ようこそ人類、ここは地図。

私たちにおける、素晴らしい座標を

マジカル・リサイクル・サービス

f:id:niga2i2ka:20170901131240j:plain

マジシャンになりたいと思ったことは一度もない。

タネとしかけを育てるのにずいぶん骨が折れると子どもの時から聞かされていたし、ほとんどお手本に近い失敗例を間近に見ながら育ったせいだ。

僕のパパンは生まれて1時間もたつともうマジシャンになると言い出して、子どもの頃からその欲望に周りの人間を巻き込んできた。結局は運と才能に恵まれていないことが段々わかってきたのだが、パパンはそれでも人生のかなりの時間を費やして、マジシャンになるべくもがいていた。

(彼はマジシャンに敬意を表して、それを「マジッシャン」と発音した。僕はどっちの言い方でも別にかまわないんじゃないかと思っていたけれど、パパンの前では一応そこには気を遣っていた。)

パパンはずいぶん熱心に手品の研究を続けていたし、各地の有名な「マジッシャン」にマジックの「コツ」を聞くために何日も車を走らせて大陸を縦横に行き来した。

 

だけど結局彼のそのおそるべき集中力はある日を境に矛先を変える。

長いこと手品によって目隠しされて気付かなかったようだけれど、パパンは実は相当に目移りしやすい性格だった。彼は手品修行の途中でパスタソース作りにハマってしまって、今はペンネのゆで加減やバジルや野菜の鮮度にうるさい、ふつうの庭師におさまっている。

(パパンの3番目のガールフレンドが僕の妹を産んだ年に、彼ははっきり家族の前で、「今日というこの日をもって、パパンはマジッシャンをあきらめる」とそう宣言した。)

 

4番目のガールフレンドと別れて落ち込んでいたパパンは、ある日オリーブの木の剪定中にアイスレモンティーを入れてくれた人妻と恋に落ちると、やがて彼女の望みどおり、シルクハットも鳩もダイスも、何年もかかって集めてきた倉庫2つ分の手品道具のすべてをあっさり手放した。マジカル・リサイクル・サービス。七色のペンキでそう書かれたトラックがやってくると、パパンの唯一ともいえる財産(リサイクルサービスの回収担当は見積書の「おもちゃ」という欄に迷いなくチェックを入れていた)を手際よく箱詰めにして、どこか知らないところへとそれらを永遠に運び去った。今から12年前の話だ。

 

それ以来、パパンはもう二度と手品を披露しようとはしなかったし、タネやしかけについてのお得意の講義もぶたなくなった。

僕は大人になり、特に好きでもない自動車修理工場に週6日通って、休みの日にはじっくり油の染み込んだ分厚いつなぎを2着、ランドリーマシーンに放り込む。ガールフレンドはたまに家までやってくるが、時々二度とやってこない。

だいたいそんな風なことが繰り返されて、そのサイクルの中に含まれるひとつひとつの出来事に僕はペプシを飲んで納得する。なかなか見事なゲップが出ると、自分の暮らしがまた一周し終わった合図だ。ささやかなピリオドがひとつ、僕の歴史年表に打たれる。

 

自分にはマジシャンの素質があるのかもしれない。

だから僕がそんな風に思い始めたのは、本当に思いがけないことだった。きっかけというほどのことはない。ただ、ごく自然にそれは起こって、その場に居合わせた全員をぽかんと驚かせたまま、僕はそれがマジックなんだということをごく淡々と受け止めるしかなかった。

その日の僕らは工場の休憩室で、まだ終業時間前だというのに、テレビを見ながら冷たいビールを飲んでいた。

喘息もちの工場長が見回り中に発作で死にそうになっていたのをレスキュー隊員に引き渡して、僕らはもうすっかり仕事する気分じゃなくなって、とりあえず酒でも飲もうと誰かが言い出したのに従ったのだ。

