ようこそ人類、ここは地図。

私たちにおける、素晴らしい座標を

地上の思い出は、もうおなかいっぱい。

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8月7日

 

去年知り合った人が、私を訪ねて来てくれる。

ゆみさんと一緒に行きたい写真展がある、と言って彼女が連れて行ってくれたのは、写真家・齋藤陽道さんの個展だった。

 

以前から知っている荻窪の本屋「Title」さんの二階が会場になっていて、そこまでは私が道案内をした。

 

先天的に耳が聞こえない齋藤さんの撮る世界は、私たちが知っている、音のある世界とは違う成り立ち方をしているのだろう。

その世界を、写真は、ありありと映し出していた。

なにか少し、自分の描く世界と近しいものがあって、懐かしかった。

 

写真展の帰り道、青梅街道を歩いている途中で、まだ時間はあるし、どこへ行こうかという相談をしているうちに、私は道に倒れてしまった。

たぶん、ひさしぶりに人と会って、舞い上がったせいだろう。

倒れそうだな、と思ってそれを伝えたときには、もうだいぶ目眩がひどく、けれど青梅街道沿いのフレッシュネス・バーガーで、ストロベリーシェイクを飲んだら、私はみるみる元気になった。

私の気分がよくなったのを確認してから、安全点検をするみたいに、どこで、どんなことをするのが不得手なのか、どういうやり方だったら負担が少ないのか、問答があった。

 

ひととおり点検が終わると、人や音が多すぎる場所は負担が大きいし、電車も辛そうだから、今度からはなるべくゆみさんの家の近くで会うのがいいね、とてきぱきとした口調で彼女は言った。

 

妹のような人に、いつも面倒をみてもらっているな、と思った。

私はずっと年上なのに、頼りなくて、不安定で、いつも助けてもらって、励ましてもらう側だ。

でもそれは出会ったときに決まってしまった運命みたいなもので、変えられない、仕方ないことなんだな、と思いながら帰ってきた。

 

荻窪の写真展に出かけてから二日後に、私が欲しがっていて買えなかった齋藤さんの写真集がポストに届いた。

彼女が注文してくれたものだった。

 

 

8月某日、お盆。

 

行きたいと思っていた場所へ行ってみると、どこもお盆休みだ。

 

体調もお天気も良い日に、雑司が谷まで出かけてみたところ、目当ての喫茶店はまだ数日は店を開けませんと張り紙をしている。

 

Googleで近くに喫茶店はないか検索してみるも、どこもかしこもホームページに夏季休暇のお知らせを出していた。

 

みんな、海とか山とか実家に出かけたりしているのかぁ!

と思って、テレビを見ながら、だらだら過ごしていた子供のときの夏休みを思い出す。

思い出して、懐かしくなる。

夏休みというのは、人の心のふるさとみたいだといつも思う。

 

暑いし、おなかもペコペコだし、けれど池袋や新宿に出るのは億劫だなぁと思っていたら、メロンパン屋さんを見つけた。

 

灼熱地獄みたいな暑さの中、焼きたてメロンパンはないだろう、と一瞬思った私を見透かすように、メロンパン屋さんの店先に

「焼きたてメロンパンに、冷たいアイスをはさんで」

というのぼりが立っている。

 

焼きたてメロンパンに、冷たいアイスをはさまれた日にゃあ、

降参だな。

 

クッションみたいにまあるく膨らんだ、甘い香りのメロンパンにバニラ・アイスをはさんだのをひとつ買って、地下鉄のホームのベンチでひとり食べた。

 

都電荒川線に乗って、まるで遊園地に来たみたいにワクワクしたし、汗がとまらないような暑さの中でうっかりメロンパンを買ってしまうことも、なんだか面白かった。

 

 

8月31日 夏の終わり。

 

手持ちの睡眠薬を飲み尽くしてしまったので、1年ぶりに心療内科へ。

 

以前にお世話になっていたクリニックは、担当の先生が辞めてしまってから、ぜんぜん行く気になれず、そのまま通うのをやめてしまったけれど、だからといって私は心療内科がきらいになったというわけではなかった。

 

新しくかかる病院は、この世の終わりみたいな場所にあって、陰気くさく、気持ちが滅入った。扉は古くてぎぎぎ、と音がしたし、待合室は薄暗かった。

なんかもうちょっとお洒落な感じの、会社帰りに寄れます的なメンタルクリニックにしておけば良かったかな、と思ったけれど、Googleの口コミで星4つを叩き出しているのは、そこの病院だけだったのだ。

 

病院の店構えに内心不安になっていたものの、いざ診察室に入ってみると、お医者さんは森本レオみたいな、困ったような笑ったような顔つきで、よく話を聞いてくれるし、のん気な感じがして、とてもよかった。

 

私も日常生活において、ときどき絶望したりしているけれど、全体的には元気なので、1時間ちかくに渡る問診にもはきはきと答えて、とても明るい患者だった。

 

三種類の薬の処方箋を受け取ると、それを雨が降り出しそうな吉祥寺の空に向かって旗みたいに大きく、ひらり、ひらりと振って歩いた。

 

Google心療内科森本レオも、この世界で出会うものはいつも私を助けてくれるのだ、としみじみ噛み締めて喜んでいたら、音楽がはじまるみたいに雨が降り出した。夏が終わった合図みたいに、雨が上がると空気がひやりと涼しくなった。