ようこそ人類、ここは地図。

私たちにおける、素晴らしい座標を

病を得るということは。

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考えようによっては重たく、見る人によっては取るに足らない、そんな持病をこの二十年来、ぶら下げて生きている。

医者にかかって処方箋をもらうこともできれば、自力でなんとか見て見ぬふりの痩せ我慢をできないこともない。そういうたぐいのものである。


少し以前の何年かはその病を忘れたように平然とすごしたが、やはりのどに刺さった小骨のように、生活のふとした場面でのびのびと自由に振る舞うことをぐいと押しとどめるのはその症状がやってくるであろう不穏な兆しだ。ようするに不便だという一言につきる。それでしかたなく、医者嫌いを返上し、問診票の前に座り、薬代を払うことを数年ぶりにきちんきちんとやり始めた。

それにしてもいったいどこで、私はこの病を得たのだろうか。
考えてみても、一向にわからない。

清く正しく生きてはいても、思いがけぬ不幸の穴へと転がり落ちることはある。
いや、むしろそういう無防備な足取りこそが、油断というものかもしれない。
病はどうあがいても避けられず、問答無用で肉体へと配達される小包なのだと、この頃はそんな気がしている。

どこの誰が送ったものか、残念ながら小包の差出人は知るよしもない。
贈答品をむやみにもらう趣味はないが、気が付けば小包を受け取っていた私は、それをどこぞに送り返すこともできず、まずは中身の取り扱い方を学ぶことを余儀なくされた。

いつかこの荷物を集荷にやってくる人はあるのだろうか。
はじめはいつもそう思った。が、だんだんと諦める気持ちへと心が流れた。あてのない希望や期待は、何より自分の心を苦しくする。私はそれを身を以て知った。

気まぐれに、この持病を誰かに話して、試すようなことがある。
何を試そうというのか、自分でもはっきりとわからないまま、私はこんな厄介を抱えている、ということをぱらぱらと口が喋って、せいせいしたり、不幸に酔ったり、場合によっては少し後悔をする。たいがいは後悔が多いかもしれない。

人によっては同情してくれたり、動揺を取り繕うような顔を見せることもある。思っていた相手が、思ったのと違う反応を見せると、喋ったことそれ自体に、少なからず意味があったような、そんな気にもなる。ほら、面の皮のしたに隠してあったものが、こんな拍子に飛び出すじゃないか。意地悪く、そんなことを思い、相手を軽んじたりもする。そういう時のこの病は道具だ。自分の病を持て余して、やり切れない、いじけ者が振りかざす、ちゃちな武器だ。

そんな風に病を使ってみたところで、根本はびくとも動かない。足枷をはめられた囚人のように、私という肉体はいつ終わるともなく、この理不尽な独房につながれたままでいる。

この病は物言わぬけれど、私の永遠の伴侶であるのかもしれない。時々そんな事を思う。
この病によって、私は不自由であり、だからこそ地に足がつき、ほかの人間の弱さを他人事とは思わず、いたずらに蔑まずにすむ。

 

謙虚というものを、私は間違いなく、この病から得た。
あまねくすべての人間が、その小包の送り先であるのならば、それと格闘することもまた自然のなりゆきであろうとは思う。しかし、それが沈黙する教師のように機能するとき、病がもたらす不便は、思いがけず変化し、生きていく道の心の杖ともなりうるように思う。