やりかけの仕事は残っていたけれど、ちょうど太陽も落ちてきて、ただでさえ照明の足りない工場の中は隅の方から暗闇がしずかに広がってきていた。

何人かは家に帰り、帰ってもしかたない連中はなんとなく残った。冷蔵庫から何本かのコロナとビールを取り出して栓を抜くと、僕はほかの連中と休憩室のぼろいテレビを眺めていた。

フットボールの試合がだらだらと続いていた。

そろそろ隣に座った奴が玉突きにでも行こうと誘いをかける頃合いだった。

だけどその日に限ってそいつは空の瓶を振ってこう言った。おい、もう酒はないのかよ。

それは一番年下の僕に、椅子から立ち上がってさっさと冷蔵庫の中を確かめてこい。そういう意味だ。

去年の夏、女房に逃げられた可哀そうな男だ。工場にはそんな連中ばっかりが吹き溜まりみたいに集まっていた。

彼らのうつろな視線がテレビのガラス面越しに、ここではないどこかをさまよっていた。

休憩室のすみにある冷蔵庫は、低い不満の声に似たモーター音をたてて僕を見据えていた。

 

急に誰かが見事なパスを成功させて、相手チームが逆転のシュートを決めたらしい。小さな機械の箱から漏れる歓声と光が一瞬にして大きくなり、男たちは何も言わずその光景を見つめたまま、背中の影の色を濃く強めていた。僕はその後ろ姿を何か物悲しい気分で眺めた。

テレビの実況とだいぶずれたタイミングで、誰かが耳障りな奇声を上げた。酔っているのだ。べとついたドアの取っ手に手をかけたまま僕はその声を無視して、ゴールを決めた選手がチームメイトの輪の中に誇らしげに戻っていく様子をぼんやりと見ていた。

だからというわけではないけれど、冷蔵庫の一番近くにいたくせに、そのおかしな事態に気が付いたのは、僕が一番最後だった。みんなが僕の方を見てわあわあ騒ぎ出して、それでようやく何が起こっているかを知ったのだった。

 

僕はその日以来、あれこれと考えざるを得なくなった。心地よく意味のない僕の人生のサイクルが、知らない誰かのでかい手でぐしゃぐしゃに握りつぶされようとしている。その状況をペプシで一気に片づけることもできたが、それは最終手段にとっておこう。僕はめずらしくそう思った。

 

いったいどういうトリックを使ったんだ。

休憩室にいた連中は、あの後いっせいに僕に詰め寄った。

僕が開けた冷蔵庫の中には、つい1時間ほど前に運ばれていったはずの工場長がいたのだ。彼はがんじがらめの拘束具をつけられた状態で、クッションか何かのように丸まって、狭い箱の中に乱暴に押し込められていた。眼はかたく閉じられて、死んでいるようにも見えた。

事態がややこしくなったのはそのあとだ。僕が冷蔵庫を開け閉めするたびに、悲惨な姿の工場長がその中で出たり消えたりしたのだから。僕がそれを出そうと思えば出たし、消えろと念じればそれは消える。そしてまったく奇妙なことに、ほかの誰がやっても無駄だった。何度扉を開け閉めしても、そこにはコロナとジンジャーエールの瓶が2本。そしてカビの生えたラードの塊にバターナイフが刺さったまんま汚らしく転がっているだけだった。

僕が子どもの頃、パパンがよく話してくれた手品のタネとしかけの話。僕はその話を思い出さずにはいられなかった。それは自分だけの力でどうこうできるものじゃないんだ、とパパンは言った。それに見初められるかどうか、そこが大事なんだよ。(あとでそのくだりが有名な奇術師の受け売りだと知ることになるが、そこは仕方ない。僕のパパンはいろいろなものを寄せ集める才能だけは見事だったのだ。)

付き合いたてのガールフレンドと同じさ。お互いが恋に落ちたなら、あとは育てていくものなのさ。そいつがうまくいった暁には、きっと素晴らしいマジッシャンへの道が拓けるだろう。そしたらどんなヘビーなショーでも絶対乗り越えられる。神様の手が味方するんだよ。

 

