そうねそうねと相づちはじゅーん

6月6日
原稿のOKが出て、晴れてはればれとした気持ち。
図書館に行って、「みどりいせき」を借りて読もうと思って自転車を走らせる。
たしか木曜が休館日だから、と自分のなかで確認して出かけたのに、ついてみると金曜日が休館日であちゃーである。
どうしようかなぁと思ったが、原稿を書き終えた打ち上げ的なことをしたかったので、本を持たずに手ぶらでヒロコさんのお店へ。
自転車をとめる場所にまよって、うろうろしているうちに風がつよくて目にごみがはいるが、そんなことでさえうれしいのだから、いましあわせなんだ、私、というようなことを思う。
お店につくと、めずらしくお客さんが誰もいなくて、ヒロコさんに脱稿の報告をしたり、しばしおしゃべり。
ヒロコさんの旧姓とわたしの元夫の苗字がおんなじだということが明らかになり、つまり私たちは同じ苗字で生きていた姉妹のような何年かがあっということで、それをこの数年知らずにお誕生日におめでとう、などとメッセージを送りあったりしていたわけで、すごい偶然とじんせいのかくされた秘密が開封されたことに鳥肌。
いつも日替わりでおいしそうなメニューが黒板に書いてあるのだが、自分的な定番&最高のご褒美であるバターとみつがじゅわっと染み出てくるトーストとアールグレイをいただく。
うめぼしをたべたときみたいな顔になるほどに美味しくて、感無量。
6月7日
原稿もおわったし、すっきりさっぱりしたいとおもって、美容室でかみを切ることを思いつくのだが、こんげつも予算的にすってんてんなので、行けないなぁとじりじりする。
さいごに美容室へ行ったのは2月で、頭蓋骨のかたちもあらわなベリーショートにしたのだが、わかめも食べていないのに、かみはのびにのびた。
野人みたいなかんじ。
いちど台所であわせ鏡で自分でえりあしを切ったのは4月。
それでもいまは6月だからまた野人だ。
一日もんもんとして、YouTubeで動画を見るなどしていたが、やっぱりさっぱりしたいので日没のあとにあわせ鏡。
あれ、美容室行ったのかな、と思うくらいにうまく切れた。
散髪を家でやるのはもうお手のものだ。
椅子のあしも自分で切るし、こないだトイレの水がとまらなくなるトラブルがあったが、YouTubeをみながら夜中に自分で修理した。
もう内臓の手術とか以外はいろいろなことが自分でできるな、と思っているさいきんである。
6月8日
近所にすむ友人のカンテラ博士からアマゾンプライムでボクシングの中継をみたいから設定してほしい、というので出かける。
自転車で2分くらいの場所なのではあるが、友人のすむマンションはコンシェルジュ的な人がいて、あまりへんな恰好でいくのは気がひけるのでみじたく。
結果2時間くらい化粧についやす。
さっそうと出かけて、友人のテレビでプライムビデオが見れる設定をして(リモコンの操作などレクチャーし)、マンション一階のカフェでケーキとキャラメルラテをごちそうになり、帰宅。
ボクシングの試合がはじまる時間がちかづくと、無事にみれたかな?とそわそわしてしまうが、すこしたって電話がかかってきた。
ちがう画面になってしまって、みれないよコールである。
おきゃくさまサポートセンターみたいに電話でやりとりするが、らちが明かず、カンテラマンションまで自転車を走らせる。
リモコンのボタンをおし、試合中継が映しだされると、すでにがめんのなかは白熱していた。
博士はもうしわけないと恐縮しきりであったが、わたしはなかば予測していた日常のなかの非日常がなんだかいとおしかった。
ふたたび家にかえり、朝吹真理子さんの「流跡」をよみながら夕飯。
桜桃忌、太宰治からの電話鳴る。

葉桜がこわいほどに太っていく6月。
毎年、桜桃忌に合わせて三鷹市で開催される太宰作品の朗読会へ出かけた。
今年の朗読は、吹越満。
なんて豪華なの!と吹越ファンの私は絶対に行かねば!と思い、8年ぶりくらいに観劇にチャレンジ。
演目は太宰の代表作「人間失格」である。
単行本一冊の長編である。
あの作品を2時間ほどで朗読するという
無茶な試みに、
果たして成立するの?
楽しめるの?!
無茶にも程があるよ!?
