ようこそ人類、ここは地図。

私たちにおける、素晴らしい座標を

江國香織『落下する夕方』 落下したもの、喪失の色彩。

f:id:niga2i2ka:20170706210558j:plain

誰も帰ってこない12月の夜の部屋で、これを書いている。
地球上は黒く冷えて、誰かの呼気で濡れた窓ガラスの内側には赤いカーテンがかかっている。
巨大なストローを突き刺した形の加湿器がその細長い先端から滝のようにミストを床に吐き出し続け、中の水がなくなるたびに私はプラスチックのタンクを取り出し、蛇口から水道水を注ぎ込むと、再びそれをセットして白い小さなくぼみを押して電源を入れる。


もうあと数時間で、『2016年』というフィルムが終わり、客席は空になってしまう。しらけたスクリーンには「過去」という題字だけが延々と映し出されるだろう。誰もいない映画館。まるで誰もが新しい次の映画を見たがっているみたいに、どこか遠くへ行ってしまった。
一人きりで、映画館に居残った私は取り残された人間だ。
ふと、そんなことを考える。


私の知らない映画館では、もう次の上映作品のタイトルも順番も決まっている。
まずは『ニューイヤー』。
それから『日々の生活、その慌ただしい再開の気分』。
そのあとは、数字をひとつ増やしただけの『2017年』。
シンプルかつ、すべてを包括する良いタイトルだ。
予想できるのは少し先まで。
そのあとに起こる出来事を細分化し、象徴的な良き名で呼ぶのは難しい。
だって、私は今はまだ過去の真っ最中にいる。
『2016年』
その場所から、さらに遠い過去に思いを凝らしている。

誰も帰らない赤いカーテンの部屋。テーブルの上にはリモコンと透明なグラスに注がれた飲むヨーグルト。見た目は牛乳と区別がつかない真っ白な液体。手に持って揺らすと、器の動きを鈍いスピードで液体が追いかける。
そのグラスの隣には彼女の本が置かれている。
タイトルは『落下する夕方』。

初めてこの小説を読んだ時、私は19歳だった。
そして19歳の私は、この物語を味わうことができなかった。
こんなにも美しい作者に恋の苦しみや喪失などを描けるはずがないだろう。頭からそう決めて、読んだ後もその考えを押し通した。私は早熟さに欠けるごく平凡な19歳で、物事を単純に考えたかった。美しい人の中に絶望があることを何かの間違いにしておきたかった。
著者近影を見るにつけ、この小説は才色持ち合わせた恵まれた人ゆえに紡ぐことができるロマンチックな失恋へのファンタジーだ。そう片付けようとした。そのくせ作品のあちこちに心がひっかかり、動けなかった。片付けることができなかった。

今にして思えば、それは美しく才ある作家への嫉妬と羨望とによって反射的に出た拒絶反応だったのだろう。
私は江國香織という人に反発し、違う違う、そう叫んだ。
そして、この作品を忘れようとして、忘れて、十数年の人生が過ぎた。

年をとることは、何かを失うこと。そう言う人もいる。
例えば、若さとか。可能性とか。毒にも薬にもならないムダな思い込みとか。
新しい1日を生きて、新しい1年を生きて、新しい十数年を生きたことで、私は失う一方でまざまざと自分の人生を手に入れた。
誰もがその人なりの幸不幸をたずさえて生きていること。
その仕組みにつながれて死ぬまで歩かなくてならないこと。
美しく才ある人があっけらかんと小説を書いているわけではないこと。
人生を生きていたある日、そんな当たり前のことにようやく私は行き当たった。
そうだったのか、と声に出さずに呟いた。色々なことが腑に落ちて、そして私は美しかった。江國香織ほどではないけれど、言われても邪魔に思わないくらいに私は時々美しく、そして人生が苦しかった。


