで。時々は見えて、時々は見えない。そして、梯子を登る前と登りきった後。ファンタジーはそれらを分け隔て、そして同時に結びつけている。

私が試みようとするのは、ファンタジーそのものについて考えることだ。いや、思い出すと言う方がこの場合正しいのかもしれない。ファンタジーの目的や機能やその結果ではなく、ファンタジーという緩衝地帯のグラデーションをここに記してみること。

 

そう。グラデーション。ひとつひとつの異なる段階。その段階に応じて変わる世界の色味。それらを目に見えるまま、どこまでも丁寧にここに転写していく。

もしもファンタジーという言葉がこれを読むあなたに多少の混乱をもたらすのなら、それを何か別のものに置き換えてもらってもかまわない。雨傘でも、スリッパでも、冷蔵庫の中の野菜ジュースか何かでも。さっきから私が繰り返している避難梯子。それが一番いい例えだと思って持ち出してきたわけだけれど、それでは色気がないというなら、例えなんて何だってかまわない。

私は雨傘について、スリッパについて、冷蔵庫の中の野菜ジュースについて、ここに記録しようとしている。それらは存在することで結果的に2つの世界を生み出し、それ以前とそれ以後とでは世界はまったく違って見える。

やはりこの方がわかりやすいのかもしれない。単純な響き。回りくどくない。ファンタジーなどという曖昧で意味のない単語を持ち出してくるよりも。そう、この世界の多くのものは整理され、名付けられ、わかりやすく並んでいる。どこだってそうだ。「あ」から始まり「ん」で終わる。それが普通で平均で常識なのだ。いちばん効率的だとされるやり方。

しかしわかりやすいもの、単純なもの、すでに形あるものについて、改めて私が記録する必要などない。誰もがすぐに「あれのことか」と頭に浮かぶ事柄をこの手でなぞること。反復すること。確認すること。それらはまったくもって必要がない。悲しいくらい私には必要がないのだ。

 

だからやはり、これは「ファンタジーの記録」でいいのだと思う。あなたは混乱したまま、避難梯子の始まりでもなく、終わりでもない場所から見える眺めを写した私の言葉たちを落ち葉のように拾い集める。おそらくむずかしいことではないと思う。それは私があなたたちの世界を知ったのと、たぶん同じやり方だから。

紙の家

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離縁をするにあたり、いろいろと新しくものを知る機会を得たのが、この若芽どきの収穫と言えば収穫なのでした。

五月雨式に片付けごとは増えてゆくのに、かえってぽかんと頭の中身を動かせないでいるような、そんな時間も多いもので、どんどん自分が底なしに後戻りのできないおばかさんになっていくような、そんなおそろしい予感が兆し、けれどもそれにぜんぜん抗うことができないというのもまた、ままならず苦しい心地だというのをからだで知ったような気がいたします。

そんなふうにして、戸籍、というものをどうするのか、というご相談を区役所の間仕切りの内側でひそひそと交わしたのは、つい先日のことなのでした。

先の男とふたりで作った戸籍というのは家のようなもので、そこから妻を辞めて出ていくだけでは不十分なのだ、と窓口の内藤さんは笑いもせずにおっしゃるのです。

戸籍という家を出たままで、漂流者にはなれません。 もといた親御の戸籍に戻るか、ご自分だけの新しい戸籍を作るか、そのいずれかを選ばなくては。

選ばなくては?

漂流者でなく、迷子です。

迷子のままで生きるには、あなたはすでに古いでしょう。

迷子はもっとぴかぴかと、せめて瞳は新しい。

そう言われると言葉もなくて、わたしは迷子をあきらめます。

親たちが作った紙の家。かつては住んだ親の家。

離縁のしるしをたずさえて、そこへ再び名を連ねるか。 それともひとりで新しく、白紙の家に住まうのか。

どちらも同じく感じが悪く、漂流したくもできぬ不便。

この戸籍制度というものは、 古代より存続する、まじないや呪術のなれの果てだと、どなたでしたか、かしこい方がおっしゃるのを聞いたことがありますが、 何かもっとちょうど良く、どうにかならないものなのか。