と不安と期待がごっちゃになりながらも
ナマ吹越満を見たさに行ってきた。
緊張しすぎて開演前に3回くらいトイレに行った。
つまらなかったら途中退席するつもりで、出口近くの席をとっていたので、脱出の準備をととのえて、開演を待った。
そして開幕。
始まってすぐ、
鳥肌が立った。
うっわ吹越満やっぱりヤバいよ、と思った。
舞台で見る吹越満は、身体能力の高さやパフォーマンス力、飄々とした佇まいが魅力だと思っていたけれど、今回は文学作品の朗読をただの朗読ではなく、彼の作品として成り立たせる、その構成や演出が憎たらしかった。
もとい、素晴らしかった!
舞台上に組まれた書斎のセットは、実際に吹越満の家からそのまま机や椅子や電気スタンドを持ち込んでいる。

太宰のどの作品を朗読するか、
「自分の部屋で悩んでたんですよね〜」
などと客席に向かって説明する吹越。
そこへ一本の電話が。
電話の相手は青森弁でよくわからないことを言っている。
「おたく、どなた?」
戸惑いつつも、それに青森弁で応答する吹越。
それはどうやら、
太宰治からの電話なのである。
「なんかね、人間失格を読めって言ってました」
客席に電話の内容を説明していると、天井から一冊の本が降ってくる。
「人間失格」の文庫本である。
しかも電話の相手はその本に「どこを読めばいいか、指示を書いておいた」らしいのである。
太宰治自らが「人間失格」の朗読版テキストを吹越満に託した体で、朗読は始まる。
死んだはずの太宰治が、まるで現在にワープしてきて目の前の舞台を一緒に見ているような、奇妙かつワクワクするシチュエーションが仕掛けられ、これはただの朗読会ではないぞ、とひそかな期待も生まれる。
しかし始まると、朗読はいたって普通の朗読である。
机に座って、淡々と本文を読み続けるスタイルだ。
時折セリフのところでは多少の演技は入るけれど、それでもずっと文章を読み上げる地味なパフォーマンスが続く。
内容も頭に入ってくるような、こないような。
これで2時間やるんかい。
10分もしないうちに、
客席がもぞもぞしだす。
普通のお芝居を観ているのとは勝手が違う。
舞台上で、ただただ本を読み上げる役者をじっと観ているというのは集中力が続かない。
しかも作品の長さは文庫本一冊だ。
これはしんどいんじゃないの、と思う絶妙なタイミングで、素の吹越がちょっとしたブレイクをはさむ。
要所要所で、太宰治から電話がかかってきて、「読みながら、つっかえるな」などと吹越満へのツッコミが入る。
客席に吹越の朗読を応援するような、そんな雰囲気が漂って、気がつけば前半が終わる。
一回の休憩を挟んで、後半。
「人間失格」の主人公、葉蔵の人生がだんだんと朗読の中でくっきりとし始める。
朗読という形式に観客も慣れ、そして物語に引き込まれているのが肌で分かる。
素の吹越満と、観客としてその場に居合わせている我々と、そして太宰治本人もがその場で「人間失格」という物語を一緒に編んでいるような不思議な一体感が生まれ、それでいて、太宰治という人間の人生を生きているような没入感に飲まれていく。
やがて本編を読み終わり、これでおしまいか、と私が油断したところへ、では最後に、という感じで吹越が物語の「あとがき」を読み始める。
身を持ち崩した「人間失格」の主人公葉蔵が、その後どうなったのか。
そこに重なる太宰治という人間を、こんなふうに解釈するのか、と衝撃を受けるラストのセリフ。
舞台は暗転。
言葉を失う。
救われたのか、突き落とされたのか、瞬時にどちらとも判断のつかない、けれど、ラストのたった一言で見えていた景色のすべてがひっくり返った衝撃。
