ようこそ人類、ここは地図。

私たちにおける、素晴らしい座標を

わたしが雨を好きなのは。

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あさ起きて、まどのそとが雨の音にみたされていると、

ふと、思い出すのです。

わたしのこのうつくしい孤独を。

 

この世界において与えられた、私というひとつの小部屋。

その場所は、どんなふうにはげしく、雨が降りつづけたとしても、 湯気ひとつたてずに、乾いて、ここちよく、まもられている。

 

水びたしになどならない、かんぺきなこの孤独。

 

傘をもった人たちがひしめく、のぼりでんしゃのホームから、くろくぬれた線路を眺めるこの目には、 細くのびる金属が、まるで生きているように、かがやいて動き、 わたしをそそのかすのです。

 

だれかの秘密の小部屋を、そっとのぞき見てはいかがと。

 

退屈したような車内には、たくさんの孤独が、 コートに雨のしみを作りながら、ゆらゆらとひしめいて、 何も思わない目つきで、ふる雨を、まぬがれている。

 

列車がうごきだすと風に吹かれて、液体はまどにへばりつき、わたしは思い出している。

 

わたしがまだ、この世界に降る雨粒の中の一滴にすぎず、

わたしがこんなにもまだ、孤独ではなかったころの記憶を。

 

ああだけど、それをはっきりとは思い出せない。

あまりにも曖昧なかたちに、 窓ガラスの上で溶け合っている、幾本もの雨のすじ。

その輪郭など、はっきりと思い描けない。

わたしが世界の一部分として分かたれた、それ以前のことなど。

めくじら

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 あんにょん。

 

目くじらを立てている人が南にいるというので、会いに行くとそれは事件。

巨大な海の生き物が、その人の瞳にぶすと突き刺さっている。

 

だいじょうぶなのですか。

 

くじらをなでなで触りながら私が質問すると、

あまりだいじょうぶではありませんよ、

とその人は答えて。

でもしかたがないのです。

困ったものだと空を見る。

すると刺さったくじらのしっぽの方が、それに合わせてぐいんと上を向く。

 

じつは来週妻が出所してくるものですから、目印を出しているんです。

彼女はぼたん泥棒の罪をゆるされて、百年ぶりに出てきます。

 

奥様はぼたん泥棒? 

 

そうですよ。

あなた知らないのですか。

百年前、長野県諏訪市内で起こった「ぼたん三億個強奪事件」を。

 

はつみみですし,ぼたん三億個もいったい何に使うんでしょう。

私にはわかりそうもありません。

 

まあ若い人はそうでしょう。

今はミシンがありますから。服も丈夫に買えますから。当時と世相も違います。

 

私の妻は不器用でして、ぼたんがうまくつけられなくて。

不安に駆られたのでしょうね。

 

「このまま一生ぼたんがつかなかったら、いったい何を着て生きてゆけばいいのやら」

 

チャックがまだない時代でした。

だけど着物で生きるにはもう遅かった。

恐れた妻はぼたんを盗み、いまは刑務所暮らしです。

家族は百年待ちました。

 

目くじらを立てている人が悲しそうにうつむくと、くじらのしっぽが地面にあたって、その人はそれ以上、下を向くことができないようでした。

透明なくらし

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ゆふがた

きっぷをてにつかれたおかおで

おつとめからかえっていらっしゃる

かえるあなた

 

よくしつをあたため

おゆうしょくのしたくをして

かみをとかしてからえきまで

えきまであなたむかへにいって

きえさるわたくし

 

えきからのさかみち

くだりながらとぼとぼ

わたくしとあなた

まるでひとそろえの

おはしのようにいつも

ならんであるきゆくどんどんと

どんどんとゆくしわす

ゆくしわすいずこ

 

ほんじつのこんだてを

おしへてあげましょうかあなた

おんせんのようにあたためた

ゆどうふとおみおつけ

しゃっきりといただける

れんこんのあえもの

それからかんにしたおさけも

ごいっしょにめしあがれ

 