かさばる書類をかばんにしまい、とぼとぼメトロで泣きました。

私はちかごろよく泣きます。みちばたや非常階段で、商店街でも泣くのです。

泣く理由ならば困りません。

売るほどたくさんあるのです。

かねてより居座りつづけた居候先もついに追い出され、 もう雨宿りすらできぬこと。

たよりにしていた親切な人が、そろそろ私に飽きはじめたこと。

やがてうつうつとした長雨がこの緑の国を覆うころ、わたしは、古くてさみしい共同便所の木造住居に住まうでしょう。

あたらしい紙の家に自分ひとりの名をしるして。

腐りかけた木の家の黴くさい水を使って、すがるような気持ちで湯を沸かすのでしょう。

家がないのもまた楽し。

そのように思えていたのは、もうずいぶんと昔の話です。

いまはどなたか布団に入れて、膨らんだ綿の輪郭を手のひらで淡く撫でながら、それを仮の住まいだと思いたい。

そんな弱気も起こるのです。

妻をやめることと、ひとりぼっちになること、そして生きる事の心細さ。それらは確かに違うはずなのに、 紙の家を出たあとのおのれの名前の行く先に、ふと立ちすくみ、またぽかん。

どんどん阿呆な女になって、ふとももをつたう汗の玉を、目を閉じて皮膚でしばし追いかけながら、かゆい、とつぶやくせいいっぱい。

そう。

それだけでもう、その日を生きるということが、たしかにせいいっぱいのことなのでした。

めくるめく眩暈世界。わたしは船乗り。

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この二週間ほど、めまいがやまず、まっすぐと歩けない。

いつも船の上にいるようである。

地面が揺れている。

しばしば地震が起きているのかと間違う。

 

居合わせた人に尋ねると、揺れてはいない、と答えが返ってくるので、嗚呼これはわたしの肉体だけに起こっている個人的地震なのであるな、と結論して医者にかかる。

 

目を塞がれて体をぐるぐる転がされたり、仁王立ちになって赤い目印を見続けたり、ヘッドホンを耳にあてがい微細な音波に合わせて指でスイッチを押す、など各種点検をほどこされた末に、突発性難聴か、ストレス性のなんとか、メニエールは違うようだけれど、さあどうだろうか、とりあえずもうすぐお盆なので粉薬を処方します、と医者が言う。

耳鼻科の待合室では子供たちが走り回っている。

 

そうか世間はお盆休み、夏休み、そういう季節であるのだな、と処方箋をひらめかせて夏を感じ、朝晩と粉薬を飲み飲み横になっている。

体を立てようとすると、地面がぐらつく。

ぐらついているのは自分の方なのだけれど、感覚としては逆だから不思議だ。

 

真面目に養生しているものの、一向に回復していかないので、不安な心持ちが時折きざす。

このまま一生涯をひとり船の上で過ごすことになるのだろうか。

磯の香りだにしない栃木県の畳の上で。

扇風機の風に吹かれながら。

 

やけになって外へ飛び出す。

地上に降りるための階段がうまく踏めず、飛び出し損ねる。

 

このままめまいが止まなんだら、いっそ本当に船乗りになってしまおう。

曇天模様の空を見上げながら、そんな事を考える。

訓練はすでに勝手に始まっている。

一歩リードだ。

いまは微塵もない私の中の船乗り願望が現実味を帯びることがあれば、この訓練は無駄ではなかろうと思う。

何も焦ることはない。

僕らが旅に出る理由、オノ・ヨーコという人。その3

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青森に心惹かれた理由の2つ目を考えていたのだけれど、結局理由というのは後付けかもしれない、などという事をふと思う。

 

恐山、下北半島十和田湖、行方不明になっていた八戸のおじさん(野田秀樹の芝居のセリフに出てくる好きなフレーズ)、寺山修司、エトセトラエトセトラ。

 

青森関連でそそられるキーワードはあまた思い浮かぶのだけれど、結局この旅の目玉の目的地として私が選んだ先は、十和田市にある「十和田市現代美術館」なのであった。

 

towadaartcenter.com

 