「人間失格」の朗読、ではなくて、
吹越満による「太宰治と人間失格」が作品として完成した瞬間に、私は半ば呆然とし、そしてあまりに見事な出来栄えに心がうち震えた。
このイベントが今日1日限りでなかったら、何回も観に行ってしまうな、と思いながら、太宰治が眠る三鷹の禅林寺を横目に帰宅。
観に行ったのは「人間失格」なのに、帰り道では「人間みんな元気いっぱい」みたいな気持ちになれたのは、久しぶりに怖いくらい面白いものに心が触れた、その分かりやすい効能であろうと思う。
また来年の朗読会もきっと足を運ぶことを決めて、その日までは何としても生きていようと思う。
サンクス!ギビング!不死鳥になるね冬は。

数年ぶりにブログの再開。
もう5年近くブログ的な場所で文章を書いていなかったのか、
と不思議な気持ちでこれを書いている。
無沙汰も無沙汰。
お里の便りも何とやらである。
ここで書いていない期間、私は何をしていたのか。
何をしていなかったのか。
改めて振り返ると、SNSなどではそれなりに言葉を書いていた。
色々あって知り合いのSNSの代筆なども引き受けたり。
うん、書いていた。
結構な頻度で書いていた。
でも表現としての文章からは少し離れていたかもしれない。
SNSなどにおいて他人様の心情なりお付き合いごとを念頭に置いて書く文章というのはどうしても「社交」であり「宣伝」になってしまい、思うところを言葉にする、というそのシンプルな行為からは遠くかけ離れてしまう。
2017年に会社員を辞めて、私は創作活動をメインに生きる、と決めた。
(こうやって文章にして書くと恐ろしい決意だと思う。でも今も何とか生きているんだから、人の生命力ってすごいやねぇ)
脱サラしてフリーになったので、さしあたって、とりあえず自分の存在なり活動内容についてネット上で告知や宣伝を、という感じで始めたSNS。
最初は結構楽しかった。
が、
だんだんSNSへの投稿自体が何か「発信」という名の表現であるかのように自分自身が思い始めて、しかし実際のところ多目的に人が使っているプラットフォーム上に「表現物」を並べおく行為は、作品を「意見」や「実体験」と誤解されるストレスを生み、私はそのストレスを無意識に回避しようとして、そこに綴る文章を「日記」のような体裁に寄せていくという生ぬるい悪循環を生んだ。
反省。
SNSをやるにあたって、自分の本意とはあえてピントをずらした、歯切れの悪い(しかし読む人の心情に配慮しているという意味ではとても社会性の高い)文章を日常的に書いていると、生きていても心は死んでいるような、自分で自分を「良識あるしゃかいじん」の鋳型に無理やり押し込んでいるような、窒息しそうな閉塞感に慢性的に苛まれていた。
どこかでこの思いを発散しなければと小説を書いてみるも、なんかあんまり発散にはならなかった。むしろ新たなストレスを抱え込んだ。小説はスポーツではないということがわかった。それでもどうしようもなく、SNSでどうにかならないのかと写真や文章を投稿をし続けた。結果どうにもならなかった。続く閉塞感。行き詰まり感。
反省。
今だからできる。
反省。
そんな思いもあって、今日こうしてブログを再開するまで、何度かブログを書きたいと思い立って、このサイトにアクセスしようとしたけれど、なぜか接続できません、という表示が繰り返され、愛用していたMac bookもかなり古くなってきたせいか、単語を一つ打ち込んで漢字変換しようとするたびにレインボーぐるぐる現象。
待てど暮らせど変換候補から先に進まない。
遅々として、というか永遠に書き進められないよぉこれは...
