ようこそ人類、ここは地図。

アーティスト「2月5日」のブログ。

心の景色を言葉に(日記)

めくるめく眩暈世界。わたしは船乗り。

この二週間ほど、めまいがやまず、まっすぐと歩けない。 いつも船の上にいるようである。 地面が揺れている。 しばしば地震が起きているのかと間違う。 居合わせた人に尋ねると、揺れてはいない、と答えが返ってくるので、嗚呼これはわたしの肉体だけに起こ…

20年間のドライブ、私たちの廃墟へ。

週末を利用して、弟と夫と三人で茨城へとドライブをした。 かつて父だった人とその新しい家族、そして私たち姉弟の祖母が暮らす田舎の家を訪ねるためだ。 父と会うのは数年ぶりのことで、4年前に夫となった相手を引き合わせることに私はあまり気乗りがしな…

飽きることは心の新陳代謝。

ひととせの間に1つ2つ、何かに徹底的にのめり込んでは飽きる、という所業を爾来続けて生きている。なかば人生を賭けなんとする、のめり込みのその勢いに、他人様はもうその道の玄人かそうでなくともそこに近しいものを目指して私がその後も現実的にひた邁…

家族、店じまい。

ふたりの子どもたちが、家族という大きなひと塊から熟した実のようにほろりと巣立ち、アスファルトを持ち上げる緑が深々と繁る庭へと目をやれば、夢中でそこを駆け回っていた獣はうすく小さな白い骨の破片になって、もう動かない。編み合わされた2人の男女の…

たとえばゼリー状のまま、人間関係を放置。

人と人とが向き合うことは果たして良いことなのだろうか。 がっちり向き合うと壊れてしまう関係がある。 お互いの立ち位置をはっきりさせよう。 そう思って踏み出した途端、出口なき迷路に投げこまれてしまう。 そんな関係もある。 謎は解けて、犯人が定まり…

牧歌的に描くなら、これもまたメルヘン。

晩に食べる米がなくて両親が揉めているなどというのは少女時代ありふれた日常の1コマであったが、今にして思えば家庭経済がそれなりに逼迫していたという事実をよく表している。 経済がうまく回らないとなると、どんな人間も余裕をなくすのは世の習いであろ…

病を得るということは。

考えようによっては重たく、見る人によっては取るに足らない、そんな持病をこの二十年来、ぶら下げて生きている。 医者にかかって処方箋をもらうこともできれば、自力でなんとか見て見ぬふりの痩せ我慢をできないこともない。そういうたぐいのものである。 …

またワープしちゃった。

落ち着かない人生を送っている。 物理的にも、心持ち的にも。 ひとつの場所に腰が座るという事がない。 いつも重力とあやふやな関係を保ちつつ、ふわふわ漂っている。 そういえばこの間、ひさびさに数えてみたら、もう人生で18回も引っ越している。 実家を出…

父と時間

夏生まれの父は、喘息持ちの子ども時代を虫の声を聞きながら過ごしたという。 それはインターネットの誕生なんてまだ誰も想像してもいなかった、けれどそう大昔というほどでもない、昭和の時代の昔話だ。 その頃は夜も更けて家人が寝静まる時間になると、決…