本日の講義はとてもエキサイティングなものになると確信しています。
人類の過去、未来、そしていま私たちが生きるこの現代を見つめ直すための 貴重なワークショップとなることでしょう。
お味噌汁が人類史において発揮してきた類まれなる功績について、 みなさんと私とで即興のディスカッションを行い、そこに新たな意味と、今後の展望を見出すことで、我々がよりよく生きていくための一助としたいと強く願っています。
ではさっそく。
そもそも、みなさんにとって、お味噌汁とはいったいどういう存在でしょうか。
神でしょうか。悪魔でしょうか。
この世のすべての創造主。そう、それもよくある回答です。
最近では、宇宙はお味噌汁である、という学説もかなり有力になってきていますね。
たしかに。
お味噌汁にはそういった一面も確実にある。
しかし、そのような手垢のついた模範解答を、今日この場で持ち出すことは控えておきましょう。
まだ若い皆さんの中には、お味噌汁をことさら重大なものとして捉えるか、もしくは神の不在を高らかに宣言するかわりに、お味噌汁などそもそも存在しないのだ。ネス湖のネッシーとおんなじだ。そんな具合に、極端な意見を持ち上げる傾向が見られます。
もちろん、たしかにそれらも、お味噌汁(正式にはオミソシールですが)の解釈のひとつとして、けして間違っているとは言い切れません。
むしろ、圧倒的な正しさと真実がその直感的な解釈のうちにあるように、私などは思います。
しかし、せっかくこういった機会ですから、本日はもう少しだけ違った角度から、お味噌汁を今までにない座標へと位置づけ、再定義してみようというのがこの講義の目的です。
その材料として、まずは私がここ何年か研究を続けてきた中で、お味噌汁について、ふと疑問に思ったことを、これはひょっとして、という感じで抱いた直感的なひらめきを、いくつかをみなさんに紹介して、議論のたたき台にしてもらいましょう。
まずは、古代エジプト文明におけるナイル河の氾濫。この原因がお味噌汁であったとする学説について。
スライド1を見てください。