みたいな感じで頓挫。
仕方なくスマホで書ける範囲の、Instagramの写真のキャプションとか、そういうものでお茶を濁して6年経ってしまったのだから時の流れってつくづく激流であることよ。
その激流に飲まれるままに歳を重ね、
はっきり言って玉手箱開けたの?ってくらいに
気がつけば年をとっていて最近ほんとうに驚きました。
そんなこんなで、私はMacbookのキーボードじゃないと文章のテンポが出ないので、もうMacbookを新調する機会もなさそうだし、このままブログは書かないのかな、と半ば諦めていた2024冬。
物価高。
カスミを食してこの数年を生きていた私もさすがに生活がきつくなり、近所のカラスを食糧だと考え始める事態に陥る。
小銭でもいい、と知り合いに連絡したところ、在宅アルバイトの話が降って湧いて、デジタル機器の不足について相談すると「おっけ」という軽いLINEの返事があり、たちまち自宅に新しいMacbookproが送られてきた。
そして在宅バイトは一瞬でギブ、
しかしパソコンは手元に残った。
おや。
あら。
これはもしかして、ブログ書くチャンス到来なんじゃないの奥さん。
というわけで本日。
写真とは裏腹に外は雨。
家の中で膝の上にMacbookの温もりを感じながら、久しぶりに思うところを書き始めたというわけです。
少し書いてみて、
死んでいた感受性が蘇った感覚。
ブログすごいぞ、すごいぞブログ。
2019、新しい白紙に立つことは。

新しい場所に立つと、今まで居た場所は古くなるのだろうか。
過去、という引き出しに投げ込まれて、色褪せてしまうのだろうか。
きっと、そんなことはない。
まったくの新しい、
白紙のような現在に立つ、
僕たちの目に映るものは。
それは別世界の過去。
それは生まれ変わっている。
取っ組み合いの最中には、
決して見ることのできなかった、
傷だらけの背中を、
僕たちは見る。
澄んだ呼気を血液で濁らせて、
身体のすみずみに体温を燃やしながら、
這いずり回っていた戦場を、
いまの僕たちならば、
全力で抱きしめられる。
生きてゆくこと。
白紙の場所に立ち、
また立って、
なんどでも立って、
生まれ変わった新しい過去に、
出会い続けていくこと。
___________
新春。
本年も皆さまと共に、すこやかにのびのびと日々を過ごしてゆければと思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。
新年のご挨拶と日々の感謝を込めて。
2月5日、ゆみ
雨つろう、輪切りのユートピア(言葉によって、言葉を忘れる。すべての生き物のために)

雨は動く線だ。
誰かの思いつきのように、その線はいつも脈絡なく開始される。
線は、巨大な余白にすばやく描きこまれて、質量と運動性をもっている。
うねりながら落下し、無制限に数をふやす。
まるで、生き物のように。
白い余白が幾本もの線によって埋め立てられると、そこはもう余白ではない。
あたらしい名前が発明されて、私たちは、そら、と口ずさむ。
そら、に引かれた線を拡大すると、そこに色がある。
色は奥行きを表して、線が立体なのだと私たちは知る。
誰かが指を触れると、色の内側に温度が見つかる。
温度は漠然としていて、どこか手ごたえが不足している。
それは、こちら側とあちら側とに切り分けられない、いろいろなものを思い出させる。
地上の生き物が水から生まれてきたことについて誰かが考えている。
目を閉じて、そしてふたたび目を開く。
そのまばたきのはじまりに人が死んで、そのまばたきの終わりに誰かが人を産み落とす。
雨に占領された空の一辺は地上と分かち難く密着している。
線の先端は空をはみ出して、地上へと流れ込んでいる。
その流れ込むすがたを眺めている誰かが、液体、という言葉の意味を辞書で調べはじめる。
音楽はまだ現れていない。
聴覚と音感を持つ生き物が、まるで愛するような仕草で、それを待っている。
待つことをいとわない人がひっそりと眠りに落ちて、ほんのつかの間この世界から退場する。
人がいなくなって広々とした画面の中に、線がさしこむ。
線は音にすがたを変えていて、誰かがその気配を音楽と間違える。
それが間違いであることを知らせるために、私は小さなプレイヤーを取り出して、スイッチを入れる。
ボタンを押して電気がはしると、そこにしっかりと組み合わさった音の集合が出現する。
なんてすばらしいんだ。
誰かが感動した証拠を見せるように、手のひらをたたく。
指揮棒がオーケストラを演奏する。
風に舞う胞子たちのように、空気中に音の群れがふくらんで広がっていく。
