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私たちにおける素晴らしい座標を

恩寵の五月、男たちは西に去る。

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5月の連休も特に変わったことなく暮らしていた。

出来事らしい出来事と言えば、男たちが私のもとを去っていった。

そのくらいである。

 

行きつけの店が開かなかったり、家の近くまで人人が押し寄せてきて引かず、駅までの数メートルを移動するにも難儀したりと、この時期ならではの不便が多くあった。

 

吉祥寺に暮らしているせいだ。

 

ここは素晴らしい町だけれど、その素晴らしさは時間帯と人間たちの混雑具合によって安安と転覆されうる、不安定な素晴らしさなのである。

 

ゴールデンウイークなるものが現象として押し寄せて日常生活を圧迫しているにも関わらず、世間並みの開放感と自分とはまったく無縁である。

 

そのことを悔しがって良い気はするものの、暦どおりに一喜一憂するだけが喜びというのも芸がない気がしている。

淡々と暮らしの不便に対処しながら、私はなるたけ平然と過ごそうという意気込みで5月の日々に臨むことにした。

 

天気の良い日は散歩に出かけ、草木を眺めたり、書店でめぼしいものを購ったりして楽しんだ。

人に会うこともなく、人が会いに来ることもなく、それだけでも非常に平穏で静かな5月の始まりである。

 

そう思っていた。

 

5月某日。

 

朝から立て続けに決別の報せが届いた。

近くに住む人から一通。

海の向こうに暮らす人から一通。

 

文面はどちらも似通っていて、もう君の人生の邪魔はしない、力になれなくてすまない、などと一見すると男らしい、エモーショナルで美しげな身引き文がしたためられていたが、要するに金輪際の連絡を断つからそのつもりで、という一方的な通告であり、その内容もさることながら、タイミング的にもいささか面食らうような唐突さであった。

 

 

相手は見知った人であり、けれど既にやりとりが途絶えて久しい人たちであった。

 

さらに言えば、私と彼らとは決別を通告されるほどに込み入った関係でもなくて、ただただお互いの人となりを曖昧に披露するだけの、たまに言葉を交わすくらいの、いわゆる文通相手であった。

 

そんな淡いはずの関係から、思いがけず前のめりな別れのメッセージが矢のように飛んできて、私は驚いた。怯んだ。

 

手切れのやり方は人それぞれ、千差万別であろうが、今回の彼らは黙って去っていくのではなく、わざわざこちらに宣言してくるあたり、何か腹に思うところがあるのか、そういう作法を重んじるタイプなのか。

 

考えながら、しかし一方的に自分が相手に振られたような格好になっていることを思うと、あまり明るい気分は湧いてこない。

自分の何が相手に作用して、関係の清算を決意させたのだろうか。

それ以前に、「別れ」を宣言させるような関係にまで導いたのは単純に相手の誤読なのか、こちらの不手際か。

 

釈然としないままで、どうぞお元気で、と去る人に見送る言葉を返す。

その夜は早めに床についた。

 

翌日、また別の人が手紙をよこす。

名古屋に住む人だ。

 

この春、花見がてら世間話をしていたら、名古屋で一緒に暮らさないかと誘われて、きっぱり断った相手である。

 

私が愚痴をこぼすとそれを慰める形で自分の願望を差し込んでくるその人は、こちらが断っても怯まない様子で、桜がすっかり終わった後も酒や食事の機会を伺ってくる。

 

入り口は友達という格好で誘い出し、酒が回る頃には男女の図式を描いているあたりが鬱陶しく、けれど好意を撥ね付けて気兼ねしないでいられるほど失礼でも乱暴でもない点が長らく悩ましい相手であった。

 

しかし好いた者同士ならともかく、やっと住み着いた念願の武蔵野を遠く離れて自分と一緒に名古屋で暮らせばよいという彼の先の申し出は、あまりに頓珍漢で間抜けに思えて、私はすっかり興が冷めた。

女の私がその日暮らしなのにかこつけて、面倒を見てやってもいい、という口ぶりで同居を提案する男の神経に、いったい何を言い出すのかと腹立ちもした。

 

もちろん男女の仲なれば、そんなやりとりも決して不自然なことではない。

私もそれは承知している。

けれど、相手は淡い飲み友達である。

 

異性とふたりきりで喫茶をすれば、それを逢引だと考える人もいるのかもしれない。

けれど、それを万人の価値観に当てはまることと拡大して勝手に色気づくのは古臭い。

 

そうまではっきり言うことはしなかったものの、名古屋の人にはこちらから絶縁したいと申し出た。

すると、これからも君の生き方を応援している、とメッセージが返ってきた。

 

身を引く時の男たちの言葉は、どうしてこうも遠い目をした文面なのか。

男の性欲とプライドをざっくり「ロマン」でひとまとめにして投げつけられた時に受けるダメージは、鋭い痛みよりタチ悪く、初めから古傷のような痛み方をする。

 

ともあれ、思いつく限りの男たちは去った。

どんな報せがきても、しばらくは微動だにせず落ち着いて開封できる自信すら湧いている。

それを思えばこの5月はまるで恩寵の日々であった。

男たちが今も暮らす西の方角を眺めながら、そんなことを独り思う。