ようこそ人類、ここは地図。

私たちにおける、素晴らしい座標を

宇宙人のきもち。

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宇宙人のきもち、を考えるときの私は、 だいたい地球人のきもち、を考えてしまっているのです。

宇宙人のきもち、を考えるときのいちばんのちゅういは、宇宙人は地球人にあらず。

そのことをちゃんと、よくよく、考えること。

それにつきるのだ、とファミマの店長さんは言います。

 

ファミマの店長さんは、北千住のファミリーマートではたらいています。

北千住のファミリーマートにも、ときどき、宇宙人が来るそうです。

宇宙人が来たな、というときには、店長さんもバイトさんも、心の中でいろいろなことを思うらしいです。

 

「UFOはどこにとめてきたのかな」

 

とか

 

「今日もおでんを買うのだろうか」

 

などなど。

 

もちろん、口では

「いらっしゃいませぇ」

とか

「お弁当はあたためますか?」

などと言ったりします。

 

そういえば、こないだ、バイトさんがうっかりお箸を入れ忘れたら、 宇宙人が泣いてしまった、と店長さんがなげいていました。

やっぱり宇宙人のきもち、はひとすじなわではいかないよ、

ぼくや君みたいな、その、地球人とおなじように考えていてはいけないよ、 とちょっと声を落として、 店長さんは、なんだかむずかしいかたちの、ため息のようなかたまりをひとつ、口の中から出してテーブルの上に置いたのでした。

発明の国、ヒラメキア円卓会議。

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紫陽花型の爆弾を作ろうと思ったけれど

紫陽花というのはたちまちに滅びて

ピカピカとはしておられぬ性質らしく

紫陽花型の爆弾を仕掛けたところで

爆発までのしばしの期間

ちっとも枯れていかぬのは

怪しいぞ怪しいぞなんて

顔を覆いたくなるほどに怪しまれてしまうのが

目に見えているので

紫陽花型の爆弾を作るのはもう中止です。

✳︎

 

「ものもらい」になった時に備えて

第三の眼があったら便利に違いない。

両眼が赤く膨れ上がって視界10パーセントに

なってしまった時でも

ポケットからサッと第三の眼を取り出して

しかるべき位置にスチャリと装着すれば

こりゃ便利。

見えるぞ見える眼が見える。

一人一球、予備の眼を持とう!

問題なのは 、

人は何時何処で「ものもらい」に罹るのか、

まったく予想がつかないという事で

あ!かかったな!と思った時には

戸棚の中で長いこと忘れられていた第三の眼は、

ふさふさカビを生やして

毬藻状の物体になっているかもしれぬのです。

そんなふさふさした目玉を見るのは忍びないので

第三の眼はもう用意しなくていいです。

 

✳︎

親切なおにいさん。

酔っ払った友人知人を道端で介抱していると

袋状のものを差し出してくれる親切なおにいさん。

コインランドリーで小銭に困っていると

200円と粉末洗剤を恵んでくれる親切なお兄さん。

夜中に恋人と喧嘩をして裸足で外に飛び出すと

何も言わずに朝までそばに居てくれる親切なおにいさん。

おにいさんはいつも同じ迷彩柄の服を着ているので

すぐに「親切なおにいさん」だと分かります。

けれど近頃、

おにいさんがちょっと親切すぎるんじゃないか

という気がだんだん我々はしてきたので

お兄さんの親切は当分は自粛してほしいです。

 

 

✳︎

一人称の貸し出しについて。

一人称を人に貸していたところ結構利子がついて

返ってくるのが意外です。

返却済み一人称を、たまに自分が使おうという段になって

随分と使い勝手がよくなって

言いたいことをツイツイっと言葉にできたりして

何が違うんだろとうんうん考えると

貸し出す前よりも一人称が油を差したみたいに

饒舌でちょっと「うわて」になっているようなのです。

シャンプーなんかも違う種類に変えると

もともとの成分以上に効果がよくでて髪イキイキ

と評判だけど

一人称もたまに他の人に使ってもらうと

いい刺激になってツヤツヤしてくるんですね。

なので、一人称の貸し出しはまだ続けます。

 