ごいっしょにめしあがれ

 

はしらどけいがときをきざむ

ちいさなやしきだんらんのいま

ただじこくをつぶやくとけいのこえだけ

きいておかおをみつめますあなたの

 

ああまたなにか

なにかあなた

かんがへごとをしているのですか

そうなのですかと

 

わたくしにどうか

あなたのいろいろをきめさせて

きめつけさせてくださいな

 

わたくしいがいのいろいろに

あなたはこころをなやませて

ここにはいないあなただと

うそでもほんとにおもはせて

 

そうそうだあれもここにはいない

いないひとならこころもいない

 

そうそうだからうわのそら

 

あなたはいつでもうわのそら

やさしいくせにうわのそら

 

それもけっこう

それもけっこう

 

わたくしなんにもわずらひません

ただただかうしていられれば

 

つまらぬものをたべさせて

つまらぬはなしをくりかえし

あきてもまだなおあなたにだかれ

つまらぬをんなとおもわれて

 

それがいいそれがいい

どうかどうかとまたせがむ

 

そんなをんなをあいしてくれる

やさしいあなたはいないかと

 

あきらめながらほんじつも

ほほえみながらてくてくと

えきへとまいり

まいりますわたくし

 

だれかをさがして

あのえきへ

きえさるまえにあのえきへ

 

ゆふがた

さびしくつかれたかおで

マジカル・リサイクル・サービス

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マジシャンになりたいと思ったことは一度もない。

タネとしかけを育てるのにずいぶん骨が折れると子どもの時から聞かされていたし、ほとんどお手本に近い失敗例を間近に見ながら育ったせいだ。

僕のパパンは生まれて1時間もたつともうマジシャンになると言い出して、子どもの頃からその欲望に周りの人間を巻き込んできた。結局は運と才能に恵まれていないことが段々わかってきたのだが、パパンはそれでも人生のかなりの時間を費やして、マジシャンになるべくもがいていた。

(彼はマジシャンに敬意を表して、それを「マジッシャン」と発音した。僕はどっちの言い方でも別にかまわないんじゃないかと思っていたけれど、パパンの前では一応そこには気を遣っていた。)

パパンはずいぶん熱心に手品の研究を続けていたし、各地の有名な「マジッシャン」にマジックの「コツ」を聞くために何日も車を走らせて大陸を縦横に行き来した。

 

だけど結局彼のそのおそるべき集中力はある日を境に矛先を変える。

長いこと手品によって目隠しされて気付かなかったようだけれど、パパンは実は相当に目移りしやすい性格だった。彼は手品修行の途中でパスタソース作りにハマってしまって、今はペンネのゆで加減やバジルや野菜の鮮度にうるさい、ふつうの庭師におさまっている。

(パパンの3番目のガールフレンドが僕の妹を産んだ年に、彼ははっきり家族の前で、「今日というこの日をもって、パパンはマジッシャンをあきらめる」とそう宣言した。)

 

4番目のガールフレンドと別れて落ち込んでいたパパンは、ある日オリーブの木の剪定中にアイスレモンティーを入れてくれた人妻と恋に落ちると、やがて彼女の望みどおり、シルクハットも鳩もダイスも、何年もかかって集めてきた倉庫2つ分の手品道具のすべてをあっさり手放した。マジカル・リサイクル・サービス。七色のペンキでそう書かれたトラックがやってくると、パパンの唯一ともいえる財産(リサイクルサービスの回収担当は見積書の「おもちゃ」という欄に迷いなくチェックを入れていた)を手際よく箱詰めにして、どこか知らないところへとそれらを永遠に運び去った。今から12年前の話だ。

 

それ以来、パパンはもう二度と手品を披露しようとはしなかったし、タネやしかけについてのお得意の講義もぶたなくなった。

僕は大人になり、特に好きでもない自動車修理工場に週6日通って、休みの日にはじっくり油の染み込んだ分厚いつなぎを2着、ランドリーマシーンに放り込む。ガールフレンドはたまに家までやってくるが、時々二度とやってこない。

