ようこそ人類、ここは地図。

ほたて、雨、しゃきーん。

心の景色を言葉に(日記)

空を壊す7月、生きていくために。

7月某日、熱帯的日本。 春先から続いていた手強い不眠状態に、全面降伏することを決めたのが我ながらこの夏最大の英断であったと喜んでいる。 夜明けの新聞配達のバイクの音を聞きながら、寝れぬ寝れぬと悶々と苦しみ、のたうつ孤独な日々。 その長い長い暗…

すてきな虚栄心、パルムドールとは距離を。

6月某日、梅雨入り。 頭の中で急に文章がはじまる。 ためしにノートパソコンにて視覚化してみると、いよいよそれは新しい小説のかっこうをしている。 いやはや。 春先からふくらんでいた小説の構想がいよいよ食べ頃、もとい書き頃を迎えたのであるな、と納…

お弁当箱に核燃料が。村上春樹も三島由紀夫も。

恋人に勧められて日本の文学小説を読み始めたのは、15歳の夏休みであった。 初心者の私でも読めるだろう、と最初にレコメンドされた作品は、 三島由紀夫『仮面の告白』。 そして、村上春樹『ノルウェイの森』。 2作ともある意味リーダブルな作品ではあった…

面会の効用、渋谷の養老天命反転地。

5月中旬某日。 引きこもっている。 人間との対話に乏しい毎日。 茶店での注文やよろず屋での挨拶を除けば、話らしい話をしていない。 社会性という筋肉がこのまま衰えて戻らないのでは。そんな不安が芽生え、なかば無理やりに出かけてみる。 近隣の書店で行…

子を憎んでも、母。

親になる事とは、無縁で生きていくのだと思っていた。 命を預かり、守り、育むという仕事が自分の人生に舞い込むことを想像して楽んだ日もあったが、それはもはや遠い過去の話である。 改めて人生を振り返ってみれば、結局親になる事はいつも自分から遠かっ…

日々の腑分け、ギリシャ人のスープ

5月7日。 2月頃から首の調子が悪い。 歯磨き時のうがいの姿勢がもう辛く、読書の姿勢をキープするのも次第に困難になってきた。 整体やマッサージ店に足繁く通うも毎度「手に負えないですね」と重症であることを示唆されるのに飽きて、根本治療を決意する…

三鷹、世界とバレリーナのための喫茶店。

中央線の高架工事ですっかり様変わりしてしまった他の駅と違って、三鷹駅はまだかろうじて昔の佇まいを残している。 それが私には救いのように思われる時がある。 小学生の頃、バレエのレッスンのために電車を乗り継いで、三鷹駅前の小さな稽古場にひとりで…

小説という肉体、抱擁のために

「小説」は現実の世界に足を踏みしめながら楽しむことのできるフィクション、だと思っている人も多い。 「小説」は物語で、謎解きで、歴史や世界を教えてくれる情報源。感動の装置。 世間では、広くそのように考えられているように思う。 この現実世界を構成…

命のための天気予報

猫は柔らかく、 肩は凝って、 春が折り返す頃なれば、 あちらこちらで花が散る。 あまねく全ての人たちと同じように、自分の未来も不透明で、そのこと自体はごくごく自然で詮無いこと。 そのように兆した不安を一度は白紙に戻そうと思いなしてみるのだけれど…

春を呪えば、これがデビュー。

年末頃から始まった小説をなんとか書き上げて、制作中の疲労をまとめて清算する毎日である。 三ヶ月間、延々と机に座りノートパソコンの鍵盤を弾き鳴らしていたせいで、首と背中を痛めた。 酒も煙草も阿片の類も遠ざけていたかわりに、飲食の回数は無駄に増…

みらい平ゆみの誕生日。

名前はとても不思議なものです。 生まれてから死ぬまで、現代にっぽん人は、一生涯ひとつかふたつの名前を使い倒して生きていくのだ、というのが、私はにわかに信じがたい。 例えば男の子という種類に生まれると、余程のことがない限り人生を一色の、唯一絶…

