ようこそ人類、ここは地図。

私たちにおける、素晴らしい座標を

三鷹、世界とバレリーナのための喫茶店。

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中央線の高架工事ですっかり様変わりしてしまった他の駅と違って、三鷹駅はまだかろうじて昔の佇まいを残している。

それが私には救いのように思われる時がある。

 

小学生の頃、バレエのレッスンのために電車を乗り継いで、三鷹駅前の小さな稽古場にひとりで通っていた。

駅を降りてすぐの、線路沿いの雑居ビルにはさまれた建物の中に幼い私のステージがあった。

 

まだ残っているだろうか。

そう思って、大人になって訪れると、バレエの稽古場だと思っていたその場所は日本舞踊を見せる演芸場の会議室であった。

 

当時の練習生だった私たちはレッスンがはじまる前に椅子や机を部屋のすみっこに寄せたり、バーレッスンの際につかまるための壁際の手すりは見つからなくて、自然折りたたんだ机の縁につかまって脚の上げ下げをしていたことなどが思い出されて、そうだったのかと今更ながら合点がいって可笑しかった。

厳しいレッスンをする先生は、いつも幼い乳飲み子を連れて稽古場に自転車で現れた。小さな町のバレエ教室だった。

会議室が畳敷きではなかったのが唯一の救いで、子供だった私は硬いリノリウムの床があるというだけで、そこをバレエを踊るためのステージだと信じて疑わなかった。電車の切符を握りしめ、長く伸ばした髪をお団子頭にひっつめて、大人たちに負けないようにと中央線の車両の扉付近にいつも凛々しく立っていた。

白いタイツと、バレエシューズを稽古バッグに詰めた、痩せぎすの小学一年生。

父はなく、母は不在がちで、ただ踊ることと、夢を見ることだけが慰めであった。

 

幾たびも転居を繰り返し、ふたたび武蔵野に戻ってきた今はあれから30年近く隔たっている。

バレエを踊るための凛々しさは一体何処で失くしたのか、今となってはもう持ち合わせてはいない。

 

冬から借りている今の部屋から財布と文庫本を手提げに入れて、ぽつぽつ歩くとすぐ三鷹駅だ。

最寄り駅ではないのに、その近さを最近になって発見して驚いている。

東京に暮らしていると、自分のいる場所がときどき思いがけないところに繋がって、それが面白い。

 

殺人的な吉祥寺の混雑に比べると三鷹駅前はとても寂しく、それなりに店数はあるものの熱量に乏しくて死にかけた人を訪ねている気分である。

店をのぞけば顔色の悪い店員がレジを打ち、生活に疲れた顔のアルバイトが棚に並べた化粧品の埃を払っている。

品物は色褪せて、建物は何かを諦めて久しい感じがする。

どこか地方都市のような空気をまといながら、それでもその寂しさの中に懐かしさをおぼえるのは、かつて見知った場所だからなのだろうか。

 

人が歩くには巨大すぎるバス通りが駅からまっすぐ北に伸びている。

その通り沿いに小さなカフェを見つけて、私はその隙間のような空間で椅子に座り、本を読む。

静かに過ごすための喫茶店です、という但し書きがあって、店内では声を失くしたように人々は沈黙に身を溶かし、ただ時がすぎるのをじっと味わっている。

 

物静かな店主に淹れてもらった珈琲を冷ましながら、日没によってトーンダウンしていく西の空をブラインド越しに眺めると、今日という1日はもう二度とやって来ないのだという刹那さを思う。悲しくはないのに、涙に似たものが込み上げてくる。

 

グラスに注がれた液体は少しも減ることがなくて、カップの中の珈琲からは温度だけが失われていく。

私は椅子に座るだけで何も減らしていないのに、今日は滅びて、手の届かない場所へと移動していく。

 

人々は気づいているのだろうか。

今日という日が人類にとって最初で最後の1日で、そのただ一度きりの塊が滅びようというこの瞬間は二度とこの地上にやって来ないのだというそのことを。

 

ただ一度きりの上映しかない映画のエンドロールを眺めるように、私は三鷹駅前にある小さな四角い覗き窓から、滅びゆく世界のラストショットをこの眼にじっと焼き付けている。

 

踊らなくなった今の私にできるのは振りほどくことで、古びた皮膚の中にうずまく思考のノイズを脇にどけて、あるがままに世界を観ることは、これからもきっと変わらず出来そうな気がしている。鎧を着せかけられたこの眼差しを、時々裸にして日の光にあてること。それを時々、思い出すことは。