親になる事とは、無縁で生きていくのだと思っていた。
命を預かり、守り、育むという仕事が自分の人生に舞い込むことを想像して楽んだ日もあったが、それはもはや遠い過去の話である。
改めて人生を振り返ってみれば、結局親になる事はいつも自分から遠かった。
たとえば縁あって、妻になった時も。
父になりたいと願う人をつよくつよく愛した時も。
私はいつもどんな時でも母になる道を固辞し続けた。
その道を選ばなかった理由は判然としない。
妨げとなったものを書き連ねることができたなら、いっそサッパリとした心持ちで自分にも他人にも申し開きができそうに思うが、まったくよくわからない理由でもって、私は子を産むことも、親という立場を引き受けることも、やらず挑まず今日まで生きてしまった。
婚姻の最中、孫の顔が見たい、と請われた折は、自分の中にない色を出せと言われているような、泣きたいような心持ちになるばかりだったし、年増なのだから急いで子作りを、と道理を説かれれば、季節の終わりに焦るのはかえって不様だと居直る気持ちが湧いてきたものである。
そこには、他人の都合や価値観でもって自分の人生が圧迫されることへの反発心も多分にあったことは間違いないが、それでも自らの心に沿ったお節介であれば、軽く聞き流すこともできたはずだ。
けれど私は結婚を飛び出し、母となる運命を反故にした。
全身全霊で挑んだその脱出劇を悔いる気持ちは少しもないが、人の心を手折った時の鈍い痛みは忘れようがない。
独立国家を作るみたいな物々しい離縁の季節から数年を経た今思うことは、母となる道においては理屈などなく、単純な好き嫌いがあるだけ、ということである。
母の子として生まれてのち、いつの間にか女になった私は、妻になることはできても、自らが親になる事には生涯疎遠だと悟るための結婚であった。
当たり前のように母となっていく人たちを見るにつけ、何かを問われているような居心地悪さを抱いて過ごした時期もあったが、四十を目前にしてみると、自分に縁がない趣味や娯楽を一瞥するのと変わりなく、今では母になるという選択についてほとんど何も思わない。
人の好みに論理や筋道を求めて理由づけしたがるのは暇人のやることで、暇人代表のような暮らしを送っている私としても、好みは感覚の産物であると、そのくらいで分析をとどめておくのが上品な気がしている。
人の親になるということは、きっと素晴らしいことであるかしれない。けれど、自分がやるかと言われたら、決してやらないし好まない。
フルマラソンを走るのか、それとも走らないか。
いまの自分にとっては、そういう話と等価である。
そんなわけで、人の親となることなく、妻の座も降りて、ぼんやり一人で生きていくのだろうと思っていた私のところへ、この春二匹の猫がやって来た。
露天で死にかけている子猫たちを、もらってくれと言う人がいたのである。
獣の類を愛でる習慣もなければ、面倒見の良い人間でもないのに、なぜだか猫は引き取ろうという決意が生まれたのだから、人はわからない。
暴れ回って家の中を荒らすときには憎たらしい猫であるが、来客がある折には随分と怯えて決して人を信じない。物陰に隠れて、じっと気配を消している。そのくせ客が帰るが早いか、私を頼りにすり寄ってくる。気を許すとはこういう事かとまざまざ獣に教わる気分である。
動物病院に出向く折には、付き人である私は医者から「お母さん」なる呼称でもって呼びつけられる。
猫にしてみれば、私は「飼う人」ではなく、彼らの母であるらしい。
実際に猫たちがどう考えているのかは知るよしもないが、彼らを看取るその日までは決して野垂れ死するわけにはいかない、などと自分の柄にもないことを時々は胸に思うあたり、単なる飼育関係と捉えるよりも母子のようなウェットな呼び名こそが相応しいのかもしれない、などと思ったりもする。