タダシ
「ぼくの姉は電車病です。
とりつくしまもないくらい。
電車病というのは、あ、姉貴どこいくんだよ。
姉
「きまっているじゃない、タダシ。
線路を走りに行くのよ。
タダシ
「こんな夜中にあぶないだろう。
姉
「ばかね、試運転できるのはこの時間しかないでしょう。
子供はさっさと寝なさいよ。
それとも一緒にメトロを走る?
タダシ
「姉貴、本当に危ないからよしてくれ。
回送列車に轢かれるぞ。
姉
「回送列車なんて、跳ね飛ばしてやるわ。
いってきまーす。
■ 姉、照明の外へ。後ろ向きで立つ。
タダシ
「ごらんのとおり、何を言っても聞く耳を持ちません。
もとから姉には耳がついていないんです。
一度聞いてみたことがありました。
姉貴、どうしてそんなに線路を走りたがるんだよ。
姉
「(振り向いて)何言ってるの、タダシ。
電車が線路を走るのは当たり前でしょう。
あんたこそおかしいわよ。
電車らしくないわよ。
銀色に光ってもいないし。
畳みの上でテレビなんか見たりして。
あんた本当にあたしの弟なのかしらね。
ちっとも電車に見えないんだから。
そりゃ、あたしの気持ちなんか
これっぽっちもわからないはずだわ。
弟の理解も得られないあたしって、
電車としては、わりと不幸ね。
あーあ、OLなんか辞めて、
山手線にでも転職しようかしら。
■ 姉、ねっころがり、観客に背を向ける
タダシ
「わりと不幸だと言うわりに、
姉はいつも、 僕がいる茶の間に来ては、
そばでゴロゴロしています。
OLだって、当分辞める気はなさそうです。
まんざら会社も悪くないのだと思います。
いや、それどころか・・
■ 姉、振り返って
姉
「ねえ、タダシ。自慢じゃないけど、あたし、
会社のことが大好きなのよ。
会社のことを考えてると、
あそこがどんどん濡れてきちゃうの。
タダシ
「よしてくれよ。姉貴。
俺の前で、会社の話はよしてくれ!
毎日毎日、家に帰ればその話ばかり。
聞かされるこっちの身にもなってくれ。
姉貴だって、知ってるだろう?
明日は大事な試験なんだ。
俺の未来がかかってるんだ。
姉
「あんたの未来なんか知らないわ。
でも、試験のことは知っている。
タダシ
「だったら頼むよ。
今夜だけ。
会社の話はよしてくれ。
姉
「・・・なによ、タダシ。まさかあんた、会社の話が嫌いなの?
タダシ
「好きとか嫌いの問題じゃないんだ。
今は試験のことだけ考えたいんだ。
姉
「試験のことだけ?
タダシ。
あんた、そんなにアレが好きなの?
タダシ
「だから別に、好きとか嫌いの問題じゃないんだ。
姉
「じゃあ、あんたは、
アレが好きでたまらないってわけじゃないのね?
朝から晩まで、猿みたいに、
アレばっかりしていたいって訳じゃないのね?
タダシ
「ああ。別に、みんなやるから一緒にやるだけだよ。
あんなの、終わっちゃえばなんでもないさ。
姉
「・・・なんでもない?
なんでもないのに、今夜はアレのことだけ考えたいって、
いったいどういうこと?
ひょっとして、あんた。
『自分に嘘をついてる』の?
好きでもないアレのことを、
それだけを考えようって、
自分の心を偽ってるのね?
いやだ・・・そんなのって自然じゃないわ。
・・・自然じゃない。
ねえ、タダシ。
あんたは自分を偽ってまで、いったい何がしたいのよ?
タダシ
「だからさっきも言っただろ。明日の試験には、俺の未来がかかってるんだ。
だから試験に受かりたいんだよ。
姉
「未来のために嘘をつくのね。
内なる自然をねじまげるのね。
言っておくけど、ねえタダシ。
そんな風にしてできる未来は、100%不自然よ。
だとしたら、タダシ。
あんたの未来は、200%不自然よ!