本日の議題については以上です。

次回の開廷は100年先です。

ぼくは供物。

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お兄さんがもうだめだらうと言うので、僕はあきらめてしまいました。

今までのようにおもてを出歩いたり、お友達に会ったりすることもせず、昼間でも部屋を暗くして、鼻をほじったり、コップの水をぶくぶくと吹いて、あとは始終あおむけになって天井ばかりを見ています。

お姉さんはそのことで、お兄さん方を責めました。お医者さまにもみせないなんてっ、というお姉さんの金切り声が、この屋根裏部屋にまで聞こえてきたかと思うと、そのあと急に静かになって、優しいお姉さんの鳴く声がしくしく響いておりました。そうしてその後お姉さんは、二階の涼しい部屋に寝かされたのだと思います。暗くなるまで応接室でお兄さん方がひそひそと、おそらく僕のことでせう。相談ごとをしています。

 

僕はいったいどうなるのだらう。

静まり返ったお部屋の中でそんなことが気がかりで、じっと籠っていることがだんだん苦痛になりました。それで少しお兄さん方の相談に聞き耳をたててやらうと、女中のひとりを呼びました。

この僕の声はもうかすかなので、つまりは誰にも聞こえてなくて、それがいっそうつまりません。ですが、ちょうど二時間おきに水差しをもってやってくる女中の砂子が来たもので、おひ、おまへ。ぼくを居間まで運んでおくれ。そう言ってやると、砂子はびっくりしたように水差しを落として、ぶくぶく何かをわめきながら大階段を駆け下りて、どこかへ行ってしまいました。

 

ばかめ、なにをそんなに驚くことがあらうか。僕はすっかりあきれてしまい、水びたしになった木の床をしらけた気持ちで眺めます。すると、にわかに階下がさわがしく、おだやかでない声がします。いったい何のさわぎだらう。僕はもう下へ降りるのもあきらめてしまって、あいかわず涼しい籐編みの椅子の上に寝そべっておりましたが、やがて扉をどんどんと叩く音に、ぱっと面を上げました。見ると、僕の一番上のお兄さんが青ざめた顔で立っています。末のお兄さんとその双子のお兄さんが、あとからばらばらと追いつく格好。そしてその後ろには、さっき逃げるように部屋を飛び出していった砂子もぶるぶる体を震わしながら、たくましいお兄さんたちの背中の影に隠れるように僕のほうを見ています。

よし、今日こそ覚悟をきめた。ここは長男がけじめをつけやうぢゃありませんか。一番上のお兄さんはほかのお兄さん方にそう言うと、砂子に合図を送ります。砂子はぼんやり動きません。お兄さん方の顔を眺めまわして、これはいったい何のさわぎでせう。僕が不思議そうに首をかしげますと、末のお兄さんが砂子からひったくるように、その手にあった銀のお盆を取り上げて、「はやうはやう」と急き立てます。一番上のお兄さんは、盆にのせられた小鉢と箸を取り上げて、あっと声を漏らします。

これはいけない。薬味ばかりだ。肝心のつゆがないようだ。お兄さんはそう言いながら、長いお箸で小鉢を混ぜて、ぐるぐるおつゆを探します。ほかのみんなも青ざめて、こちらをそっと見つめます。

ちょうどおつゆを切らしてますが、お醤油だったらござひます。けしからぬ女中はそう言うと、お醤油瓶を取り出して、葱や胡麻の入ったガラスの鉢にどぼどぼ下品に注ぎます。お兄さんはうなずいて、気を取り直したのかこう言います。うまく喰うための算段は、かえってよくないことだらう。英雄みたいに声を張り、お箸が僕をつかみます。薬味と醤油をまぶされて、おいしい匂いがしてきます。僕は喰われてしまふのだ。こんな体であるために。お兄さんの歯が近づいて、そろそろ観念した頃です。

 

その子は蕎麦ではありません! 

