ようこそ人類、ここは地図。

私たちにおける、素晴らしい座標を

幽体離脱の父。

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困っているのは、ほかでもない

私の父のことなのです。

いったい、いつから始まったのか、

私もくわしく知りません。

よくよく記憶をたどってみれば

確かに、赤いランドセル。

わたしが九九を習うころ

事態はすでに

あのすがた

 

あのころ

わたしが恐れたものは

宿題だとか犬だとか

スカートめくりなどでなく

息をひそめてこっそりと

上履きの中に隠れてる

わたしの父のことでした。

 

お父さんはおそらくね、

ひどく心配性なのよ。

 

母は事が起こるたび

わたしにそう言い聞かせます。

「会社の人も言ってるの。

ひどく真面目な人だから。

きっと心配しすぎるの。

ときどきムキになりすぎるんだ。

悪いことじゃあ、ありません。

よくある事とも思えませんが

あってはならない事じゃあない。

だってあなたのご主人でしょう。

悪く出るとは思えませんよ。」

知らない男が家に来て

母の鼓膜にベタベタと

甘いことばを塗りつけます。

 

そんなときに限って父は

いつも会社にいるんです。

心配性が途切れると

仕事に溺れてしまうのです。

自分の殻にこもるのです。

心が弱い人なんです。

 

中学の時は筆箱に

高校では生理用品の隙間で

父はわたしの心配を続けました。

包み隠さぬ友人たちは

ときどき私に言いました。

 

「わかっているとは思うけど、

いつもあなたのお父さん、

幽体離脱してるわね。

柱のかげや机の中で

こっそりあなたを見てるわね。」

 

わかっているからなおのこと、

口にされると困るのです。

父に悪意はないんです。

ただ心配性がすぎるんです。

だから体を脱ぎ捨てて

わたしの傍にいたいんです。

 

そんなわたしの父ですが

それでも世間は優しくて

会社も首にはなりません。

幽体離脱をする人は

よほど丈夫にできていて

首もなかなか切れないらしく

それでも無理やり切ろうとすると

不当解雇になるそうです。

世の中やさしくできています。

 

そんな父も

つい先月

賃金労働の夢から覚めて

晴れて定年を迎えました。

家に居るのが常になり、

母もひどく喜んでいます。

これで父の幽体離脱

すっかり影をひそめるだろうと。

 

案の定、

父は体を脱がなくなって

心配性も止みました。

わたしが父を思い出し

出先で財布を開けてみても

そこにはもう

父の姿はありません。

ときどき寂しくもなるけれど

これでよかった気がします。

 

子離れとはよく言いますが

父はようやくわたしを離れ

ほったらかしの自分の住処に

ちゃんと戻っていったのです。

終の住処を見つけたように

父は幸せな顔になりました。

考えてみれば

人間は

そもそも

体と生きるんです。

幽体離脱しなくても

心配くらいできるのです。

 

わたしがちかごろ

困るのは、

そんな父のことなんです。

自分の体に戻ってからは

父は 強気になりました。

心配性は止んだのですが

すこぶる強気になりました。

 

心の弱い人間の

強気はたまに

たちが悪い

 

わたしの父がいい例です。

わたしがどこかへ行こうとすると

外から鍵をかけるのです。

窓も全部を閉じるのです。

たまったものじゃあありません。

仕方がないのでこっそりと

新聞受けから外に出ます。

それでも父はあきらめず

私が帰ると鍵をかけ

むごい仕打ちをするのです。

一生出るなと言うのです。

 

出るなと言われた

その部屋は

一生居るには退屈で

捨ててしまうには惜しいのです。

だから昼間の間だけ

わたしは家出をするのです。

そとをふらふら歩くのです。

うっかり車にはね飛ばされて

泣いては家に帰るのです。

高いところに登っては

捨てられぬ家を恨むのです。

家が一番という言葉は

負け惜しみなんだと思います。

家を捨てたその先に

行くところがないだけ

なんだと思います。

わたしの父にそう言うと

そうでもないさと

笑います。

いつでも家出が出来るよう

家に居るのがいいのだと。