■ 姉にあたっていた照明が消える
タダシ
「あんたの未来は、200%不自然よ。
その言葉を残して、姉は飛び出して行きました。
深夜の踏み切り。
満月の光はジャムのように照りつけて、
東西へ長く伸びる、中央線の線路に飛び散っているのです。
僕はどんよりと暗い街へ出て、線路沿いに姉を探します。
姉貴!姉貴!
かすかな気配に振り返ると、
真冬の暗闇。
冷えた枕木。
沈黙する鉄のレールの上。
走り去る姉らしき後ろ姿。
つっかけが金属とぶつかる音。
がつがつがつがつがつがつがつがつ!!
間違いなく姉貴だ!
寒さにガチガチと鳴る前歯の隙間から、
安堵の吐息が漏れました。
待ってくれ。姉貴。
俺が、俺が悪かったよ。
俺は、俺は、
ほんとはアレが好きだ。
俺はアレが大好きなんだ。
大好きなんだよ、チクショウ。
だからもう、
内なる自然はねじまがっちゃいない。
内なる自然は、
この中央線よりも、
ピンとまっすぐに伸びている!
だから、
だから、姉貴。
お願いだから、電車のフリはやめてくれ。
頼むよ、姉貴!!
こっちに戻ってきてくれよ!!!!
■ 姉に照明。ゆっくりと振り向く。
姉
「まっすぐだとか、アレだとか。
ジャムのように線路に飛び散る満月だとか。
そんなことはどうだっていいのよ、タダシ。
あたしがさっきから言っているのはね、
インターネットのことなのよ。
タダシ
「い、インターネット?
姉
「そうよ。タダシ。
現実を見るの。
あんたはインターネットの使い方を間違えている。
間違え続けてその歳まで育ってしまったのが
たぶん不幸の始まり。
タダシ
「なんだよ、それ。
初めて知ったよ。なんだよ不幸の始まりって。
俺のインターネット使いの、
一体どこが間違っているって言うんだよ?
姉
「やっぱり気づいていなかったのね。
だったら今こそ教えてあげる!
あんたのインターネットはね、
あんたのインターネットはね!
タダシ
「俺のインターネットが、どうしたっていうんだよ?
姉
「あんたのインターネットは、
いつも上下がさかさまなのよ!!
あんたが生まれて17年間、あんたのインターネットはずっとずっとさかさまだったの!!
タダシ
「・・・ショックでした。
まさか、
僕のインターネットが
今までずっと、さかさまだったなんて。
それに気付かずこの歳まで、
のん気に生きてきたなんて。
姉
「驚くのも無理ないわ。
タダシ
「・・・ダウンロードは?
姉貴、
ダウンロードはどうなってるんだ?
姉
「そんな顔をしないで、タダシ。
こんなむごい仕打ち、あたしだってしたくなかった。
タダシ
「いいから全部教えてくれよ!
ダウンロードは、
一体どうなってるんだよ?
姉
「意味ないわ。
タダシ
「え?
姉
「意味がないの。
タダシ
「何が?
姉
「だから、さかさまのインターネットでダウンロードしたものなんて、
ぜんぶがぜんぶ役立たずなの!
タダシ
「な、そんな。・・・ぜんぶが全部って・・・
姉
「たとえば、ほら。
あれが何に見える?
■ 姉は床を指差す。
タダシ
「・・・あれは、線路だろ。
姉
「線路に見えるのね。
タダシ
「だって、線路だろ?
姉
「あれは床よ。
タダシ
「線路だろ?!
姉
「無理もないわね。
タダシ
「何言い出すんだよ。姉貴。
姉
「じゃあ、あれは?
■ 姉は椅子を指差す。
タダシ
「猫だろ。
姉
「・・・(深いためいき)
タダシ
「猫だろ?違うのかよ?
猫じゃなかったら、いったい何だって言うんだよ?
姉
「落ち着いて、タダシ。
あれは、椅子よ。
タダシ
「どうかしてるだろ、姉貴。
さっきから何言ってるんだよ?
■ 姉、椅子に近づいていって、椅子を蹴っ飛ばす。
タダシ
「あ!
姉
「どう?これでも猫だって言うの?