わたしの可愛い弟です!

 

面やつれした菩薩さま。

そう輝いて見えたのは、寝ているはずのお姉さん。僕の体は喰われる前に、どうやら救われたのでせう。お前は黙って寝ていろと邪険にふるまう長男を、お姉さんはぶちました。お兄さんの歯が抜けました。何てお馬鹿をなさるのですか、弟を箸で喰うなんて。そもそもこれはあなたの呪い、うどんを粗末にしたせいです。

事情を知らないみなさんは、そこで初めて知りました。

一番上のお兄さんがこの夏出かけた四国旅。お兄さんは喰いました。讃岐名物わんこうどん。ずるずるお椀を空にして、あげくの果てに言いました。やはり蕎麦には叶わない。かういうものは好きぢゃない。讃岐を守る神様は、うどんが好きな神様で、お兄さんの呟きをけしからぬことと決めました。それで呪いがやってきて、弟の僕が犠牲者に。

お姉さんの話が終わると、お兄さんを見る目は変わり、長男風もやみました。僕は体を洗われて、呪いがとけるその日まで、腐らずカビずにいるように、涼しい場所で過ごします。

良くも悪くも記憶に残る基礎挨拶講座その1。

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とっても元気な小中学生、そして日本全国の大人のみなさん。

挨拶はすべてのコミュニケーションの基本です。

さっそく以下の例文を参考に、人様の記憶に残るステキな挨拶人を目指して練習してみましょう。

大きな声で、ご一緒に!

 

●朝ごはんを食べる前に

 

「いただきます」→「いただきマルクスエンゲルス

お母さんが飽きてきたと感じたら→「今日はいただきマルコムX

 

●部活動の先輩、上司の方への挨拶に

 

「おつかれさまです」→「おつカラマーゾフっす」

「お先に失礼します」→「オーシャンズイレブン観に帰ります」

 

●友人や恋人と喧嘩になったら

 

「ちょっと、その言い方はないんじゃない?」

→「チャイコフスキーはワカメ食べないんじゃない?」

「嗚呼ごめんなさい」

→「嗚呼ごめんなサインコサイン」

「アイムソーリー」

→「そのお面を取りなさい」

「いやぁこっちこそ悪かったよ」

→「そうじゃ。こっちょこちょにくすぐってやるぞ」

 

●寝る前に一言

 

「おやすみなさい。いい夢を」

→「おやおやスミス、今日も共喰いを」

「愛しているよ、ハニー」

→「語られる言葉が何を意味しているか。それは受け取る個々人の尺度によってずいぶん歪められてしまうことが分かっているよ」

 

✳︎

本日のレッスンはここまで。 次回もまた、みなさんと一緒に素敵な挨拶を練習していきますよ。

講師はアンかけご飯が大好き、トルビヨン・ブロムダールでした。

また来週お会いしましょう、シーユー砂糖醤油!!

男、はじめました。

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梅野さやかさんはつい最近、暦が春へと移ったのをきっかけに煙草をやめて、かわりに男と寝ることをはじめました。

 

はじめたばかりのころはジッポライターの油の香りやマルボロメンソールライトの美しい翡翠色のパッケージが恋しくて恋しくてたまりませんでしたが、春先の男たちというのは麝香や白檀にも似たとても良い匂いをさせていますし、火をつけなくても抱きしめればいつまででも温かく大きく広々とした背中の、馬の毛並みのようになめらかな皮膚の手触りなどが、すっかり梅野さやかさんの気難しい性格にもお気に召して、翡翠のかわりに琥珀色の男たちの黒目をのぞきこみ、たちまちに春のひと月がすぎてしまったのがつい昨日までのお話です。

 

そんな折のある日のこと。

五月雨ろく男さんが近畿地方からやってきました。

 

