ようこそ人類、ここは地図。

私たちにおける、素晴らしい座標を

サンクス!ギビング!不死鳥になるね冬は。

数年ぶりにブログの再開。

 

もう5年近くブログ的な場所で文章を書いていなかったのか、

と不思議な気持ちでこれを書いている。

 

無沙汰も無沙汰。

お里の便りも何とやらである。

 

ここで書いていない期間、私は何をしていたのか。

何をしていなかったのか。

 

改めて振り返ると、SNSなどではそれなりに言葉を書いていた。

色々あって知り合いのSNSの代筆なども引き受けたり。

うん、書いていた。

結構な頻度で書いていた。

でも表現としての文章からは少し離れていたかもしれない。

 

SNSなどにおいて他人様の心情なりお付き合いごとを念頭に置いて書く文章というのはどうしても「社交」であり「宣伝」になってしまい、思うところを言葉にする、というそのシンプルな行為からは遠くかけ離れてしまう。

 

2017年に会社員を辞めて、私は創作活動をメインに生きる、と決めた。

(こうやって文章にして書くと恐ろしい決意だと思う。でも今も何とか生きているんだから、人の生命力ってすごいやねぇ)

 

脱サラしてフリーになったので、さしあたって、とりあえず自分の存在なり活動内容についてネット上で告知や宣伝を、という感じで始めたSNS

 

最初は結構楽しかった。

 

が、

 

だんだんSNSへの投稿自体が何か「発信」という名の表現であるかのように自分自身が思い始めて、しかし実際のところ多目的に人が使っているプラットフォーム上に「表現物」を並べおく行為は、作品を「意見」や「実体験」と誤解されるストレスを生み、私はそのストレスを無意識に回避しようとして、そこに綴る文章を「日記」のような体裁に寄せていくという生ぬるい悪循環を生んだ。

 

反省。

 

SNSをやるにあたって、自分の本意とはあえてピントをずらした、歯切れの悪い(しかし読む人の心情に配慮しているという意味ではとても社会性の高い)文章を日常的に書いていると、生きていても心は死んでいるような、自分で自分を「良識あるしゃかいじん」の鋳型に無理やり押し込んでいるような、窒息しそうな閉塞感に慢性的に苛まれていた。

 

どこかでこの思いを発散しなければと小説を書いてみるも、なんかあんまり発散にはならなかった。むしろ新たなストレスを抱え込んだ。小説はスポーツではないということがわかった。それでもどうしようもなく、SNSでどうにかならないのかと写真や文章を投稿をし続けた。結果どうにもならなかった。続く閉塞感。行き詰まり感。

 

反省。

今だからできる。

反省。

 

そんな思いもあって、今日こうしてブログを再開するまで、何度かブログを書きたいと思い立って、このサイトにアクセスしようとしたけれど、なぜか接続できません、という表示が繰り返され、愛用していたMac bookもかなり古くなってきたせいか、単語を一つ打ち込んで漢字変換しようとするたびにレインボーぐるぐる現象。

待てど暮らせど変換候補から先に進まない。

遅々として、というか永遠に書き進められないよぉこれは...

みたいな感じで頓挫。

 

仕方なくスマホで書ける範囲の、Instagramの写真のキャプションとか、そういうものでお茶を濁して6年経ってしまったのだから時の流れってつくづく激流であることよ。

 

その激流に飲まれるままに歳を重ね、

はっきり言って玉手箱開けたの?ってくらいに

気がつけば年をとっていて最近ほんとうに驚きました。

 

そんなこんなで、私はMacbookのキーボードじゃないと文章のテンポが出ないので、もうMacbookを新調する機会もなさそうだし、このままブログは書かないのかな、と半ば諦めていた2024冬。

 

物価高。

 

カスミを食してこの数年を生きていた私もさすがに生活がきつくなり、近所のカラスを食糧だと考え始める事態に陥る。

小銭でもいい、と知り合いに連絡したところ、在宅アルバイトの話が降って湧いて、デジタル機器の不足について相談すると「おっけ」という軽いLINEの返事があり、たちまち自宅に新しいMacbookproが送られてきた。

 

そして在宅バイトは一瞬でギブ、

しかしパソコンは手元に残った。

 

おや。

 

あら。

 

これはもしかして、ブログ書くチャンス到来なんじゃないの奥さん。

 

というわけで本日。

 

写真とは裏腹に外は雨。

 

家の中で膝の上にMacbookの温もりを感じながら、久しぶりに思うところを書き始めたというわけです。

 

少し書いてみて、

死んでいた感受性が蘇った感覚。

 

ブログすごいぞ、すごいぞブログ。