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僕らが旅に出る理由、オノ・ヨーコという人。その3

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青森に心惹かれた理由の2つ目を考えていたのだけれど、結局理由というのは後付けかもしれない、などという事をふと思う。

 

恐山、下北半島十和田湖、行方不明になっていた八戸のおじさん(野田秀樹の芝居のセリフに出てくる好きなフレーズ)、寺山修司、エトセトラエトセトラ。

 

青森関連でそそられるキーワードはあまた思い浮かぶのだけれど、結局この旅の目玉の目的地として私が選んだ先は、十和田市にある「十和田市現代美術館」なのであった。

 

towadaartcenter.com

 

 

東京から足を運ぶには少し遠い、すごく遠い。

 

そんな風に思いながら、数年ほど浮きつ沈みつするこの美術館への興味を再度手のひらにすくい上げて、転がしてみる。

ネット検索をかけて、この美術館の所蔵作品について調べてみる。

オノ・ヨーコさんの作品が3つ、展示されているという事が初めてわかる。

 

知らなかった。

これは行かねば、と思った。

 

✴︎

私が中学生の時に初めて「オノ・ヨーコ」という人の存在を知った時、まっさきに目を引いたのはジョン・レノンと結婚した日本人女性、という特異な経歴であり、語り草になっている数々のエピソード、そして印象的な長い髪と厄介そうな大きな瞳であった。

好きとも、きらいとも区別しがたい彼女の存在を、厄介そう、と思った私は近寄りがたいものとして、そっと片隅に押しやって、そして忘れた。

 

そうやって何処かになくしたはずのオノ・ヨーコという人を、ひとりのアーティストとして再び捉え直し、はしと向き合うことになったのは、自分が20代になってしばらく。

舞台演出を初めてからのことである。

 

アートが作品として完成するのは、どの地点なのだろうか。

 

舞台作品を作りながら、そんな問いがしばしば私の中によぎった。

脚本を書き上げ、役者にセリフを渡し、音響照明美術の支度をととのえる。

客席が人で埋まり、客電が落ちて、時計の針と共に舞台上のパフォーマンスは始まりから終わりをめがけて真っ直ぐに進んでいく。

 

「舞台はナマモノ」だとはよく言われる。

ではその「ナマモノ」というのは、一体いつまで生きているのだろう。

そして、どこでどのように死ぬのだろう。

 

数ヶ月にわたって稽古をつけた役者の演技の精度をストーカーのように執拗な眼差しでもって見守りながら、私は自分の作品地点がどこにあるのか、どこにもないのか、その解を探していた。

 

オノ・ヨーコさんの作品に『グレープフルーツ・ジュース』という本がある。

 

想像しなさい、という呼びかけで読み手はそこに書かれた内容を、見た事もない景色を頭の中に思い描くよう指示される。

想像しながら、自分の常識や思い込みが柔らかくほどけて、どこでもない場所に立っているような、風が吹き抜けていくような、そんな感覚に陥る。

 

本に書かれた言葉と、それを手にした人と、その人の想像力の働きと、そして像を結んだ不可視の景色と。

それら全部でひとつの作品。

 

書かれた言葉によって、読む人の頭の中で作品が完成する、という仕組み。

本自体はその作品を生み出すスイッチのように機能する。

『グレープフルーツ・ジュース』によってそれを目の当たりにした時、私は私の作品は観客の頭の中で完成するのだ、という結論に辿り着いた。

(そのあと結論は流転して、それは数ある回答のひとつ、という事に今はなっている。けれどあの作品が流転の最初の一押しであったような感触は今も忘れていない)

 

ともあれ、アートは額縁や美術館や劇場という物理的に限られた場所でしか生存を許されない脆弱な貴重品などでは毛頭なくて、それに触れた人の魂に太く根を下ろし、やわらかに野蛮に発芽していくものなのだ。

その美しい仕組みを、作品によって私に教えてくれたのがオノ・ヨーコさんという人なのであった。

 

「ナマモノ」は死なず、花になる。

 

そんなわけで、十和田市現代美術館ではオノ・ヨーコさんの3つの作品を観た。

 

ピカピカ光る電飾やゴムやプラスチックをふんだんに取り入れた現代アート作品が多い中で、生きた林檎の木に紙の短冊を結びつける『念願の木』。

玉石を敷き詰めた『三途の川』、そして実際に鳴らすことのできる『平和の鐘』。

どこか私たちの肉体と地続きの材料でできたそれらの作品は、私たち人類そのものであり、そしてオノ・ヨーコその人であるなぁ、とそんな事を思った。

 

小さな美術館の外に出ると、世界とのつながりが太く大きな夕焼けになって光っていた。