ろく男さんというのは梅野さやかさんが昔たびたび寝ていた男で、お互いにこいびと関係だと信じたような月日もあったにはあったのですが、いまは若かりし日の苦々しい過ちの生き証人として、できれば早くに死んでほしいと両想いに強く思い合う、そういう因果な仲なのでした。

 

信販売用の茶碗蒸しの営業でろく男さんが東京駅に降り立ったときにも、梅野さやかさんは煙草のかわりに手近な男と寝ることを継続している真っ最中でしたから、ろく男さんと連れ込みホテルで一夜を過ごし、宿泊料を割り勘にして別れたあとも特に何とも考えず、しばらくぼやぼや生きました。

むかしなじみというせいか、いともあっさり事は済み、有害物質の接種から、今日も自由になれたのだ。梅野さやかさんはそのように、昔なじみとの一晩を感心しながら忘れました。

 

へんになったのは初夏からです。

 

そうじがうまい無職の青年と、性格の悪い内科医と、あまりこれといって特長のない居酒屋の店長の3人を、日替わりで部屋に呼び、部屋をたずね、さやかさんはその定番のローテーションにも少し飽きてきた時期でした。

そうじに比べるとセックスはそこそこの腕前、という無職の男の子の浅黒い腕に枕されながら、梅野さやかさんは、なんだかへん、とつぶやきました。

 

へんて、なにが。

 

男の子はさやかさんの頭蓋骨につぶされている腕のしびれに耐えながら、つとめてやさしく聞きました。

 

あんたといるのがすごくへん。

 

洋服と荷物と男の子を玄関の外へ放り出すと、さやかさんは五月雨ろく男の携帯電話にぷるぷる電話をかけました。

何度かけてもつながらず、しかたないと思ったさやかさんは、なんだかへんなの、すごくへん。留守番電話の機械に向かって伝言だけを入れました。

 

そろそろだろうと思ったよ。

 

折り返しの電話がかかってきたのは、それから三日後の午前二時。

五月雨ろく男は何もかもわかっていたという口ぶりで用件をたずねました。

がまんができなくなってるみたい。

いますぐ会って、したいのよ。

さやかさんがそう訴えると、ろく男さんはおそらく近畿地方のどこか、受話器のむこうでおかしそうに笑って、たばこでも吸いなさいよ、おちつくから。そう言って電話を切りました。

そこでようやく、さやかさんは忽然と煙草のことを思い出したのです。

かつて、五月雨ろく男を忘れるために、煙草を吸おうと決めた、あの日のことを。

何年と禁煙できていた人が、ある日ふと吸った一本のたばこで、たちまち元の大煙草飲みに逆戻り、というのはよく聞く話ですが、さやかさんはようやく自分の状況にはたと気が付いたのでした。

あたしはあいつに中毒してた。それをようやく断てたのに。

うっかり一本吸ってしまった。

何よりたちが悪いのに。

 

からだがもう、五月雨ろく男のことしか考えられなくなっていることに、さやかさんはどんどん青ざめて、飲みかけの焼酎の瓶をラッパのみにして喉を潤すと、小銭をにぎりしめて深夜のコンビニへと走り出しました。

 

その日以来、梅野さやかさんはまた元のチェインスモーカーに逆戻りです。

マルボロメンソールライトは、セブンスターに変わり、さやかさんの顔の色つやは以前より若干悪くなりましたが、煙草を吸っているときだけは、へん、にならなくてすみますので、医師の処方箋もいらず、おかげでずいぶん日常生活が助かっているというお話です。

平成家族賛歌。私は家族が大好きです。

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おとうさまが押入れの中で憲法を読み上げていらっしゃるあいだ、 おかあさまはお風呂場で、お皿を千枚割りました。

 

おにいさまがまだ温い食べものを捨てた土の上に、 おねえさまがぴかぴか光る指輪の種を蒔いて育てています。

 

素敵な家族をもう一度、みなさまのお顔をもう一度、 ぜひとも懐かしみたくて、自分の目玉をこしらえようと、わたしは重たい土の下、おはじき集めに必死です。

 

