ようこそ人類、ここは地図。

私たちにおける、素晴らしい座標を

遺失物をください。とても美しいやつ。

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ここはいったい何処なのですか。

 

古い家の窓はまるで四角形のコマ割り。

私を人生に閉じ込めているこの直線を憎んでも

仕方ないので、何も思わない。

硝子障子の内側から、視線はビームのようにはみ出していく。

神様がくれた私の所持品。

小さな頭を気に入っています。

ほとばしるビームも。

 

死んだ人たちのために、張られた美しい床材。

そこに積もる過去を私はときどき片付ける。

誰が描いたのですか。

へたくそな嘘の夜空。

めずらしい画びょうみたいに、星がびかびかと刺さっている。

 

ここはいったい何処なのですか。

 

誰かと一緒にいたような気がしているのに。

それはきっと気のせい。

だって証明書がないからです。

もはや私は夢の話する人。

 

だから泣いてしまうのです。

あの毎日は本当ですか。

ちゃんと存在しましたか。

雨が降ったら溶けてしまう。

泥になって溶けてしまう。

生活なんて、ふたりでいることなんて。

 

所持品に加工してください。

私たちの日々を。

お守りか何かみたいに。

キーホルダーに鍵と一緒につけて。

指で触れることができるように。

たしかに二人でいた証拠を、

いつか失くしてしまえるように。

みらい平ゆみの誕生日。

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名前はとても不思議なものです。

 

生まれてから死ぬまで、現代にっぽん人は、一生涯ひとつかふたつの名前を使い倒して生きていくのだ、というのが、私はにわかに信じがたい。

 

例えば男の子という種類に生まれると、余程のことがない限り人生を一色の、唯一絶対みたいな一個の名前で生き通すのだ。 そんな事をふと考えると、なんだか恐ろしいような、立派なお城を前に「ははあ」と感心する時みたいな、ちょっと口が開いてしまうような、そんな呆然とした思いに駆られるのですね。

 

私は女の子のとき、2度ほど苗字が変わりました。

古くなった父が去り、また新しく父が現れて、小学校の名札や出席簿で呼ばれる順番が、ある日こっそり書き換えられました。

 

はじめはやはり慣れなくて、知られてはいけない特別な秘密を抱えたみたいに、しごく緊張しながら生きていましたが、そのうちすっかり慣れました。

 

大人の女の子になってからは、自分でつけた名前を名乗ったり、けっこん、りこんで国やキンムサキから呼ばれる名前がくるくる入れ替わったりしたせいか、名前というのは洋服みたいにお着替えできるものなのだ。

そんな感覚を強く持つようになりました。

 

そう。

お洋服と一緒で名前にはシーズンがある。

旬、が存在するのです。

 

そのせいで、ある時から、なんだか自分の名前が似合わなくなる、という事が起こります。

 

旬を過ぎてしまって。

 

呼ばれても名乗っても、どうも落ち着かない、むず痒い感じ。

わたしは一体どうしちゃったのだろう。

 

新しい靴やかばんが欲しくなっても、ぜんぜん気に入るものが見つからない時の苦しさ。

新調しようと思いついた時から、もう使い古しには戻れない。

宙吊りになって尚くるしい。

 

目新しい名前を、はやく楽しみたいのです。

ノートに書いたり、メールで知らせたりして、これが自分よ、と浮かれたいのです。

 

わたしは、今日から新しい。

自分で決めた誕生日。

過去と現在とを区切るものは、いったい何でしょう。

カレンダーの日付なんて、味気なくていやです。

 

わたしは名前で線を引きたい。

この瞬間から、またピカピカ誰も知らない、新しいストーリーのはじまりはじまり。

色褪せほつれた名前を脱いで、ぴんと張った生まれたての布地でドレスアップしたら。 わたしは単純なのでしょう。 またうきうきと軽やかに、生きていける気がします。

 

(そんなわけで、わたくし本日から、みらい平ゆみ、になります。お知らせでした!)

