晩に食べる米がなくて両親が揉めているなどというのは少女時代ありふれた日常の1コマであったが、今にして思えば家庭経済がそれなりに逼迫していたという事実をよく表している。
経済がうまく回らないとなると、どんな人間も余裕をなくすのは世の習いであろうか。
家人の行動がそれぞれに常軌を逸していたことは今となっては明らかである。
あるときなど私が小学校から帰ると台所に立った母が流しで家中の皿を割りまくっていたこともあるし、夜中に父親が自分の掛布団と敷布団を一式家から持ち出して、朝までひとり車中泊していたこともある。
小遣いを持つようになった私が時折書き置きをして失踪することもあったが、母もまたよく家出していた。
深夜、スクーターにまたがっての発作的な家出。
何があったのか聞いてみると、その理由はいつも漠然としている。
だってお母さん毎日面白くないんだもん、とか言う。
経済の困窮も久しくなった今でもときどき母は、午前0時を過ぎて栃木のファミレスの公衆電話から東京の娘の携帯に着信履歴を残したりする。
そんなとき私はまた何か人生が面白くないのか母は、と思いながら栃木在住しっかり者の弟に救助を依頼して寝る。
つい数か月前などは家族に内緒でタクシーを呼び、母は宮城の被災地に単身乗り込もうとした。
足が悪いので玄関を出たところで歩けなくなって未遂に終わったが。
自力で歩行することもままならぬ身でいったい何をしに行くつもりだったのかは謎だ。何かしなくちゃと思った、とは母の弁解。
こうして考えると、母の単独行動だけは我が家の経済とはまた別問題かもしれない。
私が結婚してから、母はやたらと皿を送ってよこす。
あんたの家には皿が足りないから、などと手紙を書き添えて。
割る用の皿か?と訝しがりながらも有難く頂戴する。
今のところ、それらは食事にしか用いていない。