だいたいそんな風なことが繰り返されて、そのサイクルの中に含まれるひとつひとつの出来事に僕はペプシを飲んで納得する。なかなか見事なゲップが出ると、自分の暮らしがまた一周し終わった合図だ。ささやかなピリオドがひとつ、僕の歴史年表に打たれる。

 

自分にはマジシャンの素質があるのかもしれない。

だから僕がそんな風に思い始めたのは、本当に思いがけないことだった。きっかけというほどのことはない。ただ、ごく自然にそれは起こって、その場に居合わせた全員をぽかんと驚かせたまま、僕はそれがマジックなんだということをごく淡々と受け止めるしかなかった。

その日の僕らは工場の休憩室で、まだ終業時間前だというのに、テレビを見ながら冷たいビールを飲んでいた。

喘息もちの工場長が見回り中に発作で死にそうになっていたのをレスキュー隊員に引き渡して、僕らはもうすっかり仕事する気分じゃなくなって、とりあえず酒でも飲もうと誰かが言い出したのに従ったのだ。

やりかけの仕事は残っていたけれど、ちょうど太陽も落ちてきて、ただでさえ照明の足りない工場の中は隅の方から暗闇がしずかに広がってきていた。

何人かは家に帰り、帰ってもしかたない連中はなんとなく残った。冷蔵庫から何本かのコロナとビールを取り出して栓を抜くと、僕はほかの連中と休憩室のぼろいテレビを眺めていた。

フットボールの試合がだらだらと続いていた。

そろそろ隣に座った奴が玉突きにでも行こうと誘いをかける頃合いだった。

だけどその日に限ってそいつは空の瓶を振ってこう言った。おい、もう酒はないのかよ。

それは一番年下の僕に、椅子から立ち上がってさっさと冷蔵庫の中を確かめてこい。そういう意味だ。

去年の夏、女房に逃げられた可哀そうな男だ。工場にはそんな連中ばっかりが吹き溜まりみたいに集まっていた。

彼らのうつろな視線がテレビのガラス面越しに、ここではないどこかをさまよっていた。

休憩室のすみにある冷蔵庫は、低い不満の声に似たモーター音をたてて僕を見据えていた。

 

急に誰かが見事なパスを成功させて、相手チームが逆転のシュートを決めたらしい。小さな機械の箱から漏れる歓声と光が一瞬にして大きくなり、男たちは何も言わずその光景を見つめたまま、背中の影の色を濃く強めていた。僕はその後ろ姿を何か物悲しい気分で眺めた。

テレビの実況とだいぶずれたタイミングで、誰かが耳障りな奇声を上げた。酔っているのだ。べとついたドアの取っ手に手をかけたまま僕はその声を無視して、ゴールを決めた選手がチームメイトの輪の中に誇らしげに戻っていく様子をぼんやりと見ていた。

だからというわけではないけれど、冷蔵庫の一番近くにいたくせに、そのおかしな事態に気が付いたのは、僕が一番最後だった。みんなが僕の方を見てわあわあ騒ぎ出して、それでようやく何が起こっているかを知ったのだった。

 

僕はその日以来、あれこれと考えざるを得なくなった。心地よく意味のない僕の人生のサイクルが、知らない誰かのでかい手でぐしゃぐしゃに握りつぶされようとしている。その状況をペプシで一気に片づけることもできたが、それは最終手段にとっておこう。僕はめずらしくそう思った。

 

いったいどういうトリックを使ったんだ。

休憩室にいた連中は、あの後いっせいに僕に詰め寄った。

僕が開けた冷蔵庫の中には、つい1時間ほど前に運ばれていったはずの工場長がいたのだ。彼はがんじがらめの拘束具をつけられた状態で、クッションか何かのように丸まって、狭い箱の中に乱暴に押し込められていた。眼はかたく閉じられて、死んでいるようにも見えた。

