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池澤夏樹『スティル・ライフ』世界の分解に耳を澄ます

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1冊の本が世界のすべてを変えてしまう。

正確には、それまで用いていたのは全く別の視点を提供されることによって、そこから世界の見え方がガラリと根本的に変わってしまう。

 

そういう出来事は割とよくある。

 

池澤夏樹の『スティル・ライフ』は、まさにそんな小説だ。
読む者の世界の見え方がぐるりと反転するような視点。
まったく新しい世界と自分との関係性。
そのつかみ方。
そういうものだけで構成されていると言ってもいい。
ひっくり返る世界の様子が、作品にまるごと織り込まれているのも大きな特徴だ。

 

「世界を見るときの視点の提示」を文体でやる作家もいるし、物語でやる作家もいるが、『スティル・ライフ』はそれをエピソードの形で作品の随所に散りばめている。
そしてその複数のエピソードの取りまとめ役として、佐々井という男が据えられており、佐々井は登場人物でありながら、反転する世界そのものとしての役割も果たしている。

 

スティル・ライフ』において、劇的な展開や盛り上がりの気配は、作品全体から慎重に排除されている。

そのおかげで、世界が反転しても衝撃や違和感はない。
この地上に生きる者として、知るべきことを知らされている。
そんな深い満足と心地よさがもたらされるだけだ。

 

物語を通じて描かれているのは、人間が人間になる以前の、この世界との付き合い方だ。
そこには意味や価値や「何のために」という目的はない。
星と星とをつないで星座にしたり、色の分子の結合を操作して布を思い通り染め上げることでもない。


すべてはその逆だ。

 

世界を構成している細やかな仕組みや事象に耳を澄まし、そこに含まれている自分自身の存在をただ感知すること。
巨大な機械として動く宇宙のスピードを感じながら、時折その歯車である自分に油を注すこと。

自分という世界と、その外側にある世界と。
池澤夏樹はふたつの世界を描き分けながら、それらが溶け合い1つに重なる瞬間をいくつかのシーンで描いている。

 

もっとも象徴的なのは、主人公たちがシーツに映し出された何枚もの写真を見る場面。
山や渓谷の連続的な地形のうねりを前にしながら、いつしか自分という現在地点から視点は離れ、シーツの中でゆらめいている世界そのものに意識が重なっていく。

やがて仕事を終えた男は、写真とシーツとプロジェクターを残して共同作業者である主人公のもとを去っていく。

主人公が夜にひとり、世界の姿を投影したシーツに向かって男の名前を呼びかけるシーンがとても印象深い。

自分の外側の世界と、そこに連絡する手段とが同じひとつの存在(やってきて、そして去っていった男)に集約されていくラストのその構図が、なんとも人間的でどこか寂しい後味を残す。

その寂しさというのは、山とお喋りできないだとか、川と一緒に歌えないだとか、そういう種類の寂しさ、なのだけれど。