だけど僕は、マジシャンになりたいと思ったことは一度もないのだ。

乗り越えるも何も、マジックショーをやりたいとすら思っていない。パパンのように、タネとしかけと恋に落ちて、彼らをかわいがった覚えもない。あんな奇妙なことを自分がみんなの前でやってみせたことだって正直まったく嬉しくない。「できる」と「したい」と、ましてや恋はとにかく全く別物なのだ。

電話でそのことをパパンに話すと、しばらくパパンは何を言っていいか分からないという風に口ごもって、スパゲッティを茹ですぎてしまうから、という言葉を最後にそのまま電話が切れた。

おそらく、僕はパパンのナイーブな未練をうっかり蒸し返してしまったのだろう。

だけどやっぱり僕はマジシャンになりたいとは思わないし、自分が何の気なしにやったことが素晴らしいショーになっていたとしても、周りの人には「気にしないで」と笑ってお茶を濁すしかない。

ましてやパパンの情熱を受け継いだ「偉大なマジッシャン」なんて僕はほんとうにまっぴらなのだ。

大名庭園、お着物道を通りゃんせ。

f:id:niga2i2ka:20170901104229j:plain

 

 

まあこう見えて、あたしはこわがりやから、世の中にはこわいことってぎょうさんあると今まで思ってたんよ。

 

せやけどな、ほんまにおそろしくて、足ビビビってすくんでまうような、そんなおっとろしいもんなんて、そうそうあらへんねやってあたし、こないだ分かってしもてん。

 

ちゅうのもな、お庭歩きのことや。

 

あそこの大名庭園は裏門の鍵がだるだるやから、一発忍びこんだれやってこないだ夜おそくに百ちゃん誘って二人で出かけてん。

 

春になれば染井吉野が咲きほこっとるお庭さんや。

ものごっつきれいやねんけど。あんたはどうせアンポンタンやから分からんやろ。

まあええわ。

 

そのお庭さんがな、この時期はまた紅葉やで紅葉。

もみぢ狩りの狩り場やで。

おもてからちょこっと中をのぞくともうな、真っ赤なお城や。

昼間はおっちゃんおばちゃんがぎょうさんつめかけよる。

まあ年寄りの観光名所やな。

わらわら人がおって、地元の人間にはうっとおしい眺めや。

 

せやけど、夜は別でな。

夕方5時には正門が閉まるから、誰もおらんくなる。

さぞかし静かやろ。

誰もおらん紅葉のお庭を2人じめや。ええやんええやん。

そう思って百ちゃんと出かけてん。

 

裏門の前までさむさむ言いながら、百ちゃんとカイロにぎにぎしてな。

閉門の5時もとっくにすぎて晩御飯の時間や。

ほしたら着いてびっくり。目ん玉とれたわ。

 

むっちゃ人おるやん!

 

そうなんよ。

夜の庭園をライトアップするっちゅう、なんちゃらウィークや。

 

なんやもう、あてがはずれたわって思ったけどもやな。

そこで帰るんもさみしいやんか。

ほんならふつうに入ろかっちゅう話になって、

百ちゃんと切符買うて中に入ったわ。

まあまあ、そこは正解やったな。

 

一歩お庭に踏み込んだら、見渡すかぎり万華鏡や。

びうてほーや。

うっつくしい眺めやった。

 

ちっこいもみぢの葉が、何枚も何枚も空中で重なってポーズつけとんねん。ジャンプしたまま降りられへんバレリーナやで。

ずっとずっときれいなまんま、そこで時間が止まりよる。

 

興奮した百ちゃんが

「お着物の柄の中、歩いとるみたいやなぁ」

って言うたから、興奮したあたしも

「ほんまやな、お着物の柄の中やわ。お着物道やわ。」

って答えといた。

 

