ようこそ人類、ここは地図。

2月5日、ゆみの散文集。

春を呪えば、これがデビュー。

f:id:niga2i2ka:20180409111137j:plain

年末頃から始まった小説をなんとか書き上げて、制作中の疲労をまとめて清算する毎日である。

三ヶ月間、延々と机に座りノートパソコンの鍵盤を弾き鳴らしていたせいで、首と背中を痛めた。

酒も煙草も阿片の類も遠ざけていたかわりに、飲食の回数は無駄に増えて、おそろしいほど醜く肥え太っている。

視力は落ちて、虫歯は進み、医者にかかれば死にかけた人の体温に近い、などと診断が下る。

花粉が粘膜を爆撃したかと思えば、金属アレルギーがにぎやかに皮膚を溶かして、あらゆる病状をてきめんに治癒するという素晴らしい軟膏を買う金を人に借りて石焼ビビンパなどを喰い、どうにかこうにか生き延びる。

人生に起きた異変に軟膏を塗りたくるだけで、春の日々が過ぎていく。

 

茨城で間借りしていたアトリエを離れて、拠点をふたたび東京に置いて三ヶ月。

ようやく人間らしく暮らせるように家財道具も集まってきたものの、夏を控えて冷蔵庫がないのがやや不安ではある。

猫二匹をひきとって暮らし始めたが、まことに落ち着きがない生き物で、病的に神経質な私は早々に彼らとの同棲解消が頭をよぎる。

けれど、住居はすでに猫仕様にあちこち改造した後であり、私が外に出ればよいだけの話だと割り切って、1日の大半の時間を路上や公園やネットカフェで横になるなどして過ごし、家賃のかかる洒落たワンルームは猫たちにそっくり明け渡している。

ネットカフェの女子便所に貼られた、「住居喪失の危機にある人へ」と題した行政のポスターを毎日読み耽っている。

 

この春に仕上げた小説というのがなかなかの傑作らしく、人が褒めてくれる。

先生、などと私を呼ぶ人もある。

けれど、それだけのことだ。

家族は相変わらず私を蔑み、金も稼がず暮らすロクデナシだと責め立てる。

窓を開ければ、そこには祝福を受けたように花のつぼみがはじけている。

つよく風が吹いて、窓際に立つ私の脳天へと花粉を浴びせかける。

己にできることを淡々とやるしかないと割り切りながら、それでも凡庸な人たちへの羨望をやめることができない。

芸術はまことにすばらしいが、それだけしか出来ないとすればその境遇は不遇であり、その不遇を才能と呼べるのは他人事であるからで、当人にしてみれば大変に悲しく残念極まりない不幸なのである。

 

久しぶりに会った別れた夫から、勤めをしながら細々と創作をすればよいではないか、と至極まっとうな提案をされた。

それが出来たならどんなにか良いだろう。

切望しても、できない人間もいるのである。

何度も頓挫したあげく心まで病んだのだから、いい加減にそれが無理な人間もいることを許してくれてもよさそうなものだと春と夫を呪いかける。

けれど一度は元夫の楽観を残酷に思ったが、それが大方の人の常識的な意見であろうし、わたし自身でさえそういう人間が側に転がっていたら眉をひそめることだろう。

人間はどこまでも自分の味方で、都合よく常識を変形させて生きているものだとしみじみとするのが、いつからか葉桜の時期の習慣となりつつある。