拒絶したくせに現金なもので、この十数年、自分の恋が意に反した終わり方をするたびに、私の胸には『落下する夕方』の切ない幾つかのシーンがふいに兆した。

例えば主人公が、別れた恋人をむりやりに抱こうとする場面。
もはや自分を求めていない男に、自分を女とすら見ていない男に、力づくでも抱かれようとする。
彼を救いたい一心で。もはや愛され直すことはない、と諦めながら。
そのやり切れない必死さを小説に描いてくれた作者に私は何度も敬服した。
女でも、美しくても、強い力で深くやさしく愛されたことがあったとしても、そのすべてが意味を失うような瞬間が誰にでもやってくるのですね。
素晴らしい恋人と出会えたとしても、めくるめく喜びを分かつ夜があっても、自分の中の絶望がちっとも薄まらない孤独をあなたはとっくにご存知で、だから小説を書いているのですね。人生の予告編のように、私たちに知らせるために。いざその瞬間が訪れて、私たちが驚いて取り乱しても大丈夫なように。


江國香織を拒絶してから十数年後の『2016年』。
私は本編が終わって、エンドロールが流れ始めた映画館でひとり正面を向き座っている。
膝の上に『落下する夕方』の文庫本のページを開きながら。

あらためて、この物語を読み直してみる。
すると『落下する夕方』は「喪失」を描いた物語だ。
ページをめくるとそこに現れるのは、「失恋」でも「恋の不思議な三角関係」でもない。そこにあるのは、抗えない「喪失」を静かに抱きしめる追体験の時間。

主人公の「失恋」から新たに生まれる人間関係。
不在によって、より強くその人の存在が際立ってくる不思議な仕組み。
そして、この物語において描かれる「喪失」は関係性の死だ。
時には死者とでさえ人間関係は続いていく。
けれど、かつての恋人との間にあった関係が死を迎えた時、それは永遠に取り戻すことも生き返らせることもできない。
その抗えない「喪失」を主人公はゆっくりと静かに受けとめていく。

二人の関係性の死とともに、墓所となった二人のかつての住処を、主人公が旅立つことを決めるラスト・シーン。
それはおごそかに強く、美しくて、悲しい。
そのシーンにいたるまで、悲しみは血のように風景ににじみ、けれどそれは私たちの視界を汚すことはなく、水彩画のように淡く染めるだけの透明な赤色だ。繰り返される日没の眺めのように、それは私たちをおびやかすでもなく、ただこの地上に毎日のように射し込む、命の色そのものだ。

落下する夕方』の眺めは繰り返されるのだろう。
私たちが生きて、生きて、生きている限り。
けれど、生きていく上で決定的な汚点など残ることはないよ、とでも言うように江國香織の描くその色はどこまでも透明で美しい。

もうすぐ新しい映画の上映が始まろうとしている。
私は十数年前に落としたチケットの半券を拾ってから、次の映画館を探しに行こうと思う。

わたしは自宅待機の勇者。

f:id:niga2i2ka:20170706203232j:plain

旅に出たくないのには色色わけがある。

 

まずは遠方へ出かけるほどに住み慣れた屋敷から肉体が離れ、その物理的な距離の巨大さにおののく心はぽきと折れ、つまりはこの身を貫く太き自宅愛ゆえのホームシック。

 

同行の人間たちが息をのむ素早さで我が家を懐かしむそこはまだ往路。

あるいは旅先の宿にて悩ましきことの最たるは弱小ドライヤーのため息がごとき微風。濡れ髪を持て余し生きた土左衛門となりて湯処より戻れば、何者かの手によって作戦終了後の室内。


すでに敷かれた敷布団掛け布団。
饅頭の白さの不気味な綿枕。
知らず本日はもう終了でございますと入眠のタイミングまでもが強いられてお得な宿泊プランはるるぶかどこかで予約したものだが、決して得をした気分にはなっていないのはどういうわけだ。
外も内もしんしんと静かな温泉宿の夜に口が話す言葉だけ妙に粒立って隣室近所迷惑を恐れ早く寝る。

 

愛読書もインターネットもはなまるうどんも手が届かない温泉街を激しく憎みながら、なぜうっかり旅に出たのかを自問し続けるはめになる率が10割。
寺や城を見物するは面白いが、その物見遊山のために他人がいつの間にか整えた布団で寝なくてはならないとすればどうか。

 

夏目漱石『こころ』 再読の効能、じわじわっと。

f:id:niga2i2ka:20170706191409j:plain

 