事態がややこしくなったのはそのあとだ。僕が冷蔵庫を開け閉めするたびに、悲惨な姿の工場長がその中で出たり消えたりしたのだから。僕がそれを出そうと思えば出たし、消えろと念じればそれは消える。そしてまったく奇妙なことに、ほかの誰がやっても無駄だった。何度扉を開け閉めしても、そこにはコロナとジンジャーエールの瓶が2本。そしてカビの生えたラードの塊にバターナイフが刺さったまんま汚らしく転がっているだけだった。

僕が子どもの頃、パパンがよく話してくれた手品のタネとしかけの話。僕はその話を思い出さずにはいられなかった。それは自分だけの力でどうこうできるものじゃないんだ、とパパンは言った。それに見初められるかどうか、そこが大事なんだよ。(あとでそのくだりが有名な奇術師の受け売りだと知ることになるが、そこは仕方ない。僕のパパンはいろいろなものを寄せ集める才能だけは見事だったのだ。)

付き合いたてのガールフレンドと同じさ。お互いが恋に落ちたなら、あとは育てていくものなのさ。そいつがうまくいった暁には、きっと素晴らしいマジッシャンへの道が拓けるだろう。そしたらどんなヘビーなショーでも絶対乗り越えられる。神様の手が味方するんだよ。

 

だけど僕は、マジシャンになりたいと思ったことは一度もないのだ。

乗り越えるも何も、マジックショーをやりたいとすら思っていない。パパンのように、タネとしかけと恋に落ちて、彼らをかわいがった覚えもない。あんな奇妙なことを自分がみんなの前でやってみせたことだって正直まったく嬉しくない。「できる」と「したい」と、ましてや恋はとにかく全く別物なのだ。

電話でそのことをパパンに話すと、しばらくパパンは何を言っていいか分からないという風に口ごもって、スパゲッティを茹ですぎてしまうから、という言葉を最後にそのまま電話が切れた。

おそらく、僕はパパンのナイーブな未練をうっかり蒸し返してしまったのだろう。

だけどやっぱり僕はマジシャンになりたいとは思わないし、自分が何の気なしにやったことが素晴らしいショーになっていたとしても、周りの人には「気にしないで」と笑ってお茶を濁すしかない。

ましてやパパンの情熱を受け継いだ「偉大なマジッシャン」なんて僕はほんとうにまっぴらなのだ。

大名庭園、お着物道を通りゃんせ。

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まあこう見えて、あたしはこわがりやから、世の中にはこわいことってぎょうさんあると今まで思ってたんよ。

 

せやけどな、ほんまにおそろしくて、足ビビビってすくんでまうような、そんなおっとろしいもんなんて、そうそうあらへんねやってあたし、こないだ分かってしもてん。

 

ちゅうのもな、お庭歩きのことや。

 

あそこの大名庭園は裏門の鍵がだるだるやから、一発忍びこんだれやってこないだ夜おそくに百ちゃん誘って二人で出かけてん。

 

春になれば染井吉野が咲きほこっとるお庭さんや。

ものごっつきれいやねんけど。あんたはどうせアンポンタンやから分からんやろ。

まあええわ。

 

そのお庭さんがな、この時期はまた紅葉やで紅葉。

もみぢ狩りの狩り場やで。

おもてからちょこっと中をのぞくともうな、真っ赤なお城や。

昼間はおっちゃんおばちゃんがぎょうさんつめかけよる。

まあ年寄りの観光名所やな。

わらわら人がおって、地元の人間にはうっとおしい眺めや。

 

せやけど、夜は別でな。

夕方5時には正門が閉まるから、誰もおらんくなる。

さぞかし静かやろ。

誰もおらん紅葉のお庭を2人じめや。ええやんええやん。

そう思って百ちゃんと出かけてん。

 

裏門の前までさむさむ言いながら、百ちゃんとカイロにぎにぎしてな。

閉門の5時もとっくにすぎて晩御飯の時間や。

ほしたら着いてびっくり。目ん玉とれたわ。

 

むっちゃ人おるやん!

