5月7日。
2月頃から首の調子が悪い。
歯磨き時のうがいの姿勢がもう辛く、読書の姿勢をキープするのも次第に困難になってきた。
整体やマッサージ店に足繁く通うも毎度「手に負えないですね」と重症であることを示唆されるのに飽きて、根本治療を決意する。
筋肉のこりや緊張、関節の可動における不具合は炎症部分だけをいじってもあまり効果はなく、それを引き起こしている内臓の疲労や精神的な要因にアプローチするのが先決である。
それを分かっていながら幾日も近所の肩揉み所でお茶を濁していた理由は単純で、根本治療を任せられるゴッドハンドの治療院(新宿方面)まで赴くのが非常に大義なのである。
新宿駅も東西南北の各エリアによって雰囲気が違っているのだが、治療院のある場所はやや大久保よりの北側エリアに乱立するアジアンな雰囲気の雑居ビルの最中だ。
おりしも診療当日は土砂降りの雨。
大久保方面へと伸びる西新宿の道のりは、映画「ブレードランナー」を彷彿とさせる都会の陰鬱さに満ちている。
しかし悪天候だろうが、ロケーションが灰色の未来都市だろうが、予約がなかなかとれないこの治療院に「キャンセル」の文字はない。
雨に濡れたスカートの裾を絞りながら診療所にたどりつく。
気を取り直してゴッドハンドに首の不具合の原因を腑分けしてもらう。
治療は筋肉の緊張を引き起こしている臓器を順番に整えていく。
まるでミルフィーユの層を一枚一枚剥ぐようにして、こりや痛みの原因を引き起こしている臓器の反応をひとつひとつ丁寧に取り除いていく。
それに連動して、徐々に肩や首の可動域が広がり、体もほぐれて楽になってくる。
この日は、副腎、胃腸、子宮、と順番に反応が出ている箇所の臓器を微調整。
(微調整といっても、何をどうしているのかはわからない。揉んだり叩いたりもなく、お腹をちょんちょんされているうちに、肩や首が勝手にほぐれていくのが不思議だ)
施述の最後に「肝臓の反応が出ていますね」とゴッドハンド。
酒も飲まずに暮らしていたのに、と私が嘆息すると、
「なにかイライラすることがありましたか」
と尋ねられる。
肝臓は苛立った感情を司る臓器らしく、イライラが続くと負担がかかるらしい。
思い当たるふしもあり、またすこぶる身体も緩んだので満足して帰宅。
精神の波立ちをうけとめる器としての肉体の精密さを思って、
「肝臓、その他もろもろの臓器たち。いつもいつもありがとう」
と唱えながら寝る。
5月8日
春先に小説を仕上げてから、食生活を見直している。
執筆期間中はセブンイレブンで買ってきた「黒糖ロールパン(3個入り)」を朝に昼に牛乳で流し込んで空腹をしのぎ、夜は近所の飯屋で適当なものを食べて寝るという生活。
量も、質も、手間のかけ具合も、すべてにおいてバランスと思想を欠いた食生活のせいで、皮膚も暮らしも荒れ放題。
見直す余地はじゅうぶんすぎる程あった。
まずは自炊だ、と思い立ち、炊飯器を駆使してひたすら毎日野菜のスープを作り続けたのが4月。
(キッチンにはガスコンロがないので、加熱系の調理は主に電子レンジと炊飯器頼みである)
レンコン、人参、大根といった根菜類もたやすく摂取できるこの炊飯器スープにすっかり味をしめた私は、栄養価においてもさらなる充実をはかろうと思い、輸入食品店をはしごして、めぼしい食品を物色しはじめたのがこの5月。
アマランサス、キヌア、チアシード。
俗に言う「スーパーフード」はやはり凄いらしい。
輸入食品店の品揃えとネットの情報を元に、買い漁ったスーパーフードたちを日々のスープに投入し、ビタミン、ミネラル、食物繊維を存分に摂取することに成功する。
(何かの種だというこれらのスーパーフードたちは食感もぷつぷつで楽しい。
食感フェチの私は、規定量よりもかなり多めに入れてしまうが、まあいいだろう)
黒糖ロールパンが野菜スープに置換されただけで顔に血の気が舞い戻り、高栄養価のスーパーフードを摂取しているという気分がまたすこぶる健康に良い気がしている。
調理のたびによく使うアマランサスについて、
「ギリシャとかローマとか昔の文明が栄えていた地方の言葉っぽい」
と勝手に思っていたのだが、ググってみたところ「アマランサス」の語源はやはりギリシャ語であった。
(アマランサスは、ギリシャ語で「花がしおれることがない」の意味らしい)
アマランサス。
ギリシャ語の食べ物。
日本の米を炊くための機械でギリシャ風のスープをこしらえながら、洒落た気分に浸る毎日であるが、主菜はたいていロールパンを合わせがちであるのを今後は改めていきたいとぼんやり考えている。
(写真はアマランサスと香菜のスープ。アジアとギリシャの融合である)