ポケットの中に入れたままの四角くて薄い紙のような金属製のプレイヤーはわずかに熱を帯びている。機械がもたらすその熱を私たちはときどき命と取り違える。
けれど、そのことは、ちっとも問題にされない。
ちっとも、というその言葉の形。
その形を、肉体において確かめることを、私たちは試みている。
意識を集中すると、わたしの中に巨大な大聖堂が現れる。
石造りの、かたい、美しい建物を、たくさんの音が、音の重なりが、作り上げていく。
まずさいしょに建物の入り口ができて、高い天井のついた空間が太陽がのぼる速度でゆったりと現れる。
ステンドグラスのはめ込まれたおごそかな礼拝堂ができて、わたしはその内部を奥へと歩いていく。
恩寵のような光の点。
床にばら撒かれた、命のような点。
それらは、命に似ていて、くっきりとした輪郭を少しも持っていない。
光は、何かを照らすわけでもなく、ただ光そのものとしてそこにあって、動かず、地上に、とどまっている。
影と光の点が世界を覆う、ひとつづきの模様になっている中へ、わたしは踏み込む。
光は床から私の肉体の表面に、一瞬で移動する。
いくつも移動する。
点はほかの点とつながり、やがて私自身が大きな光そのものになっていく。
光になった私の先に、何かが見えている。
けれど、それが何かは判然としない。
私が光になるほどに、見えるものは暗く、わからないものになっていく。
めをとじる。
何かを見破ろうとするでもなく、ただわからないことを味わうために。
息をすう。
肉体がここにある、ことをたしかめる。
たくさんの音が束になって、私の背中を前に押し出す。
たくさんの腕が私の意識をからだごと前に引き寄せる。
気がつくと、わたしは音楽に抱きしめられている。
振り返っても、来た道はない。
過去は、すべてが跡形もなく、消え去っている。
余韻だけが残っている。
何かが、たしかにそこにあったはずだ、という余韻。
けれど、わたしの皮膚は、その形を、たしかめることができない。
考えようとするそばから、浮かんだことは泡のように消えて、どこかになくなっていく。
音楽はいつも輪切りだから、と生き物が言う。
それを手のひらにのせて、眺めたって仕方ないんだよ。
ただ抱きしめ合うことでしか、たしかめられないものがある。
それをわたしはずっと前から知っているような気がする。
生き物は、飛行機の翼みたいな巨大な包丁をゆったりとかまえて、焼きあがったばかりの大きな大きな食パンの塊をうすく、一枚ずつスライスしていく。
切り分けられた断面図を、わたしは一枚いちまい時間軸に沿って並べ置いていく。
音楽も食パンのように、切り分けて食べられたらいいのに。
生き物はそうだね、と答えるかわりに、新しい食パンをかまどから取り出している。
ずっしり重たそうな長方形のかたまり。
湯気を放ち、りっぱなオーク材のような色をしている。
生き物はそのりっぱなかたまりを、広い作業台の上にいくつもならべていく。
地平線の向こうまで、作業台は続いていて、湯気のたった食パンの行列も、規則正しく模様のように世界の果てまで続いている。
これをぜんぶスライスするつもりなのだろうか。
生き物にたずねようとして、そこに誰もいないことに気づく。
雨がやんだ空の虚ろさを誤魔化すみたいに、黒い鳥の群れが地上をよぎる。
着陸のアナウンスが流れて、頭の中の大聖堂はすでに形を失っている。
足場を失った音の群れたちが耳の中にさまよい、出口をもとめてもがいている。
指先でボタンを押し、プレイヤーを止めて、イヤホンをそこに巻きつけ、腰の後ろから安全ベルトをたぐり寄せながら、鳥が去ったあとの窓の中をのぞきこむ。
窓から見下ろすと、地上は道端に捨てられた薄汚れたパンケーキのように、泥水を吸って膨らみ、ぐったりと死にかけている。
これから向かう世界は、ぬかるみと憂鬱な気分を混ぜ合わせたもので出来ている。
そんなことを思う。
ベランダに干しっぱなしで雨に降られたときの敷き布団、と彼が言う。
起きていたの、とたずねると、いま、と返事をしながらほんの少しだけ残っているミネラルウォーターの紙コップに唇をつけて、きゅうくつな座席のシートに体をこすりつけるように腕や足を伸ばしている。
眠りのせいで体温がすこし上がったのか、動くたびにかすかに彼の肌のにおいがする。
飛行経路を示す液晶ディスプレイの地図の中で、白い飛行機の絵はアムステルダム、というアルファベットの文字の上に着陸しようと試みている。
乗り換えた飛行機の中では日本語のアナウンスも乗務員も消えてしまって、私たちは耳慣れない音楽を楽譜に起こす時のように要所要所で流れる英語のアナウンスに耳をすました。