 

そうなんよ。

夜の庭園をライトアップするっちゅう、なんちゃらウィークや。

 

なんやもう、あてがはずれたわって思ったけどもやな。

そこで帰るんもさみしいやんか。

ほんならふつうに入ろかっちゅう話になって、

百ちゃんと切符買うて中に入ったわ。

まあまあ、そこは正解やったな。

 

一歩お庭に踏み込んだら、見渡すかぎり万華鏡や。

びうてほーや。

うっつくしい眺めやった。

 

ちっこいもみぢの葉が、何枚も何枚も空中で重なってポーズつけとんねん。ジャンプしたまま降りられへんバレリーナやで。

ずっとずっときれいなまんま、そこで時間が止まりよる。

 

興奮した百ちゃんが

「お着物の柄の中、歩いとるみたいやなぁ」

って言うたから、興奮したあたしも

「ほんまやな、お着物の柄の中やわ。お着物道やわ。」

って答えといた。

 

吹流しの袖口を抜けると、お池にぶちあたってな。

端っこから端っこまで、泳いだら何分くらいかかるお池やろ。

まあ水泳部員とちがうから、そこらへんはわからんかったけど。

とにかく、ごっつでっかいお池や。

そのお池に、ライトアップされたもみぢやらつつじやらが色とりどりに映りこんで、水面がまるで鏡なんよ。

見事なもんやで。想像してみい。

あたり一面、水でできた鏡ばりの絨毯や。

そこに金ピカの秋が、うっとり優雅な顔しはって寝そべってるんやから。

ほんでもって、風が吹いたりすると水の波紋に合わせてな、鏡の中の景色がゆらゆらちゃぷちゃぷ揺れたりするんよ。

なんやたまらんかったわ、あんまり浮世ばなれしとって。

 

あたしがゾクゾクしながら見とれとったら、

「まるで穴や。」

お池さん指さして、百ちゃんがそんなことを言うた。

 

たしかに明るく照らされた岸辺のところ以外は、

百ちゃんの言うたとおり池はがらんどうで、

地面にでっかい穴がぽっかり口を開けとるみたいやった。

 

「なあ。これはたぶん、じごくあなやで。

 落ちたら絶対じごくに落ちる、じごくあなやで。」

 

百ちゃんは穴の淵に立ちすくんで、でかいでかい地獄への入り口をはやしたてる。

 

いや、ちゃうで。

でかい池が地獄へ通じる地獄穴で、怖い怖いっちゅうオチやないんよ。

 

まあまあ、たしかにあんだけおっきな落とし穴が、夜道に口開けとったら、そらそれで、むちゃむちゃ怖いねんけどやな。

 

ちゃうねん。

そっから後の話や。

 

池からまた元の着物道を引き返して、百ちゃんとふたり、吹流しの模様になって歩いとった時や。

 

もう裏門も近いでって辺りで、ふと名残り惜しくなって百ちゃんもあたしも、お互いに立ち止まったんよ。

後ろにも前にもずっと続く紅葉の赤々とした眺めや。

うちらは、なんとなく口もきかんと黙ってしばらくそれを見てたんよ。

まあ、日本人やしな。秋の風情に感じ入る瞬間やった。

 

そん時や。

あんまりその眺めが美しかったせいやろか。

 

「ほんまはあたし、いまここにおらんのとちがうか。」

 

そんなクエッションが、夜空からぽかーんと心のなかに落っこちてきて、

そこでピタッと止まってん。

 

どっから落ちてきたのか知らんけど、なんや赤や黄や橙の秋の切れ端を見てるうちに、へいこうかんかく、みたいなもんが、どっかでおっきく傾いてしまったのかもしれん。

 