吹流しの袖口を抜けると、お池にぶちあたってな。

端っこから端っこまで、泳いだら何分くらいかかるお池やろ。

まあ水泳部員とちがうから、そこらへんはわからんかったけど。

とにかく、ごっつでっかいお池や。

そのお池に、ライトアップされたもみぢやらつつじやらが色とりどりに映りこんで、水面がまるで鏡なんよ。

見事なもんやで。想像してみい。

あたり一面、水でできた鏡ばりの絨毯や。

そこに金ピカの秋が、うっとり優雅な顔しはって寝そべってるんやから。

ほんでもって、風が吹いたりすると水の波紋に合わせてな、鏡の中の景色がゆらゆらちゃぷちゃぷ揺れたりするんよ。

なんやたまらんかったわ、あんまり浮世ばなれしとって。

 

あたしがゾクゾクしながら見とれとったら、

「まるで穴や。」

お池さん指さして、百ちゃんがそんなことを言うた。

 

たしかに明るく照らされた岸辺のところ以外は、

百ちゃんの言うたとおり池はがらんどうで、

地面にでっかい穴がぽっかり口を開けとるみたいやった。

 

「なあ。これはたぶん、じごくあなやで。

 落ちたら絶対じごくに落ちる、じごくあなやで。」

 

百ちゃんは穴の淵に立ちすくんで、でかいでかい地獄への入り口をはやしたてる。

 

いや、ちゃうで。

でかい池が地獄へ通じる地獄穴で、怖い怖いっちゅうオチやないんよ。

 

まあまあ、たしかにあんだけおっきな落とし穴が、夜道に口開けとったら、そらそれで、むちゃむちゃ怖いねんけどやな。

 

ちゃうねん。

そっから後の話や。

 

池からまた元の着物道を引き返して、百ちゃんとふたり、吹流しの模様になって歩いとった時や。

 

もう裏門も近いでって辺りで、ふと名残り惜しくなって百ちゃんもあたしも、お互いに立ち止まったんよ。

後ろにも前にもずっと続く紅葉の赤々とした眺めや。

うちらは、なんとなく口もきかんと黙ってしばらくそれを見てたんよ。

まあ、日本人やしな。秋の風情に感じ入る瞬間やった。

 

そん時や。

あんまりその眺めが美しかったせいやろか。

 

「ほんまはあたし、いまここにおらんのとちがうか。」

 

そんなクエッションが、夜空からぽかーんと心のなかに落っこちてきて、

そこでピタッと止まってん。

 

どっから落ちてきたのか知らんけど、なんや赤や黄や橙の秋の切れ端を見てるうちに、へいこうかんかく、みたいなもんが、どっかでおっきく傾いてしまったのかもしれん。

 

その「ピタッ」の瞬間から。

こんな浮世ばなれした眺めは、現実にはありえへんのと違うやろか。

自分の心ん中にしかありえへん眺めなんと違うやろか。

どんどんそないに思えてくんねんな。

 

ほんでな、もし仮にそう思たことがほんまやったらな

仮に、目の前の景色が心ん中にしかありえへんものやとしたらやな。

 

あたしがいま見ている、この紅葉のうっつくしい絵っちゅうのはや。

あたしの心の中のうっつくしい絵やねん。

あたしはあたしのこころんなかをうっつくしいけしきとか思てながめとんねん。

 

そんでな、中のもんが外にもあるっちゅうことはな、

あたしの外側と内側がおんなじうっつくしい模様でつながっとんねん。

地続きやねん。

 

ちゅうことはや。

その外っかわと内っかわの間に突っ立っとる

このあたしっちゅう仕切りは一体なんやねんな。

うっつくしい外っかわの模様とうっつくしい内っかわの模様を

なんで途中で区切っとんねん。分けとんねん。

そんなん、せんでええやん。

仕切りなんか、いらんやんか。

 

そう思えてきてん。

 

ほしたら、障子紙が水に溶けるように、あたしもこの模様の中に、溶けてしまうのがよろしい。

いや、ちゃうな。

もうはなから、あたしはこの模様に溶けとんねや。

ここにはせやから、あたしはもうはじめからおらんねや。

 

そうやった。

ここにあたしはおらんねや。

 

 

 

百ちゃんがあたしの手を引っ張っらんとそのままやったら、

あたしはきっと、あそこで溶けてなくなってたと思うねん。

 