秋に離縁する夫との長電話。ソウルメイトって死語かと思っていた。

この秋に離縁する予定の夫へ久々に電話をかけて、夜通し無駄話をした。 無駄話と書いてはみたものの、それが本当に無駄なやり取りだとは露ほども思っていない。 持ち上がる話題やその広がり方がいちいち面白く、次の日もまたお互いに労働や勉学に勤しむ身で…

美しいって、なに? 長野県東御市、天空の芸術祭

長野県東御市(とうみし)で行われている「天空の芸術祭」に行ってきた。 シェア・アトリエ「miraiva」のプロデューサー、mayuchapawonica・まゆさんの作品を観るべく。 まゆさんが相棒のカヤノヒデアキさんと手がけていたのは、『名もない農家』という場所…

泡立つコミュニケーション、限界が好き。

限りあるもの。 それは、面白く、切なくて、愛おしい。 終わりや範囲が決まっていることで、その内側の内容物はそこからはみ出さんと煮え立ち、ひとりでに踊り、極まっていく。 「ここまで」と定める限界線の周りには、湖の岸辺にたえず水が打ち寄せるがごと…

めくるめく眩暈世界。わたしは船乗り。

この二週間ほど、めまいがやまず、まっすぐと歩けない。 いつも船の上にいるようである。 地面が揺れている。 しばしば地震が起きているのかと間違う。 居合わせた人に尋ねると、揺れてはいない、と答えが返ってくるので、嗚呼これはわたしの肉体だけに起こ…

20年間のドライブ、私たちの廃墟へ。

週末を利用して、弟と夫と三人で茨城へとドライブをした。 かつて父だった人とその新しい家族、そして私たち姉弟の祖母が暮らす田舎の家を訪ねるためだ。 父と会うのは数年ぶりのことで、4年前に夫となった相手を引き合わせることに私はあまり気乗りがしな…

飽きることは心の新陳代謝。

ひととせの間に1つ2つ、何かに徹底的にのめり込んでは飽きる、という所業を爾来続けて生きている。なかば人生を賭けなんとする、のめり込みのその勢いに、他人様はもうその道の玄人かそうでなくともそこに近しいものを目指して私がその後も現実的にひた邁…

家族、店じまい。

ふたりの子どもたちが、家族という大きなひと塊から熟した実のようにほろりと巣立ち、アスファルトを持ち上げる緑が深々と繁る庭へと目をやれば、夢中でそこを駆け回っていた獣はうすく小さな白い骨の破片になって、もう動かない。編み合わされた2人の男女の…

たとえばゼリー状のまま、人間関係を放置。

人と人とが向き合うことは果たして良いことなのだろうか。 がっちり向き合うと壊れてしまう関係がある。 お互いの立ち位置をはっきりさせよう。 そう思って踏み出した途端、出口なき迷路に投げこまれてしまう。 そんな関係もある。 謎は解けて、犯人が定まり…

牧歌的に描くなら、これもまたメルヘン。

晩に食べる米がなくて両親が揉めているなどというのは少女時代ありふれた日常の1コマであったが、今にして思えば家庭経済がそれなりに逼迫していたという事実をよく表している。 経済がうまく回らないとなると、どんな人間も余裕をなくすのは世の習いであろ…

病を得るということは。

考えようによっては重たく、見る人によっては取るに足らない、そんな持病をこの二十年来、ぶら下げて生きている。 医者にかかって処方箋をもらうこともできれば、自力でなんとか見て見ぬふりの痩せ我慢をできないこともない。そういうたぐいのものである。 …

またワープしちゃった。

落ち着かない人生を送っている。 物理的にも、心持ち的にも。 ひとつの場所に腰が座るという事がない。 いつも重力とあやふやな関係を保ちつつ、ふわふわ漂っている。 そういえばこの間、ひさびさに数えてみたら、もう人生で18回も引っ越している。 実家を出…

父と時間

夏生まれの父は、喘息持ちの子ども時代を虫の声を聞きながら過ごしたという。 それはインターネットの誕生なんてまだ誰も想像してもいなかった、けれどそう大昔というほどでもない、昭和の時代の昔話だ。 その頃は夜も更けて家人が寝静まる時間になると、決…