その「ピタッ」の瞬間から。

こんな浮世ばなれした眺めは、現実にはありえへんのと違うやろか。

自分の心ん中にしかありえへん眺めなんと違うやろか。

どんどんそないに思えてくんねんな。

 

ほんでな、もし仮にそう思たことがほんまやったらな

仮に、目の前の景色が心ん中にしかありえへんものやとしたらやな。

 

あたしがいま見ている、この紅葉のうっつくしい絵っちゅうのはや。

あたしの心の中のうっつくしい絵やねん。

あたしはあたしのこころんなかをうっつくしいけしきとか思てながめとんねん。

 

そんでな、中のもんが外にもあるっちゅうことはな、

あたしの外側と内側がおんなじうっつくしい模様でつながっとんねん。

地続きやねん。

 

ちゅうことはや。

その外っかわと内っかわの間に突っ立っとる

このあたしっちゅう仕切りは一体なんやねんな。

うっつくしい外っかわの模様とうっつくしい内っかわの模様を

なんで途中で区切っとんねん。分けとんねん。

そんなん、せんでええやん。

仕切りなんか、いらんやんか。

 

そう思えてきてん。

 

ほしたら、障子紙が水に溶けるように、あたしもこの模様の中に、溶けてしまうのがよろしい。

いや、ちゃうな。

もうはなから、あたしはこの模様に溶けとんねや。

ここにはせやから、あたしはもうはじめからおらんねや。

 

そうやった。

ここにあたしはおらんねや。

 

 

 

百ちゃんがあたしの手を引っ張っらんとそのままやったら、

あたしはきっと、あそこで溶けてなくなってたと思うねん。

 

その証拠に、裏門から出たあと街灯の光に洗われると、あたしの体にずしんと何かの重さが戻ってきてん。

それが何やったのかと聞かれると困ってしまうんやけど。

百ちゃんのおかげで命拾いしたわって、その時に思た。

 

そうや。

きっとあれは、お庭の中で落っことしそうになった、あたしの命の重さかもしれへんな。

あのお庭の眺めの中には、

 

やめとこ。

 

あたしが恐ろしいのは、あん時、あの模様に溶けてしまうことがきっと正しいって、自分がはっきりそう思ってたっちゅうことや。

恐ろしいなんて、微塵も思わんかったっちゅうことや。

 

恐ろしいもんを恐ろしいと感じなくなる。

そんな風にかどわかされたら、人間なんてひとたまりもないわ。

 

それにくらべたら、こわいこわいって怖がってられるもんなんて、まだまだかわいいもんやで。

 

ほんまに。

幽体離脱の父。

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困っているのは、ほかでもない

私の父のことなのです。

いったい、いつから始まったのか、

私もくわしく知りません。

よくよく記憶をたどってみれば

確かに、赤いランドセル。

わたしが九九を習うころ

事態はすでに

あのすがた

 

あのころ

わたしが恐れたものは

宿題だとか犬だとか

スカートめくりなどでなく

息をひそめてこっそりと

上履きの中に隠れてる

わたしの父のことでした。

 

お父さんはおそらくね、

ひどく心配性なのよ。

 

母は事が起こるたび

わたしにそう言い聞かせます。

「会社の人も言ってるの。

ひどく真面目な人だから。

きっと心配しすぎるの。

ときどきムキになりすぎるんだ。

悪いことじゃあ、ありません。

よくある事とも思えませんが

あってはならない事じゃあない。

だってあなたのご主人でしょう。

悪く出るとは思えませんよ。」

知らない男が家に来て

母の鼓膜にベタベタと

甘いことばを塗りつけます。

 

そんなときに限って父は

いつも会社にいるんです。

心配性が途切れると

仕事に溺れてしまうのです。

自分の殻にこもるのです。

心が弱い人なんです。

 

中学の時は筆箱に

高校では生理用品の隙間で

父はわたしの心配を続けました。

包み隠さぬ友人たちは

ときどき私に言いました。

 