森羅万象に優しいタイムマシーン制作室2

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私は記憶。

地上の滅びたシーンたちが、私の中にまとまっている。

スケッチブックのように綴じられて。

 

あなたは時間。

私を切り取り、選り好んで、参照する。

美しいシーンを増やすのが、あなたの仕事。

 

そして私たちは人間。

世界を未来から過去へと変える、素晴らしい機械。

愛の棒読み、おやゆびを削除。

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口説かれるのは退屈。

もっと絶望してください。

 

自販機のぼたんをおや指で押すみたいに、

手に入れようとする。

無邪気だからやめて。

そんなしぐさは。

 

きっと不謹慎な人がすてき。

手のひらでこすって。

花を摘むかわりに、

永遠に取り消す。

安全地帯の白い線を。

永遠に取り消す。

この世界に足らぬものを。

それを示す線を。

 

愛の棒読みが好きみたい。

絶望のない人。

あなたのことがきらいです。

だって平和だから。

きっとお菓子みたいにわたしを

楽しんで終わるから。

 

森羅万象に優しいタイムマシーン制作室

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「優しさなんて、きぶんの問題。」

小学5年生の君が、宿題のドリルをめくりながら顔も上げずに言い放ったのは夏の終わり。

「大切なものが目に見えないなら、目って何のためにあるの。」

教訓を散りばめたフィクションに悪態をつくことを覚えて、すっかり反抗期だと君が宣言したのが秋のはじまり。

優しさも気分も反抗期も、ぜんぶそのまま丸め込みたいと大人は無邪気に考えている。

たとえば、タイムマシーンを作ったりして。

秋に離縁する夫との長電話。ソウルメイトって死語かと思っていた。

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この秋に離縁する予定の夫へ久々に電話をかけて、夜通し無駄話をした。

無駄話と書いてはみたものの、それが本当に無駄なやり取りだとは露ほども思っていない。

 

持ち上がる話題やその広がり方がいちいち面白く、次の日もまたお互いに労働や勉学に勤しむ身でありながら、深夜の長電話を切り上げる気配すらなく、ときおり興奮気味にあれやこれや喋り続けた。

 

「遠くに行きたくなる映画」を紹介しあうイベント、とやらに参加してきたという夫は、世界中を放浪して「イースター島にまで行ってきた」という人の話が素晴らしくつまらない事に感動したらしい。

 

彼いわく、

つまらない人間は世界一周してもつまらない。

面白い人間は、家に引きこもって一歩も外に出なくてもめちゃくちゃ面白い。

 

「あれじゃモアイも可哀想だな、って思ったよ」

 

それで私が最近聞いた、知り合いの男友達の話を思い出した。

 

その子は10年ほど引きこもりを続けている30代の男の子なのだけれど、引きこもり状態のまま彼女を作り、そして家から一歩も出ることなくお付き合いを続け、やがて破局を迎えたという。

きっかけはオンラインゲームで仲良くなった子にゲーム内のチャットで告白し、見事成功!

その後は自らが引きこもりである事は隠しながら、オンラインゲーム内で彼女とアバター・デートによって愛を育んでいたそうな。

 

しかし盛り上がった彼女が「ゲームを離れてリアルに会おうよ!」と言い出したにも関わらず、ズルズル理由をつけて会わないでいたところ、痺れを切らした彼女にチャットで振られてしまったという。

 

究極のインドア恋愛。

やり切った彼にブラボーだ。

 

無人島に行ったとか、世界一周したとか、それはそれで何となくすごい。 だけど、家から一歩も出ないで彼女を作り、失恋まで経験してしまう彼のような人と私は友達になりたい。

 

彼の世界は物理的には狭い。

だけど彼の愛は壁紙を超えて、愛しい彼女のハートに届いたのだ。

(さいごまで物理的に距離を縮めるには至らなかったけれど、私は彼のラブ・ストーリーに笑いながら感動した)

 

 

長電話はあちこちに脱線した。夫とは他にも「運慶と鳥山明の絵の下重心がヤバい」とか「自分がバカだと自覚している人間の無敵感」だとか、あれこれ喋ったのだけど。

 

何より魂が喜んだのは、私が最近関わっているアートプロジェクトの話の流れで、

「僕はアートなんて、無ければ無いでいいと思ってる」と夫がさらりと言ってのけた時。ほんとにこの人は私のソウルメイトだなーと嬉しかった。

 

アートに興味がない人が言うなら分かるけど、夫はめちゃくちゃアートやデザインや芸術もろもろに造詣が深い(オタク気質)ので、そういう愛の深い人から「アート不要説」が出ると本当に救われる。

 

走るのが好きだから、マラソン大会出るわけで。

アートもやってたら楽しいから、やってるだけなのだ。

結果的に何かしら素晴らしい作品とか出来ちゃう事があるだけで。

 

別に無ければ無いで誰も困らない。

 

私たちの結婚もきっとそんな感じで、ある部分は続いていくのだろうし、終わる部分は終わるだけなんだな、とそんなことを思った。そして本日は十三夜である。