ふたりの子どもたちが、家族という大きなひと塊から熟した実のようにほろりと巣立ち、アスファルトを持ち上げる緑が深々と繁る庭へと目をやれば、夢中でそこを駆け回っていた獣はうすく小さな白い骨の破片になって、もう動かない。
編み合わされた2人の男女の人生が、そこで古びて、そこに色をにじませて、今では死ですらも分かつことのできない、はっきりとした一本になったことを、20年近くかけて堆積した思い出の品々の中に、わたしは眺めた。
逃れたくてもがき、恨めしく憎んだその土地のことを、わたしの心は今でも故郷などという親密な呼び名でもって、慕うことができない。
けれど。
その土地の片隅でわたしたちが家族となり、より合わさって生きていた時間までをも疎む気持ちはもう起こらない。
かわりに、古びた食器棚や色あせたアルバムをたよりにしなければ自分の記憶の中にさえ、そうたやすくは見つからない、こまごまとした思い出の手触りが、夥しい品物や処分される家屋敷と共にどこか遠くへ、永遠に持ち去られてしまうのだという、そんな焦燥に似たさびしさばかりが、苦しいほどに胸に兆してくる。
この人は母として、この人は父として、ひとつ家族という縁を全うしてきたのだ。
そんなことを、年老いた娘も、年老いた息子も、言葉なくお互いに確かめ合いながら長い長い夜を過ごし、そしてまた自分たちの住処へと戻る。
雨は垂れ、空からは突然に稲妻が刺さる。