「わかっているとは思うけど、

いつもあなたのお父さん、

幽体離脱してるわね。

柱のかげや机の中で

こっそりあなたを見てるわね。」

 

わかっているからなおのこと、

口にされると困るのです。

父に悪意はないんです。

ただ心配性がすぎるんです。

だから体を脱ぎ捨てて

わたしの傍にいたいんです。

 

そんなわたしの父ですが

それでも世間は優しくて

会社も首にはなりません。

幽体離脱をする人は

よほど丈夫にできていて

首もなかなか切れないらしく

それでも無理やり切ろうとすると

不当解雇になるそうです。

世の中やさしくできています。

 

そんな父も

つい先月

賃金労働の夢から覚めて

晴れて定年を迎えました。

家に居るのが常になり、

母もひどく喜んでいます。

これで父の幽体離脱

すっかり影をひそめるだろうと。

 

案の定、

父は体を脱がなくなって

心配性も止みました。

わたしが父を思い出し

出先で財布を開けてみても

そこにはもう

父の姿はありません。

ときどき寂しくもなるけれど

これでよかった気がします。

 

子離れとはよく言いますが

父はようやくわたしを離れ

ほったらかしの自分の住処に

ちゃんと戻っていったのです。

終の住処を見つけたように

父は幸せな顔になりました。

考えてみれば

人間は

そもそも

体と生きるんです。

幽体離脱しなくても

心配くらいできるのです。

 

わたしがちかごろ

困るのは、

そんな父のことなんです。

自分の体に戻ってからは

父は 強気になりました。

心配性は止んだのですが

すこぶる強気になりました。

 

心の弱い人間の

強気はたまに

たちが悪い

 

わたしの父がいい例です。

わたしがどこかへ行こうとすると

外から鍵をかけるのです。

窓も全部を閉じるのです。

たまったものじゃあありません。

仕方がないのでこっそりと

新聞受けから外に出ます。

それでも父はあきらめず

私が帰ると鍵をかけ

むごい仕打ちをするのです。

一生出るなと言うのです。

 

出るなと言われた

その部屋は

一生居るには退屈で

捨ててしまうには惜しいのです。

だから昼間の間だけ

わたしは家出をするのです。

そとをふらふら歩くのです。

うっかり車にはね飛ばされて

泣いては家に帰るのです。

高いところに登っては

捨てられぬ家を恨むのです。

家が一番という言葉は

負け惜しみなんだと思います。

家を捨てたその先に

行くところがないだけ

なんだと思います。

わたしの父にそう言うと

そうでもないさと

笑います。

いつでも家出が出来るよう

家に居るのがいいのだと。

宇宙人のきもち。

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宇宙人のきもち、を考えるときの私は、 だいたい地球人のきもち、を考えてしまっているのです。

宇宙人のきもち、を考えるときのいちばんのちゅういは、宇宙人は地球人にあらず。

そのことをちゃんと、よくよく、考えること。

それにつきるのだ、とファミマの店長さんは言います。

 

ファミマの店長さんは、北千住のファミリーマートではたらいています。

北千住のファミリーマートにも、ときどき、宇宙人が来るそうです。

宇宙人が来たな、というときには、店長さんもバイトさんも、心の中でいろいろなことを思うらしいです。

 

「UFOはどこにとめてきたのかな」

 

とか

 

「今日もおでんを買うのだろうか」

 

などなど。

 

もちろん、口では

「いらっしゃいませぇ」

とか

「お弁当はあたためますか?」

などと言ったりします。

 

そういえば、こないだ、バイトさんがうっかりお箸を入れ忘れたら、 宇宙人が泣いてしまった、と店長さんがなげいていました。

やっぱり宇宙人のきもち、はひとすじなわではいかないよ、

ぼくや君みたいな、その、地球人とおなじように考えていてはいけないよ、 とちょっと声を落として、 店長さんは、なんだかむずかしいかたちの、ため息のようなかたまりをひとつ、口の中から出してテーブルの上に置いたのでした。