「どこか遠くに行ってくればいいのに。イギリスとか。」
居候先で家主にそう言われたのは、たしか6月ごろのことだった。
当時の私はこの2年ばかり不慣れな賃金労働を続けた無理がたたって気力・体力ともに衰弱を極めており、ほうほうの体で会社を辞めて独立。
フリーランサー専門のコーチングを受けながらも、とりあえずは人並みの健康を取り戻すのが先決という結論にいたり、都内を離れて田舎で療養&居候ライフをスタートしたばかり。
つまりは海外へ出かけるようなアグレッシブさは元より、どちらかというと病人よりに命の針は触れており、なんとかその日暮らしをしながら今後のことを考えるのが精一杯という、振り返れば暗澹たる状態であった。
そんなタイミングでの海外旅行の提案である。
「いつまでもそんな死にそうな顔で居られても、こっちだって気が滅入る」
「はあ…(そんなこと言われても)」
「イギリスってすごく面白い国だよ(行ったことないけど)。ああいう所にいけば気が晴れると思う」
なぜイギリス。
この瀕死の体にユーラシア大陸横断のフライトは過酷すぎるぜよ、と無言で受け流していたが、旅費を負担するから、と家主は譲らない。
そもそも私は長距離移動のための乗り物が無理なのである。
10代でパニック障害を患ってからというもの、飛行機や新幹線の利用は極力避けているし、やむなく利用する際は信頼のおける人に付き添いを頼むことにしている。
それがゆえに、「単身イギリス旅行」。
ううううう、辛そう。
キャッキャとはしゃぐ気は毛頭起こらず、むしろ苦行に感じてしまう。
旅費の負担という提案は、とてもありがたい申し出には違いないのだけれど。
それからほどなくして、家主は海外ドラマ『ダウントン・アビー』なる英国貴族たちが繰り広げるお家騒動的な話にハマっていて、その舞台がイギリスだという事が明らかになった。
なんたる安直。
であれば私の旅先も、家主のマイブームによって限定される必要はまったくないのでは。
「イギリスは、ちょっと今は気が進みません」
「じゃあ、いつになったら元気になるの?」
「時期は、自分でもわかりません」
「イギリス以外で行きたい所ないの?」
「青森なら」
「え?」
「青森なら行きたいです」
「え〜(不満げ)。あおもりぃ?ふーん。。。地味だね」
イギリスから青森の落差は大きかったようで、話はそこで終わるかに見えた。
が、結局私はひとり青森に行くことになった。
家主は死にそうな無職(またの名をフリーランス!)の中年女がうろうろ家の中を徘徊するのが、よほど嫌だったと見える。
3泊4日分の旅費をぽんと手渡された。
そんなわけで、私はひとり青森へ旅出つことになったのである。
(つづく)