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父と時間

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 夏生まれの父は、喘息持ちの子ども時代を虫の声を聞きながら過ごしたという。

それはインターネットの誕生なんてまだ誰も想像してもいなかった、けれどそう大昔というほどでもない、昭和の時代の昔話だ。

その頃は夜も更けて家人が寝静まる時間になると、決まって息苦しさと発作の不安が父の子どもらしい無邪気な眠りを妨げるのが常であった。

布団の中で寄せては返す安楽と苦痛の波のような時間に身体を浸しながら、朝がくるのをひとりぼっちで待つしかない。

鉄道の本を枕元に広げながら、時に季節によって入れ替わる虫たちの声を聞きながら、子どもだった父は自然あれこれ考えごとをして過ごすのがごく当たり前になったのだという。

その当時の記憶をもう子どもではなくなった父が私に話すとき。

いたずらを自慢する子どものように父はなぜか少し得意げで、幾度も聞かされた病の話なのにも関わらず、そこに病弱だった自分への憐れみのようなものが微塵も混じっていないせいだろうか。私もそれを父の少年時代の良き思い出話として記憶している。

ちょうど夏生まれの父が65歳の誕生日を迎えて、嘱託で続けていた仕事からもついに足を洗うというので、ふたつの出来事を合わせて祝う会を母の主宰で開いたのが一昨年の8月だった。

 

その夜もまた同じ話をしながら父は相変わらず夏を褒め、その時期に鳴く虫たちはいいなぁとつぶやき、そしてやっぱり父さんは夏が好きなんだな、と子どものように結論すると、誕生日だからと特別に許された上限なしの晩酌を満喫しようといそいそと手酌に励んでいた。 


緑が沢山あって、と言えば聞こえはいいが、手入れせずにいるとたちまち家屋を飲み込んでしまう野生の植物たちに包囲された古く安普請の我が家では、家の中にいても外と変わらずに自然の音がとても近い。

むしろ、家の中にいる方がその感覚が強まるのかもしれない、とも思う。

雨音も風の強弱も木々の枝葉によって大げさに誇張されて響くような気がするし、虫たちの声は効果音かBGMのようにあまりにも近く、帰省するたびに東京暮らしに慣れた私はそのことに驚くのが常である。

その日、午前中に東京での用事をかたづけてから私が地元の駅にたどり着いた頃には、一日はもう折り返して夕暮れ時になっていたけれど、吠えるように鳴く蝉たちと交代で日暮れからは秋を運ぶ虫たちの涼やかな声が晩菜の時間を通してずっと消えなかった。
父は夏の暑さやそれにまつわる良き記憶がそうさせるのか、めずらしく言葉多く語り、盃を重ねていた。

誕生日や記念日にかこつけて年に数回催されるこの家族の集いは、回を重ねるたびに東京で暮らす私や地元で1人住まいをしている弟が、もうそれぞれの暮らしの主であることを自然と悟る機会でもある。


若いころは持参するのが浅草駅で買う菓子折りの「ひよこ」だけだったのが、いまは私も母に少しばかりの滞在費を渡すようになり、実家暮らしの時は挨拶ですら億劫がって無愛想だった弟が、最近では地元の人間にまつわる世間話や近況報告をする時間を惜しまずに長々と食卓にいて父母の相手をしてやっている。

夏の夕暮れに虫の声を聞いていると寂しくなる時もあるけれど、それはそれでいいんだよ、と父が言うので、何がいいの、と私が尋ねると、父はふさわしい言葉を探すように少し考えてから、「だって時間を感じられるから」。

そんなことを言う。


その夜、両親が床につき、弟が奥の部屋に引っ込んだ後、真っ暗で静かな田舎の夜を、私は布団の中にもぐって眠りによって終わらせようとつとめ、その時だけは虫も眠り草木も休んでしまったのか、音という音もなく、ただ自分のつまらない寝支度のしぐさが立てる小さな音だけが暗闇を乱すように不粋に響く。

私がこの家に住んでいたとき。

当時「時間」を感じるのも、いつもこんな時だった。

そんなことをふと思う。


家族の誰もが死んだように目を閉じて、自分だけが世界から取り残されてしまったような、そんな感覚に陥る時。

私は猛烈に時間という形ないものを意識して、そこに「寂しさ」やら「怖さ」やら「自由」といった感覚が入り交じったものを漠然と心に持て余して、その状態ははて何だろうか、と考えては深く立ち入らず、その疑問自体と添い寝していたような覚えがある。

そして、それは今でもあまり変わっていない。

東京で暮らすようになって、時々思う。あの時、私が聞いていたのは多分静寂という音なのだろうと。

今も夜になるとすべてを消して、あの静寂が欲しくなる。

体の外にも、体の内側にも。静寂という音が懐かしい。

それが父のように寂しさを味わうためなのかは、よくわからないけれど。


時間を思うことは、自分の生と死とを思うことでもある。

そして、その抗えない自然の中で生きている自分と世界との別れを予感させるものが、寂しさ、というものなのかもしれない。

喘息持ちの子どもだった父は大人になっても相変わらず吸入薬を使って、発作を抑えるために通院を怠らない立派な喘息患者だ。
けれど、父にはどこかその病も自分には必要なものだと思っているふしがあって、話していても自分自身を面白がっている感じを受ける。


寂しさとの付き合いが長いほどに人は自由に気楽になるのかもしれない。

父という人を想う時、私はいつもそんなことを考える。