 

東京から足を運ぶには少し遠い、すごく遠い。

 

そんな風に思いながら、数年ほど浮きつ沈みつするこの美術館への興味を再度手のひらにすくい上げて、転がしてみる。

ネット検索をかけて、この美術館の所蔵作品について調べてみる。

オノ・ヨーコさんの作品が3つ、展示されているという事が初めてわかる。

 

知らなかった。

これは行かねば、と思った。

 

✴︎

私が中学生の時に初めて「オノ・ヨーコ」という人の存在を知った時、まっさきに目を引いたのはジョン・レノンと結婚した日本人女性、という特異な経歴であり、語り草になっている数々のエピソード、そして印象的な長い髪と厄介そうな大きな瞳であった。

好きとも、きらいとも区別しがたい彼女の存在を、厄介そう、と思った私は近寄りがたいものとして、そっと片隅に押しやって、そして忘れた。

 

そうやって何処かになくしたはずのオノ・ヨーコという人を、ひとりのアーティストとして再び捉え直し、はしと向き合うことになったのは、自分が20代になってしばらく。

舞台演出を初めてからのことである。

 

アートが作品として完成するのは、どの地点なのだろうか。

 

舞台作品を作りながら、そんな問いがしばしば私の中によぎった。

脚本を書き上げ、役者にセリフを渡し、音響照明美術の支度をととのえる。

客席が人で埋まり、客電が落ちて、時計の針と共に舞台上のパフォーマンスは始まりから終わりをめがけて真っ直ぐに進んでいく。

 

「舞台はナマモノ」だとはよく言われる。

ではその「ナマモノ」というのは、一体いつまで生きているのだろう。

そして、どこでどのように死ぬのだろう。

 

数ヶ月にわたって稽古をつけた役者の演技の精度をストーカーのように執拗な眼差しでもって見守りながら、私は自分の作品地点がどこにあるのか、どこにもないのか、その解を探していた。

 

オノ・ヨーコさんの作品に『グレープフルーツ・ジュース』という本がある。

 

想像しなさい、という呼びかけで読み手はそこに書かれた内容を、見た事もない景色を頭の中に思い描くよう指示される。

想像しながら、自分の常識や思い込みが柔らかくほどけて、どこでもない場所に立っているような、風が吹き抜けていくような、そんな感覚に陥る。

 

本に書かれた言葉と、それを手にした人と、その人の想像力の働きと、そして像を結んだ不可視の景色と。

それら全部でひとつの作品。

 

書かれた言葉によって、読む人の頭の中で作品が完成する、という仕組み。

本自体はその作品を生み出すスイッチのように機能する。

『グレープフルーツ・ジュース』によってそれを目の当たりにした時、私は私の作品は観客の頭の中で完成するのだ、という結論に辿り着いた。

(そのあと結論は流転して、それは数ある回答のひとつ、という事に今はなっている。けれどあの作品が流転の最初の一押しであったような感触は今も忘れていない)

 

ともあれ、アートは額縁や美術館や劇場という物理的に限られた場所でしか生存を許されない脆弱な貴重品などでは毛頭なくて、それに触れた人の魂に太く根を下ろし、やわらかに野蛮に発芽していくものなのだ。

その美しい仕組みを、作品によって私に教えてくれたのがオノ・ヨーコさんという人なのであった。

 

「ナマモノ」は死なず、花になる。

 

そんなわけで、十和田市現代美術館ではオノ・ヨーコさんの3つの作品を観た。

 

ピカピカ光る電飾やゴムやプラスチックをふんだんに取り入れた現代アート作品が多い中で、生きた林檎の木に紙の短冊を結びつける『念願の木』。

玉石を敷き詰めた『三途の川』、そして実際に鳴らすことのできる『平和の鐘』。

どこか私たちの肉体と地続きの材料でできたそれらの作品は、私たち人類そのものであり、そしてオノ・ヨーコその人であるなぁ、とそんな事を思った。

 

小さな美術館の外に出ると、世界とのつながりが太く大きな夕焼けになって光っていた。