夏目漱石の『こころ』を再読している。 

 

初めて読んだ高校生のとき以来、『こころ』は何度か読み直している作品。

 

二十代のはじめ。
三十代の半ば。

 

もはや覚えていないタイミングでの、数行の拾い読みも合わせると、好きな映画を折に触れて見直すような感覚で、私は本作を読み直しているようだ。

 

再読のたび、気づく事がある。

 

例えば、『こころ』は時間の小説だ。

主人公の中に流れる時間。
先生の遺書の中に流れる時間。
記憶の中に流れる時間。
それらを読む私たち読者の中に流れる時間。


複数の時間は梁となり柱となり、一つの空間を作り出す。
それが「こころ」という、多次元の空間だ。

 

1番さいきん、『こころ』を読んでいて感じたこと。

それは、「創作に対する模索期間」を終えた漱石が、『こころ』においては、すっかり「創作による模索」が可能になったのだなぁ、ということ。

 

迷いの晴れた、すくとした力強さ。
しなりのある、柔らかな頼もしさ。
読者に対する細やかな配慮、妥協のなさ。
おのれのエゴを用いつつ、そのエゴに飲みこまれない骨太な客観。
創作のハンドルさばきを心得た作者の美点を数え上げれば本当にきりがない。

 

つまるところ言いたいことは、『こころ』という作品が、作家としてつやつやと脂がのった夏目漱石の良き時代を存分に味わえる良作であるという、ごく凡庸な所感ではあるのだけれど。

何度かの再読を経て、自分はようようそれが身にしみたという体験をこうして伝えているわけです。

 

ちなみに高校時代に初めて「こころ」に自分が抱いた印象は、「うわ、文学臭いなぁ」というネガティヴなものだった。

けれど、その鼻につく感じというのは何だったのかと自問すると、おそらく第三部の「先生の遺書」のところだけを切り取ったものを、まず最初に読まされたからなのではないだろうか、などと国語授業のせいにしてみたりして。

 

そんなわけで。
小説を再読する効能。

じわじわっときています。

さまざまに湧く感慨を腹の中で噛みしめて、しみじみやっている2017年、夏。

 

(あ、そういえば2016年は漱石の生誕150年でした。怒涛の記念イベント・フェアがすごかった。レインボー漱石が表紙になった文庫本とか)

またワープしちゃった。

f:id:niga2i2ka:20170706151006j:plain

落ち着かない人生を送っている。

物理的にも、心持ち的にも。

ひとつの場所に腰が座るという事がない。

いつも重力とあやふやな関係を保ちつつ、ふわふわ漂っている。

 

そういえばこの間、ひさびさに数えてみたら、もう人生で18回も引っ越している。

実家を出てからは、14回。

年齢で割ると、生まれてから今まで2年に1度は引越している計算になる。

転居回数を年齢で割る意味は特にないのだが、頻度の高さというか、無駄さ加減をお伝えしたくて割ってみた。

 

引越しの内容も、ちょっと居候、とかではない。

冷蔵庫から洗濯機から一人暮らし用の家財道具を一式トラックで運び出し、移動して、また運び入れて、ちょっといい感じのインテリアとか家具を揃えちゃう感じの本格的な引越しだ。

 

新居の選定、契約、生活インフラの手配をすべて済ませて、引越し業者にお兄さんと大型トラックを発注し、古巣の処分と新天地の整備をほぼ同時進行で行う。

住民票をああしてこうして、郵便物はこっちに送ってね、と最寄りのポストにおねだりする。

 

こうやって書いていると、引越しはそこそこ面倒だ。

しかし慣れてしまったせいか、私にとっては旅行に行くよりは気楽な作業である。

そんなこんなで14ヶ所も転々とした、この10数年。

 

いったい何があったのだ。

人が聞けばそう思うことだろう。

念のために言っておくと、私は転勤族でもジプシーでもない。

借金取りから逃げているわけでもない。

いろんな街で暮らしてみたい、なんて優雅な征服願望もない。

 