神経を休めようと食べものを口に入れ、ミントの粒を手のひらに出して、大事なものをいたわるような仕草で、ていねいにていねいにそれを舐めた。
座席の正面に設置されたモニターの中で、誰にも愛されていない映画のラインナップが明るく光っていた。
細切れのあさい眠りと短い会話、ふいに運ばれてくる小さなカップに入ったスープやくだもの。
あたたかい食べ物の匂いを嗅ぐことが喜びに変わりはじめた頃、雨が降り始めた。
気がつくと、飛行機は雲の下に向かっていた。
死なないための1つの解、三鷹天命反転住宅。

この肉体が滅びてもなお、世界と溶け合ってその一部となり、存在し続けるものがあるのではないか。
それは長らく私の個人的な予感であり、時々は確信であった。
目に見えないものを、どのように取り扱えば「大事」にできるのか。
それを考える手段が、自分の場合はアートを作ることだと思い始めてから、長らく心に引っかかっていた「三鷹天命反転住宅」を訪ねることにした。
結果、その場所は、いまの自分にとって出会うべき、的確な解の1つであったように思う。
芸術家/建築家の荒川修作とマドリン・ギンズが手がけたこのカラフルな建物は、「死なないための住宅」というコンセプトを掲げており、実際にそこに泊まったり、住んだり、という形で作品と関わることができる。
今回私が参加したのは「見学会」という名のワークショップだったが、限られた時間ながら実際に住宅の中に入り、その空間を体験できる、素晴らしく広がりのある内容だった。
学芸員の方による作品の解説の中でも印象的だったのは、写真などで「天命反転住宅」を見る時にまず目を引く、ビビッドな、ともすれば刺激が強すぎると感じる建物のカラーリングが、単なる装飾的な目的ではない、ということ。
建物がカラフルな塗料で何色にも塗り分けられている目的は、アート作品として人工的に「自然」を再現しようとした時に、「多様な色彩がそこに居合わせている」状態に置き換えるのが最も「自然」に近い状態である、という意図のもとに作られているのだという。
「自然の色」というと、植物の「緑」や大地の色、海や空の「青」などで塗ることを連想しがちだが、それはあくまで人間が「自然」を切り取った時の一部にすぎない。
本来の「自然」の色彩というのは、私たちが識別しきれないくらいの無数の色彩がそこに存在している状態であって、その状態を表すには、一見すると「うるさいくらいの色数がひとつの空間にある」場所を作ることが必要なのだ。
そのような意図に基づいて設計された空間において初めて、私たちは「いかにうるさい色彩環境においても、人間の視覚はそれに慣れる機能を備えている」ことを体感することができる。
ほかにもワークショップの中では、頭で理解する前に「身体がその場所を理解し、すでに対話が始まっていること」を気づかされる瞬間が多くあり、プログラムが進むにつれて、自分の身体における知性が明るく目覚めていくような感覚があった。
すみずみにまで思想が行き渡り、かつその思想が一つの作品として訪れる人の身体に(頭ではなく、身体に直接)語りかけるよう設計されている点が「住めるアート」と言われる所以であるのだ、とつくづく腑に落ちた。
荒川修作とギンズの作品において用いられている、「死なないため」という言葉の意図は、物理的な死を超えていくような、人間の可能性を知ろうとする態度を指しているのだと思う。
肉体の死は、あくまで表層的な存在の終わり(見かけ上、そこで終わりに見えるような区切り)にすぎず、「天命反転住宅」は物理的に肉体が滅ぶことは、人間の存在が消えてなくなる事とイコールではない、という思想を模索するための装置として、丁寧に見事に設計されていて、それを作品として具現化するに至った作り手の中にある、命を掴もうとする切実さを思わずにいられなかった。
人間の身体の可能性は、「死」という見かけ上の終わりを超えていく。
「死」を超えようとすること。
それは、物理的な死を遠ざけることでも、やみくもに生命を引き延ばす努力のことでもない。
人間の肉体と精神、魂の可能性を自らの身体で知ろうとする態度、身体に付与された知性を知ろうとする事こそが、生きようという意思の表明であるのだと、そんなことを思った。
地上の思い出は、もうおなかいっぱい。

8月7日
去年知り合った人が、私を訪ねて来てくれる。
ゆみさんと一緒に行きたい写真展がある、と言って彼女が連れて行ってくれたのは、写真家・齋藤陽道さんの個展だった。
以前から知っている荻窪の本屋「Title」さんの二階が会場になっていて、そこまでは私が道案内をした。
