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2月5日、ユミのブログ。

飽きることは心の新陳代謝。

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ひととせの間に1つ2つ、何かに徹底的にのめり込んでは飽きる、という所業を爾来続けて生きている。

なかば人生を賭けなんとする、のめり込みのその勢いに、他人様はもうその道の玄人かそうでなくともそこに近しいものを目指して私がその後も現実的にひた邁進するのであろう、と感心と驚嘆とを結びあわせてはっきり予感を持つらしいのであるが、半年とたたないうちに当の本人がその猛烈な興味・実践の記憶を白紙がごとく脳から消し去ってしまうので、こちらにすれば久々に会った人からまったく自分の身に覚えのないドリームや野望の成果のほどを「あれはその後どうなっているのか」などと、さも大事めかした様子でもって尋ねられたりするものだから、なかなかに困るのだ。


そういうときにはまこと勝手と言われればその通りなのであるが、さも時代遅れの人間の話し相手をするときのように相手を見くびる気持ちなど兆しつつ、その存在自体も定かではない私の過去の壮大な趣味の顛末について他人事のように聞きあやし、遠くを眺めて時を数えるが常なること、なのである。

「飽き性なのね」と言われればそれまでのことであるが、ひとつのことに執心して続けることと、ある地点で満足を得たらばそれをもって良しと自然に心が離れることとを比べてみたとき、どちらかに軍配を上げるなど、たいへんに無意味なことである。


飽きず続ける人は1つの乗り物に乗り続けるのが好きなだけのことであり、飽きて次のことにとりかかる人もまた、色々な乗り物を渡り歩くことで新鮮で新しい喜びを好んでいる。

それだけのことだ。

だから本年、私は西洋占星術にたいへん凝り出したことについて、それが何か大惨事の前触れであるかのように眉をひそめる人もいるけれど、私は元来が飽き性であるからそういった予感の範疇にあるような大惨事は決して起こらないことはまちがいなく、しかしそうかといって着物柄物の流行り廃りを眺めるような感じで私の動向について「ああ、今年はそうきたか」と気にもとめない人に対しては、今度ばかりは分からないぞ、とその油断を戒める意味合いも込めて、いつも以上に熱心に天体の研究に耽り、よもや今度こそは、という一抹の危惧を与えたいなどとも思うこの頃である。