それだのに、けっこうな頻度で引越しはやってくる。

台風みたいに、突然南の方で発生して、翌朝には九州のあたりを通過、本州に上陸。

すぐに私も暴風域に入る。

わ、引っ越さなくちゃ。やばいやばい。いそげいそげ。

で、引っ越す。

金もかかるし、また引越したのか、みたいな事になる。

 

そんなこんなで「そろそろ落ち着きたい」と人に相談したら、あなたには無理、と一蹴された。

忌憚なきアドバイザーは頼もしいが、その発言は時々私を傷つける。

私のナイーブさにもっと配慮してほしいと思うけれど、図々しい人間だと思われたくないので黙っている。

 わたしには無理、の理由も何だか釈然としないまま相談タイムが終わる。

 

ちなみに現在の住まいは、コンビニが全然コンビニエントじゃない距離にある。

失敗したマニキュアを落としたくて除光液を買いに行こうと思い立ってから、店にたどり着くのに2週間かかった。

Amazonで注文するか、アンコンビニエンス・ストアに歩いて行って買い求めるか、ぐだぐだと悩んだせいだ。

徒歩で買いに行ける品物をわざわざ遠方から取り寄せる理不尽。

それと闘っていたら時間ばかりが過ぎた。

 

最寄りの駅に止まる電車は1時間に2本。

タクシーは透明で見えない。

繁華街も商店街もない駅前には、廃墟みたいなスナックの建物が数軒。

営業しているのか定かではないから、見た目どおり廃墟なのかもしれない。

正直こんなシュールな場所に住むつもりはなかった。

来るつもりもなかった。

来た道のりさえも覚えていない。

 

ワープ。

この引越しはワープだろう。

私の人生のそこかしこに、本意ではない予想外の地点へとワープしてしまうスイッチがあるのではないか。

うっかりそれを押しているのではないか。

それなら他の人はどうやって、ワープを回避しているのだろう。

たずねたところで、「ワープ?」となる可能性は十分に承知しているが、一度だれかに聞いてみたい。

 

2月5日の過去。

f:id:niga2i2ka:20170704134831j:plain

先の記事にて自己紹介のことを書きました。

 

差し当たって、2月5日はどんな作品を作ってきたのか、これまでの足跡をお見せするという形でご紹介に替えさせていただければと思います。

 

今回ご紹介するのは、劇場やライブハウスでお披露目したものが主です。

 

用意した種を任意の空間に持ち込み、観客のみなさまとの共同作業で発芽させたものを作品と定義しております。

 

時間軸と作品名を切り取ってご紹介しますね。

公式サイトなど、まだ生きているものはリンクを載せておりますので、よろしければご参照ください。

 

f:id:niga2i2ka:20170704111855j:plain

 

《演劇・ライブパフォーマンス》

 2005年に演劇ユニット「恩田ツアー」立ち上げ。舞台パフォーマンスをスタート。

(2月5日は恩田ツアーの企画・脚本・演出・宣伝美術を担当。ときどき出演。)

http://www.riotsgraph.jp/vois.onda-tour/

 

2005年9月 『まだら夜日本昔ばなし』@麻布die pratze   

2006年6月 『なくしものピラミッド』@神楽坂die pratze  

2006年12月 『嘘800 惑星泥棒』@高田馬場 タナトス6  

2008年3月  『世界の雛形とタイムマシーン制作講座』@pit in 北区 

 

《単独出演》

2007年1月 『幽体離脱の父』 @高円寺無力無善寺

2008年7月 『猫道節』ゲスト出演 @高円寺無力無善寺

 

《脚本提供》

2007年1月 『電車という病』(『赤旗JAM』@pit in 北区にて上演)

2008年夏  猫道一家に『栗牟田教授によるアイスクリーム学についての考察」を提供

猫道 『溶け始める時間を食べる』 - Video Hài hước, Phim truyền hình, video hot nhất - XEMHBO.COM

 

インスタレーション

2013年  『ガラスの動物園』@半蔵門「カフェバー・キヨノ」

※「半蔵門でゆるい読書会」とのコラボ企画。

 

《メディア掲載》

2007年2月 トーキングヘッズ叢書(TH Series)No.29 
『特集・アウトサイダー』 
発行:アトリエサード/発売:書苑新社 

 

 