その証拠に、裏門から出たあと街灯の光に洗われると、あたしの体にずしんと何かの重さが戻ってきてん。

それが何やったのかと聞かれると困ってしまうんやけど。

百ちゃんのおかげで命拾いしたわって、その時に思た。

 

そうや。

きっとあれは、お庭の中で落っことしそうになった、あたしの命の重さかもしれへんな。

あのお庭の眺めの中には、

 

やめとこ。

 

あたしが恐ろしいのは、あん時、あの模様に溶けてしまうことがきっと正しいって、自分がはっきりそう思ってたっちゅうことや。

恐ろしいなんて、微塵も思わんかったっちゅうことや。

 

恐ろしいもんを恐ろしいと感じなくなる。

そんな風にかどわかされたら、人間なんてひとたまりもないわ。

 

それにくらべたら、こわいこわいって怖がってられるもんなんて、まだまだかわいいもんやで。

 

ほんまに。

幽体離脱の父。

f:id:niga2i2ka:20170901101439j:plain

困っているのは、ほかでもない

私の父のことなのです。

いったい、いつから始まったのか、

私もくわしく知りません。

よくよく記憶をたどってみれば

確かに、赤いランドセル。

わたしが九九を習うころ

事態はすでに

あのすがた

 

あのころ

わたしが恐れたものは

宿題だとか犬だとか

スカートめくりなどでなく

息をひそめてこっそりと

上履きの中に隠れてる

わたしの父のことでした。

 

お父さんはおそらくね、

ひどく心配性なのよ。

 

母は事が起こるたび

わたしにそう言い聞かせます。

「会社の人も言ってるの。

ひどく真面目な人だから。

きっと心配しすぎるの。

ときどきムキになりすぎるんだ。

悪いことじゃあ、ありません。

よくある事とも思えませんが

あってはならない事じゃあない。

だってあなたのご主人でしょう。

悪く出るとは思えませんよ。」

知らない男が家に来て

母の鼓膜にベタベタと

甘いことばを塗りつけます。

 

そんなときに限って父は

いつも会社にいるんです。

心配性が途切れると

仕事に溺れてしまうのです。

自分の殻にこもるのです。

心が弱い人なんです。

 

中学の時は筆箱に

高校では生理用品の隙間で

父はわたしの心配を続けました。

包み隠さぬ友人たちは

ときどき私に言いました。

 

「わかっているとは思うけど、

いつもあなたのお父さん、

幽体離脱してるわね。

柱のかげや机の中で

こっそりあなたを見てるわね。」

 

わかっているからなおのこと、

口にされると困るのです。

父に悪意はないんです。

ただ心配性がすぎるんです。

だから体を脱ぎ捨てて

わたしの傍にいたいんです。

 

そんなわたしの父ですが

それでも世間は優しくて

会社も首にはなりません。

幽体離脱をする人は

よほど丈夫にできていて

首もなかなか切れないらしく

それでも無理やり切ろうとすると

不当解雇になるそうです。

世の中やさしくできています。

 

そんな父も

つい先月

賃金労働の夢から覚めて

晴れて定年を迎えました。

家に居るのが常になり、

母もひどく喜んでいます。

これで父の幽体離脱

すっかり影をひそめるだろうと。

 

案の定、

父は体を脱がなくなって

心配性も止みました。

わたしが父を思い出し

出先で財布を開けてみても

そこにはもう

父の姿はありません。

ときどき寂しくもなるけれど

これでよかった気がします。

 

子離れとはよく言いますが

父はようやくわたしを離れ

ほったらかしの自分の住処に

ちゃんと戻っていったのです。

終の住処を見つけたように

父は幸せな顔になりました。

考えてみれば

人間は

そもそも

体と生きるんです。

幽体離脱しなくても

心配くらいできるのです。

 

わたしがちかごろ

困るのは、

そんな父のことなんです。

自分の体に戻ってからは

父は 強気になりました。

心配性は止んだのですが

すこぶる強気になりました。

 