タダシ
「ニャーって鳴かない・・・
姉
「椅子だからよ。
椅子だから、ニャーって鳴かないの。
タダシ
「そんな・・・・そんなバカな・・・
■ へたりこむタダシ
■ 姉、タダシをじっと見据えたまま、自分の頭を両手で抱える。
姉
「じゃあ、タダシ。
最期に聞くわ。
あんたには、これは一体何に見える?
タダシ
「・・・・(ごくり唾を飲み込む)
姉貴の・・・あたまだろ・・?
姉
「(哀れみに顔をゆがめて)かわいそうなタダシ。
あんたには、現実が何ひとつ見えないのね。
タダシ
「・・・・・
姉
「先頭車両よ。
これは、中央線の、先頭車両。
タダシ
「嘘だ!嘘だ!嘘だ!!!!
姉
「現実を見なさい、タダシ!
あんたもあたしも、まぎれもない電車の姉弟なの!
それを知らないのは、あんただけ!
認めないのもあんただけ!
タダシ
「俺も姉貴も電車なら!親父とお袋は何なんだよ?!
姉
「(信じられないという顔で)それを・・・聞くの?
そんなことをあたしの口から言わせたいの?
タダシ
「じゃあ他に誰に聞くんだよ?!
姉貴のほかに誰に聞いたらいいんだよ?!!
姉
「そんな風に責めないでよ。
お父さんもお母さんも、好きで早死にしたんじゃないのよ。
タダシ
「・・・悪かったよ。
姉
「うどんよ。
タダシ
「・・・・
姉
「お父さんはうどんよ。
タダシ
「うどん屋・・
姉
「違う!うどんよ。炭水化物の。
タダシ
「な、ば、・・・うど・・
姉
「お母さんは、臼。
タダシ
「うす?
姉
「正月に出してきて餅をつくでしょう。あの時の臼・・
タダシ
「んなこと知ってるよ!
なんだよ臼って!
なんでお袋が臼で、親父がうどんなんだよ!
姉
「出席番号が近かったの。それですぐに恋に落ちたの。
タダシ
「ありえないだろ、どう考えても!
姉
「だって仕方がないでしょう!
どんな組み合わせの二人だって、
男と女は恋に落ちるし、セックスすれば子供ができるのよ。
タダシ
「そういう問題じゃないんだよ!
そういう問題以前の問題なんだよ“
臼とうどんがセックスして、電車の姉弟が産まれるなんて、
そんなバカな話あるわけないだろ!
俺たちの親父とお袋が、臼とうどんなわけないだろ!
姉
「だけどタダシ!
あんたのインターネットは、さかさまなのよ。
タダシ
「・・・・・・
姉
「ダウンロードも意味ないの。
■ タダシに「明日のジョー」のようなスポットライト。
タダシ
「・・・・俺は・・・俺はいったいどうしたら・・・
姉
「一緒にお墓を立てましょう。
さかさまのインターネットを火葬にするの。
あんたの間違った17年間を成仏させてあげるのよ。
タダシ
「そうしたら・・・
俺は、
俺の意味ない17年間は・・救われるのか?
姉
「もうわかっているはずよ。
タダシ、
自分が何をするべきなのか。
■ 姉、いつのまにか掃除機を手にしている。タダシ、ゆっくりうなずいて、掃除機を受け取る。スイッチを入れ、切符を吸い込んでゆく。
姉
「(掃除機の音の中叫ぶ)そうよ、タダシ。
そうやって、役立たずのあんたの世界を、
全部アップロードしてしまいなさい!
■ タダシ、舞台上のいろんなものをどんどん吸い込んでいく。 その様子を見ている姉。 タダシ、静かに掃除機の電源を落とす。
タダシ
「何をしても無駄やっちゅうことはわかっとるんです。
せやけど、無駄やってわかるからこそ、あえてせんといかんことも
あるような気が僕はするんです。
無駄やってわかってるから、人間やったりできるんちゃうんかな。
なんぼかでも意味があるなんて、
そんなこと思い始めたら、
ぎょうさん人間乗せて、気違いみたいに走り回ったりでけへんのと
違いますか・・・・電車なんてその程度のもんです。
僕も姉も、誰も彼も、その程度のもんなんです。」
姉
「いっちばんせぇんに電車が参ります。
危ないですから、
白線の内側まで、
下がってお待ちくださあぁぁぁぁぁぁぁい」
■暗転