7月某日、熱帯的日本。
春先から続いていた手強い不眠状態に、全面降伏することを決めたのが我ながらこの夏最大の英断であったと喜んでいる。
夜明けの新聞配達のバイクの音を聞きながら、寝れぬ寝れぬと悶々と苦しみ、のたうつ孤独な日々。
その長い長い暗黒時代が、ヨクネレール錠剤(仮)を就寝前にたった一粒たしなむと決めただけで、まるで切れ味の良いナイフですぱっと断ち切ったように、美しい終わりを迎えた。
健やかなる朝。
十全な眠りからの素晴らしい目覚め。
疲労は消え去り、まぶたを開いた瞬間からもうすでに人生は輝いている。
朝の光に目を細めながら、
口をついて出る駄洒落。
迷惑そうな飼い猫に向かって、くだらない駄洒落を連発。
うるさそうに去っていく猫。
それでも駄洒落をやめない私。
よく寝た人というのは、朝から上機嫌なのだと知る。
7月某日、アブダビ砂漠的猛暑。
暑いせいで外出が難儀である。
ひさびさにテレビをつけたら、きのうもきょうも熱中症で搬送される人がたくさんいました、と言っている。
どうりで。
散歩も買い物も命がけ。
世界は、そんな様相を呈している。
地球温暖化でいちばん心配されていたのは、たしか南極とか北極の氷が溶けて、海面が上昇し、陸地が水没する、とかそんな映画みたいなシチュエーションだったように記憶している。
しかし、
やってきたのは、この灼熱地獄だ。
未来予測には、やはり多少の誤差がつきものなのだと思う。
外に出るのはあきらめて、部屋の片付けをしていたら、ふと村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』が目に止まる。
私は一度読んだ本はだいたい人にあげてしまうのだけれど、この『ダンス・ダンス・ダンス』は何度も買い直して、そのたびに面白く読んでいる。
たまたま家にあったのは中古本だったせいか、紙はふるびて、フォントもとても小さい版だった。たぶん、視力検査でいったら、2.0水準といったところ。
小さな虫みたいな活字を、それでも果敢に読みふけって二日で上下巻を読み終える。
ぶっ通しで小説を読み続けると、なにか勢いのようなものが生じるのだろうか。
翌日、翌々日は全然読む気のなかったサマセット・モーム『月と6ペンス』をこれまたぶっ通しで読んだ。
小説の最後まで、月も6ペンスも登場しなかった。
気がつけば、家の食料がすっかり尽きている。
冷蔵庫を買って、家に置いている人は賢明だと思う。
7月某日、もはや形容不可能の暑さ。
弟と電話で相談し、実家との絶縁を決める。
これより先の人生、私はもう娘として、父母と交渉を持つことはないのだ。
決断するまで、私にとって愛する父や母と縁を切るということは、まるで世界を壊すような、おそろしい選択であった。
正確に言うならば、選択という形で視野に入ることすらなかった。
家族という形での人との縁や結びつき。
そこに意志的な別離でもって、ひとつ区切りをつけること。
葛藤の果ての諦念にも似た心境である。
しかし、たとえ親と子であっても、人と人である限り、絶対、というような縛りは存在しない。
愛をもって関わることと同じく、愛をもって離れることもまた人の知恵と優しさである。
万が一の折の言付け役を引き受けてくれた弟が、私のそんな言葉を受け止めてくれたことが深く救いのように作用する。
酷暑を告げる天気予報を聞きながら、老いた両親がどうか息災であることを祈る。