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『赤い航路』×『ラスト・タンゴ・イン・パリ』 巨匠が作る愛の模型。

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ロマン・ポランスキー監督『赤い航路』

ベルナルド・ベルトルッチ監督『ラスト・タンゴ・イン・パリ

 

この2作品を日替わりで鑑賞。

性描写が多く直接的であるがゆえに、2作品とも「究極の愛とエロスを描いた問題作!」みたいな紹介をされている。

けれど、実際に蓋を開けて出てきたものは、地味でビターな人生のしくみ。

両作品に共通するのは、一組の男女が「凝縮された性の営み」を閉塞した日常からの逃避の場、あるいは刹那的に生の実感を得る手段として用いるうちに、肉体関係の停滞ばかりでなく、2人の人間としての関係性自体が摩耗した、輝きのないものへと老け込んでいく過程を描いているところ。

その過程をベルトルッチポランスキーも容赦なく、赤裸々に、シニカルに描いている。

うっとり酔える官能の世界を期待して観ると、その部分は見事に裏切られてしまう。

両作品によって味わうこの「裏切られ感」は、現実生活にも地続き。
実人生で色恋に裏切られるということは日常である。

(失速、幻滅、倦怠、不信、エトセトラエトセトラ・・・)

それとなかなかの接近度で肉薄しているという点において、両作品は個人の小さな世界を超えたスケールで見事な色恋の模型を完成し、その機能や内部構造、老朽化のサインなどをおしげもなく披露している。

恋が老いさらばえて愛に変わるのではない、ということ。
「自分の欠落した部分を、恋の相手が埋め合わせてくれる」

そんな思い込みを愛と誤解することで始まる不幸。 


個人的にはポランスキー監督の『赤い航路』において、ベルトルッチ監督の企みとテーマは洗練と完成をみたように感じた。

が、両者ともありふれた色恋の正体を暴きながら、けれどそこに一抹の美しさを添えることで、不思議な感動とともに生きることの味わいを教えてくれることに変わりはない。

追記:『赤い航路』に出演しているヒュー・グラントが男前なのに、まぬけな道化役で魅力を炸裂させている。 
単純で御しやすく、だからこそ愛に飲まれようのない、ある意味ハッピーな人間の典型をやり切っていて、心憎いキャスティング。こういう采配を見せられると好きになりますね。監督も役者のことも。

 

※本記事は2014年に別ブログに執筆したもの転載しています。