心の弱い人間の

強気はたまに

たちが悪い

 

わたしの父がいい例です。

わたしがどこかへ行こうとすると

外から鍵をかけるのです。

窓も全部を閉じるのです。

たまったものじゃあありません。

仕方がないのでこっそりと

新聞受けから外に出ます。

それでも父はあきらめず

私が帰ると鍵をかけ

むごい仕打ちをするのです。

一生出るなと言うのです。

 

出るなと言われた

その部屋は

一生居るには退屈で

捨ててしまうには惜しいのです。

だから昼間の間だけ

わたしは家出をするのです。

そとをふらふら歩くのです。

うっかり車にはね飛ばされて

泣いては家に帰るのです。

高いところに登っては

捨てられぬ家を恨むのです。

家が一番という言葉は

負け惜しみなんだと思います。

家を捨てたその先に

行くところがないだけ

なんだと思います。

わたしの父にそう言うと

そうでもないさと

笑います。

いつでも家出が出来るよう

家に居るのがいいのだと。

宇宙人のきもち。

f:id:niga2i2ka:20170901093832j:plain

宇宙人のきもち、を考えるときの私は、 だいたい地球人のきもち、を考えてしまっているのです。

宇宙人のきもち、を考えるときのいちばんのちゅういは、宇宙人は地球人にあらず。

そのことをちゃんと、よくよく、考えること。

それにつきるのだ、とファミマの店長さんは言います。

 

ファミマの店長さんは、北千住のファミリーマートではたらいています。

北千住のファミリーマートにも、ときどき、宇宙人が来るそうです。

宇宙人が来たな、というときには、店長さんもバイトさんも、心の中でいろいろなことを思うらしいです。

 

「UFOはどこにとめてきたのかな」

 

とか

 

「今日もおでんを買うのだろうか」

 

などなど。

 

もちろん、口では

「いらっしゃいませぇ」

とか

「お弁当はあたためますか?」

などと言ったりします。

 

そういえば、こないだ、バイトさんがうっかりお箸を入れ忘れたら、 宇宙人が泣いてしまった、と店長さんがなげいていました。

やっぱり宇宙人のきもち、はひとすじなわではいかないよ、

ぼくや君みたいな、その、地球人とおなじように考えていてはいけないよ、 とちょっと声を落として、 店長さんは、なんだかむずかしいかたちの、ため息のようなかたまりをひとつ、口の中から出してテーブルの上に置いたのでした。

発明の国、ヒラメキア円卓会議。

f:id:niga2i2ka:20170831200551j:plain

 

紫陽花型の爆弾を作ろうと思ったけれど

紫陽花というのはたちまちに滅びて

ピカピカとはしておられぬ性質らしく

紫陽花型の爆弾を仕掛けたところで

爆発までのしばしの期間

ちっとも枯れていかぬのは

怪しいぞ怪しいぞなんて

顔を覆いたくなるほどに怪しまれてしまうのが

目に見えているので

紫陽花型の爆弾を作るのはもう中止です。

✳︎

 

「ものもらい」になった時に備えて

第三の眼があったら便利に違いない。

両眼が赤く膨れ上がって視界10パーセントに

なってしまった時でも

ポケットからサッと第三の眼を取り出して

しかるべき位置にスチャリと装着すれば

こりゃ便利。

見えるぞ見える眼が見える。

一人一球、予備の眼を持とう!

問題なのは 、

人は何時何処で「ものもらい」に罹るのか、

まったく予想がつかないという事で

あ!かかったな!と思った時には

戸棚の中で長いこと忘れられていた第三の眼は、

ふさふさカビを生やして

毬藻状の物体になっているかもしれぬのです。

そんなふさふさした目玉を見るのは忍びないので

第三の眼はもう用意しなくていいです。

 