先天的に耳が聞こえない齋藤さんの撮る世界は、私たちが知っている、音のある世界とは違う成り立ち方をしているのだろう。
その世界を、写真は、ありありと映し出していた。
なにか少し、自分の描く世界と近しいものがあって、懐かしかった。
写真展の帰り道、青梅街道を歩いている途中で、まだ時間はあるし、どこへ行こうかという相談をしているうちに、私は道に倒れてしまった。
たぶん、ひさしぶりに人と会って、舞い上がったせいだろう。
倒れそうだな、と思ってそれを伝えたときには、もうだいぶ目眩がひどく、けれど青梅街道沿いのフレッシュネス・バーガーで、ストロベリーシェイクを飲んだら、私はみるみる元気になった。
私の気分がよくなったのを確認してから、安全点検をするみたいに、どこで、どんなことをするのが不得手なのか、どういうやり方だったら負担が少ないのか、問答があった。
ひととおり点検が終わると、人や音が多すぎる場所は負担が大きいし、電車も辛そうだから、今度からはなるべくゆみさんの家の近くで会うのがいいね、とてきぱきとした口調で彼女は言った。
妹のような人に、いつも面倒をみてもらっているな、と思った。
私はずっと年上なのに、頼りなくて、不安定で、いつも助けてもらって、励ましてもらう側だ。
でもそれは出会ったときに決まってしまった運命みたいなもので、変えられない、仕方ないことなんだな、と思いながら帰ってきた。
荻窪の写真展に出かけてから二日後に、私が欲しがっていて買えなかった齋藤さんの写真集がポストに届いた。
彼女が注文してくれたものだった。
8月某日、お盆。
行きたいと思っていた場所へ行ってみると、どこもお盆休みだ。
体調もお天気も良い日に、雑司が谷まで出かけてみたところ、目当ての喫茶店はまだ数日は店を開けませんと張り紙をしている。
Googleで近くに喫茶店はないか検索してみるも、どこもかしこもホームページに夏季休暇のお知らせを出していた。
みんな、海とか山とか実家に出かけたりしているのかぁ!
と思って、テレビを見ながら、だらだら過ごしていた子供のときの夏休みを思い出す。
思い出して、懐かしくなる。
夏休みというのは、人の心のふるさとみたいだといつも思う。
暑いし、おなかもペコペコだし、けれど池袋や新宿に出るのは億劫だなぁと思っていたら、メロンパン屋さんを見つけた。
灼熱地獄みたいな暑さの中、焼きたてメロンパンはないだろう、と一瞬思った私を見透かすように、メロンパン屋さんの店先に
「焼きたてメロンパンに、冷たいアイスをはさんで」
というのぼりが立っている。
焼きたてメロンパンに、冷たいアイスをはさまれた日にゃあ、
降参だな。
クッションみたいにまあるく膨らんだ、甘い香りのメロンパンにバニラ・アイスをはさんだのをひとつ買って、地下鉄のホームのベンチでひとり食べた。
都電荒川線に乗って、まるで遊園地に来たみたいにワクワクしたし、汗がとまらないような暑さの中でうっかりメロンパンを買ってしまうことも、なんだか面白かった。
8月31日 夏の終わり。
手持ちの睡眠薬を飲み尽くしてしまったので、1年ぶりに心療内科へ。
以前にお世話になっていたクリニックは、担当の先生が辞めてしまってから、ぜんぜん行く気になれず、そのまま通うのをやめてしまったけれど、だからといって私は心療内科がきらいになったというわけではなかった。
新しくかかる病院は、この世の終わりみたいな場所にあって、陰気くさく、気持ちが滅入った。扉は古くてぎぎぎ、と音がしたし、待合室は薄暗かった。
なんかもうちょっとお洒落な感じの、会社帰りに寄れます的なメンタルクリニックにしておけば良かったかな、と思ったけれど、Googleの口コミで星4つを叩き出しているのは、そこの病院だけだったのだ。
病院の店構えに内心不安になっていたものの、いざ診察室に入ってみると、お医者さんは森本レオみたいな、困ったような笑ったような顔つきで、よく話を聞いてくれるし、のん気な感じがして、とてもよかった。
私も日常生活において、ときどき絶望したりしているけれど、全体的には元気なので、1時間ちかくに渡る問診にもはきはきと答えて、とても明るい患者だった。
三種類の薬の処方箋を受け取ると、それを雨が降り出しそうな吉祥寺の空に向かって旗みたいに大きく、ひらり、ひらりと振って歩いた。
Googleも心療内科も森本レオも、この世界で出会うものはいつも私を助けてくれるのだ、としみじみ噛み締めて喜んでいたら、音楽がはじまるみたいに雨が降り出した。夏が終わった合図みたいに、雨が上がると空気がひやりと涼しくなった。