もう何年が過ぎたでしょう。

いったいどちらにあるのでしょう。

朱色のまじったあの丸いやつ。

ぼってり大きな白いやつ。

棺の中の手の中に、従妹がそっと握らせた、 わたしの大事なおはじき袋。

目玉のかわりのガラス玉。

 

どこにも見つからないのです。

どなたも遊んでくれません。

さびしさだけが増えました。

恋しや、わたしの家族さま。

ファンタジーについて。

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ここに記すのはファンタジーについての記録だ。私の人生とそこに出てくる登場人物たちを飲み込んでいるファンタジーについて。その記録。備忘録。不正確かもしれない幾つかの出来事についてのごく個人的な私の感想と意見。分析のための分析。忘れないために幾つかの考えを削除し、いくつかの考えを取り置いて残すこと。

 

ファンタジーとは何か、あなたはご存知だろうか。それは頭の中の避難梯子だ。登る前と、終わりまで登りつめた後では、目に見える世界が確実にすっかり違っている。それがファンタジー。視点を移動するための避難梯子。

私以外の多くの人はその梯子を登る前と、登りきった後、その二種類の景色しか知らないんじゃないだろうか。あるいは梯子の存在自体に無知なまま、せいぜい数メートルかそこらの物理的な目線の上下のうちに一生を終えるのではないだろうか。時々私はそんな風に考える。そしてむしろその方が自然なことだとも思う。

なぜならその梯子には高さというものがないから。方向というものがないから。登り切るまでの時間も体力も必要としないから。

 

梯子はただただ、そこにある。

手を触れることのできない頭の中の暗闇にそっと音もなく立てかけてある。はじめから終わりまで。時々は見えて、時々は見えない。そして、梯子を登る前と登りきった後。ファンタジーはそれらを分け隔て、そして同時に結びつけている。

私が試みようとするのは、ファンタジーそのものについて考えることだ。いや、思い出すと言う方がこの場合正しいのかもしれない。ファンタジーの目的や機能やその結果ではなく、ファンタジーという緩衝地帯のグラデーションをここに記してみること。

 

そう。グラデーション。ひとつひとつの異なる段階。その段階に応じて変わる世界の色味。それらを目に見えるまま、どこまでも丁寧にここに転写していく。

もしもファンタジーという言葉がこれを読むあなたに多少の混乱をもたらすのなら、それを何か別のものに置き換えてもらってもかまわない。雨傘でも、スリッパでも、冷蔵庫の中の野菜ジュースか何かでも。さっきから私が繰り返している避難梯子。それが一番いい例えだと思って持ち出してきたわけだけれど、それでは色気がないというなら、例えなんて何だってかまわない。

私は雨傘について、スリッパについて、冷蔵庫の中の野菜ジュースについて、ここに記録しようとしている。それらは存在することで結果的に2つの世界を生み出し、それ以前とそれ以後とでは世界はまったく違って見える。

やはりこの方がわかりやすいのかもしれない。単純な響き。回りくどくない。ファンタジーなどという曖昧で意味のない単語を持ち出してくるよりも。そう、この世界の多くのものは整理され、名付けられ、わかりやすく並んでいる。どこだってそうだ。「あ」から始まり「ん」で終わる。それが普通で平均で常識なのだ。いちばん効率的だとされるやり方。

しかしわかりやすいもの、単純なもの、すでに形あるものについて、改めて私が記録する必要などない。誰もがすぐに「あれのことか」と頭に浮かぶ事柄をこの手でなぞること。反復すること。確認すること。それらはまったくもって必要がない。悲しいくらい私には必要がないのだ。

 

だからやはり、これは「ファンタジーの記録」でいいのだと思う。あなたは混乱したまま、避難梯子の始まりでもなく、終わりでもない場所から見える眺めを写した私の言葉たちを落ち葉のように拾い集める。おそらくむずかしいことではないと思う。それは私があなたたちの世界を知ったのと、たぶん同じやり方だから。