✳︎

親切なおにいさん。

酔っ払った友人知人を道端で介抱していると

袋状のものを差し出してくれる親切なおにいさん。

コインランドリーで小銭に困っていると

200円と粉末洗剤を恵んでくれる親切なお兄さん。

夜中に恋人と喧嘩をして裸足で外に飛び出すと

何も言わずに朝までそばに居てくれる親切なおにいさん。

おにいさんはいつも同じ迷彩柄の服を着ているので

すぐに「親切なおにいさん」だと分かります。

けれど近頃、

おにいさんがちょっと親切すぎるんじゃないか

という気がだんだん我々はしてきたので

お兄さんの親切は当分は自粛してほしいです。

 

 

✳︎

一人称の貸し出しについて。

一人称を人に貸していたところ結構利子がついて

返ってくるのが意外です。

返却済み一人称を、たまに自分が使おうという段になって

随分と使い勝手がよくなって

言いたいことをツイツイっと言葉にできたりして

何が違うんだろとうんうん考えると

貸し出す前よりも一人称が油を差したみたいに

饒舌でちょっと「うわて」になっているようなのです。

シャンプーなんかも違う種類に変えると

もともとの成分以上に効果がよくでて髪イキイキ

と評判だけど

一人称もたまに他の人に使ってもらうと

いい刺激になってツヤツヤしてくるんですね。

なので、一人称の貸し出しはまだ続けます。

 

本日の議題については以上です。

次回の開廷は100年先です。

ぼくは供物。

f:id:niga2i2ka:20170831194139j:plain

お兄さんがもうだめだらうと言うので、僕はあきらめてしまいました。

今までのようにおもてを出歩いたり、お友達に会ったりすることもせず、昼間でも部屋を暗くして、鼻をほじったり、コップの水をぶくぶくと吹いて、あとは始終あおむけになって天井ばかりを見ています。

お姉さんはそのことで、お兄さん方を責めました。お医者さまにもみせないなんてっ、というお姉さんの金切り声が、この屋根裏部屋にまで聞こえてきたかと思うと、そのあと急に静かになって、優しいお姉さんの鳴く声がしくしく響いておりました。そうしてその後お姉さんは、二階の涼しい部屋に寝かされたのだと思います。暗くなるまで応接室でお兄さん方がひそひそと、おそらく僕のことでせう。相談ごとをしています。

 

僕はいったいどうなるのだらう。

静まり返ったお部屋の中でそんなことが気がかりで、じっと籠っていることがだんだん苦痛になりました。それで少しお兄さん方の相談に聞き耳をたててやらうと、女中のひとりを呼びました。

この僕の声はもうかすかなので、つまりは誰にも聞こえてなくて、それがいっそうつまりません。ですが、ちょうど二時間おきに水差しをもってやってくる女中の砂子が来たもので、おひ、おまへ。ぼくを居間まで運んでおくれ。そう言ってやると、砂子はびっくりしたように水差しを落として、ぶくぶく何かをわめきながら大階段を駆け下りて、どこかへ行ってしまいました。

 

ばかめ、なにをそんなに驚くことがあらうか。僕はすっかりあきれてしまい、水びたしになった木の床をしらけた気持ちで眺めます。すると、にわかに階下がさわがしく、おだやかでない声がします。いったい何のさわぎだらう。僕はもう下へ降りるのもあきらめてしまって、あいかわず涼しい籐編みの椅子の上に寝そべっておりましたが、やがて扉をどんどんと叩く音に、ぱっと面を上げました。見ると、僕の一番上のお兄さんが青ざめた顔で立っています。末のお兄さんとその双子のお兄さんが、あとからばらばらと追いつく格好。そしてその後ろには、さっき逃げるように部屋を飛び出していった砂子もぶるぶる体を震わしながら、たくましいお兄さんたちの背中の影に隠れるように僕のほうを見ています。

よし、今日こそ覚悟をきめた。ここは長男がけじめをつけやうぢゃありませんか。一番上のお兄さんはほかのお兄さん方にそう言うと、砂子に合図を送ります。砂子はぼんやり動きません。お兄さん方の顔を眺めまわして、これはいったい何のさわぎでせう。僕が不思議そうに首をかしげますと、末のお兄さんが砂子からひったくるように、その手にあった銀のお盆を取り上げて、「はやうはやう」と急き立てます。一番上のお兄さんは、盆にのせられた小鉢と箸を取り上げて、あっと声を漏らします。