親切なアーティストを目指しています。

f:id:niga2i2ka:20170704131330j:plain

こんにちは。こんばんは。

2月5日です。

 

せっかくブログを始めたので、自己紹介をしようと思いました。

しかしいざやろうとすると、むずかしい。

何をどう切り取ってお出しすれば良いのか、皆目検討がつかないのです。

 

私はある人の勧めで「アーティスト」と名乗ることにしたのですが、その肩書きひとつ取ってみても何だか不親切というか、大雑把というか。

判断を相手に委ねる部分が多いわりには誤解を許さない傲慢さがあるような気がして、自己紹介も「わたしはアーティストです、以上。」という風には済ませたくないと思って、今この文章を書いているのです。

 

なるべく親切でありたい、というのが私の希望です。

 

それにしてもむずかしいです。

自己紹介というのは。 

人が出会ってお互いに自己紹介をするというのは、相手を知るための入り口になると思います。

だから私はなるべく親切な入り口を用意したいと思っています。

それは私という人間を積極的に興味をもって知ってほしいからではなく、私という人間を通じて世界の美しさに触れてもらうことが喜びであるからです。

 

ですので、もちろんその手段が必ずしも私の作品である必要は特にありません。

ただ、入り口がここにもありますよ、と知らせることはアーティストとして最低限の仕事だと私は考えています。

 

しかし、私はこれを読むあなたの事を何も知りませんし、あなたにとって何が親切にあたるのか、皆目わかりません。

看板が出ていない店を好む人もいるでしょうし、事細かにメニューの写真まで張り出してないと入る気がしない、という人もいるでしょう。

ですので、このブログというのは文字と写真が主な情報源ではありますが、それを組み合わせて、これから私なりに心づくしの自己紹介をやっていけたらと思っています。

そう、何行か文章を読んで終わるものではなくて、このブログ全体が長い長い自己紹介です。

うんざりしてしまう人もいるかもしれませんが、それはそれで面白いことではないでしょうか。

『熱血!マサチューセッツお味噌汁大学』

f:id:niga2i2ka:20170703213147j:plain

本日の講義はとてもエキサイティングなものになると確信しています。 

人類の過去、未来、そしていま私たちが生きるこの現代を見つめ直すための 貴重なワークショップとなることでしょう。 

お味噌汁が人類史において発揮してきた類まれなる功績について、 みなさんと私とで即興のディスカッションを行い、そこに新たな意味と、今後の展望を見出すことで、我々がよりよく生きていくための一助としたいと強く願っています。 

ではさっそく。 

そもそも、みなさんにとって、お味噌汁とはいったいどういう存在でしょうか。 
神でしょうか。悪魔でしょうか。 
この世のすべての創造主。そう、それもよくある回答です。 


最近では、宇宙はお味噌汁である、という学説もかなり有力になってきていますね。

たしかに。

お味噌汁にはそういった一面も確実にある。 
しかし、そのような手垢のついた模範解答を、今日この場で持ち出すことは控えておきましょう。 


まだ若い皆さんの中には、お味噌汁をことさら重大なものとして捉えるか、もしくは神の不在を高らかに宣言するかわりに、お味噌汁などそもそも存在しないのだ。ネス湖ネッシーとおんなじだ。そんな具合に、極端な意見を持ち上げる傾向が見られます。

もちろん、たしかにそれらも、お味噌汁(正式にはオミソシールですが)の解釈のひとつとして、けして間違っているとは言い切れません。 
むしろ、圧倒的な正しさと真実がその直感的な解釈のうちにあるように、私などは思います。 


しかし、せっかくこういった機会ですから、本日はもう少しだけ違った角度から、お味噌汁を今までにない座標へと位置づけ、再定義してみようというのがこの講義の目的です。 


その材料として、まずは私がここ何年か研究を続けてきた中で、お味噌汁について、ふと疑問に思ったことを、これはひょっとして、という感じで抱いた直感的なひらめきを、いくつかをみなさんに紹介して、議論のたたき台にしてもらいましょう。 

まずは、古代エジプト文明におけるナイル河の氾濫。この原因がお味噌汁であったとする学説について。 
スライド1を見てください。