これはいけない。薬味ばかりだ。肝心のつゆがないようだ。お兄さんはそう言いながら、長いお箸で小鉢を混ぜて、ぐるぐるおつゆを探します。ほかのみんなも青ざめて、こちらをそっと見つめます。

ちょうどおつゆを切らしてますが、お醤油だったらござひます。けしからぬ女中はそう言うと、お醤油瓶を取り出して、葱や胡麻の入ったガラスの鉢にどぼどぼ下品に注ぎます。お兄さんはうなずいて、気を取り直したのかこう言います。うまく喰うための算段は、かえってよくないことだらう。英雄みたいに声を張り、お箸が僕をつかみます。薬味と醤油をまぶされて、おいしい匂いがしてきます。僕は喰われてしまふのだ。こんな体であるために。お兄さんの歯が近づいて、そろそろ観念した頃です。

 

その子は蕎麦ではありません! 

わたしの可愛い弟です!

 

面やつれした菩薩さま。

そう輝いて見えたのは、寝ているはずのお姉さん。僕の体は喰われる前に、どうやら救われたのでせう。お前は黙って寝ていろと邪険にふるまう長男を、お姉さんはぶちました。お兄さんの歯が抜けました。何てお馬鹿をなさるのですか、弟を箸で喰うなんて。そもそもこれはあなたの呪い、うどんを粗末にしたせいです。

事情を知らないみなさんは、そこで初めて知りました。

一番上のお兄さんがこの夏出かけた四国旅。お兄さんは喰いました。讃岐名物わんこうどん。ずるずるお椀を空にして、あげくの果てに言いました。やはり蕎麦には叶わない。かういうものは好きぢゃない。讃岐を守る神様は、うどんが好きな神様で、お兄さんの呟きをけしからぬことと決めました。それで呪いがやってきて、弟の僕が犠牲者に。

お姉さんの話が終わると、お兄さんを見る目は変わり、長男風もやみました。僕は体を洗われて、呪いがとけるその日まで、腐らずカビずにいるように、涼しい場所で過ごします。

良くも悪くも記憶に残る基礎挨拶講座その1。

f:id:niga2i2ka:20170831191620j:plain

とっても元気な小中学生、そして日本全国の大人のみなさん。

挨拶はすべてのコミュニケーションの基本です。

さっそく以下の例文を参考に、人様の記憶に残るステキな挨拶人を目指して練習してみましょう。

大きな声で、ご一緒に!

 

●朝ごはんを食べる前に

 

「いただきます」→「いただきマルクスエンゲルス

お母さんが飽きてきたと感じたら→「今日はいただきマルコムX

 

●部活動の先輩、上司の方への挨拶に

 

「おつかれさまです」→「おつカラマーゾフっす」

「お先に失礼します」→「オーシャンズイレブン観に帰ります」

 

●友人や恋人と喧嘩になったら

 

「ちょっと、その言い方はないんじゃない?」

→「チャイコフスキーはワカメ食べないんじゃない?」

「嗚呼ごめんなさい」

→「嗚呼ごめんなサインコサイン」

「アイムソーリー」

→「そのお面を取りなさい」

「いやぁこっちこそ悪かったよ」

→「そうじゃ。こっちょこちょにくすぐってやるぞ」

 

●寝る前に一言

 

「おやすみなさい。いい夢を」

→「おやおやスミス、今日も共喰いを」

「愛しているよ、ハニー」

→「語られる言葉が何を意味しているか。それは受け取る個々人の尺度によってずいぶん歪められてしまうことが分かっているよ」

 

✳︎

本日のレッスンはここまで。 次回もまた、みなさんと一緒に素敵な挨拶を練習していきますよ。

講師はアンかけご飯が大好き、トルビヨン・ブロムダールでした。

また来週お会いしましょう、シーユー砂糖醤油!!