ようこそ人類、ここは地図。

私たちにおける、素晴らしい座標を

春を呪えば、これがデビュー。

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年末頃から始まった小説をなんとか書き上げて、制作中の疲労をまとめて清算する毎日である。

三ヶ月間、延々と机に座りノートパソコンの鍵盤を弾き鳴らしていたせいで、首と背中を痛めた。

酒も煙草も阿片の類も遠ざけていたかわりに、飲食の回数は無駄に増えて、おそろしいほど醜く肥え太っている。

視力は落ちて、虫歯は進み、医者にかかれば死にかけた人の体温に近い、などと診断が下る。

花粉が粘膜を爆撃したかと思えば、金属アレルギーがにぎやかに皮膚を溶かして、あらゆる病状をてきめんに治癒するという素晴らしい軟膏を買う金を人に借りて石焼ビビンパなどを喰い、どうにかこうにか生き延びる。

人生に起きた異変に軟膏を塗りたくるだけで、春の日々が過ぎていく。

 

茨城で間借りしていたアトリエを離れて、拠点をふたたび東京に置いて三ヶ月。

ようやく人間らしく暮らせるように家財道具も集まってきたものの、夏を控えて冷蔵庫がないのがやや不安ではある。

猫二匹をひきとって暮らし始めたが、まことに落ち着きがない生き物で、病的に神経質な私は早々に彼らとの同棲解消が頭をよぎる。

けれど、住居はすでに猫仕様にあちこち改造した後であり、私が外に出ればよいだけの話だと割り切って、1日の大半の時間を路上や公園やネットカフェで横になるなどして過ごし、家賃のかかる洒落たワンルームは猫たちにそっくり明け渡している。

ネットカフェの女子便所に貼られた、「住居喪失の危機にある人へ」と題した行政のポスターを毎日読み耽っている。

 

この春に仕上げた小説というのがなかなかの傑作らしく、人が褒めてくれる。

先生、などと私を呼ぶ人もある。

けれど、それだけのことだ。

家族は相変わらず私を蔑み、金も稼がず暮らすロクデナシだと責め立てる。

窓を開ければ、そこには祝福を受けたように花のつぼみがはじけている。

つよく風が吹いて、窓際に立つ私の脳天へと花粉を浴びせかける。

己にできることを淡々とやるしかないと割り切りながら、それでも凡庸な人たちへの羨望をやめることができない。

芸術はまことにすばらしいが、それだけしか出来ないとすればその境遇は不遇であり、その不遇を才能と呼べるのは他人事であるからで、当人にしてみれば大変に悲しく残念極まりない不幸なのである。

 

久しぶりに会った別れた夫から、勤めをしながら細々と創作をすればよいではないか、と至極まっとうな提案をされた。

それが出来たならどんなにか良いだろう。

切望しても、できない人間もいるのである。

何度も頓挫したあげく心まで病んだのだから、いい加減にそれが無理な人間もいることを許してくれてもよさそうなものだと春と夫を呪いかける。

けれど一度は元夫の楽観を残酷に思ったが、それが大方の人の常識的な意見であろうし、わたし自身でさえそういう人間が側に転がっていたら眉をひそめることだろう。

人間はどこまでも自分の味方で、都合よく常識を変形させて生きているものだとしみじみとするのが、いつからか葉桜の時期の習慣となりつつある。

 

遺失物をください。とても美しいやつ。

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ここはいったい何処なのですか。

 

古い家の窓はまるで四角形のコマ割り。

私を人生に閉じ込めているこの直線を憎んでも

仕方ないので、何も思わない。

硝子障子の内側から、視線はビームのようにはみ出していく。

神様がくれた私の所持品。

小さな頭を気に入っています。

ほとばしるビームも。

 

死んだ人たちのために、張られた美しい床材。

そこに積もる過去を私はときどき片付ける。

誰が描いたのですか。

へたくそな嘘の夜空。

めずらしい画びょうみたいに、星がびかびかと刺さっている。

 

ここはいったい何処なのですか。

 

誰かと一緒にいたような気がしているのに。

それはきっと気のせい。

だって証明書がないからです。

もはや私は夢の話する人。

 

だから泣いてしまうのです。

あの毎日は本当ですか。

ちゃんと存在しましたか。

雨が降ったら溶けてしまう。

泥になって溶けてしまう。

生活なんて、ふたりでいることなんて。

 

所持品に加工してください。

私たちの日々を。

お守りか何かみたいに。

キーホルダーに鍵と一緒につけて。

指で触れることができるように。

たしかに二人でいた証拠を、

いつか失くしてしまえるように。

みらい平ゆみの誕生日。

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名前はとても不思議なものです。

 

生まれてから死ぬまで、現代にっぽん人は、一生涯ひとつかふたつの名前を使い倒して生きていくのだ、というのが、私はにわかに信じがたい。

 

例えば男の子という種類に生まれると、余程のことがない限り人生を一色の、唯一絶対みたいな一個の名前で生き通すのだ。 そんな事をふと考えると、なんだか恐ろしいような、立派なお城を前に「ははあ」と感心する時みたいな、ちょっと口が開いてしまうような、そんな呆然とした思いに駆られるのですね。

 

私は女の子のとき、2度ほど苗字が変わりました。

古くなった父が去り、また新しく父が現れて、小学校の名札や出席簿で呼ばれる順番が、ある日こっそり書き換えられました。

 

はじめはやはり慣れなくて、知られてはいけない特別な秘密を抱えたみたいに、しごく緊張しながら生きていましたが、そのうちすっかり慣れました。

 

大人の女の子になってからは、自分でつけた名前を名乗ったり、けっこん、りこんで国やキンムサキから呼ばれる名前がくるくる入れ替わったりしたせいか、名前というのは洋服みたいにお着替えできるものなのだ。

そんな感覚を強く持つようになりました。

 

そう。

お洋服と一緒で名前にはシーズンがある。

旬、が存在するのです。

 

そのせいで、ある時から、なんだか自分の名前が似合わなくなる、という事が起こります。

 

旬を過ぎてしまって。

 

呼ばれても名乗っても、どうも落ち着かない、むず痒い感じ。

わたしは一体どうしちゃったのだろう。

 

新しい靴やかばんが欲しくなっても、ぜんぜん気に入るものが見つからない時の苦しさ。

新調しようと思いついた時から、もう使い古しには戻れない。

宙吊りになって尚くるしい。

 

目新しい名前を、はやく楽しみたいのです。

ノートに書いたり、メールで知らせたりして、これが自分よ、と浮かれたいのです。

 

わたしは、今日から新しい。

自分で決めた誕生日。

過去と現在とを区切るものは、いったい何でしょう。

カレンダーの日付なんて、味気なくていやです。

 

わたしは名前で線を引きたい。

この瞬間から、またピカピカ誰も知らない、新しいストーリーのはじまりはじまり。

色褪せほつれた名前を脱いで、ぴんと張った生まれたての布地でドレスアップしたら。 わたしは単純なのでしょう。 またうきうきと軽やかに、生きていける気がします。

 

(そんなわけで、わたくし本日から、みらい平ゆみ、になります。お知らせでした!)

森羅万象に優しいタイムマシーン制作室2

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私は記憶。

地上の滅びたシーンたちが、私の中にまとまっている。

スケッチブックのように綴じられて。

 

あなたは時間。

私を切り取り、選り好んで、参照する。

美しいシーンを増やすのが、あなたの仕事。

 

そして私たちは人間。

世界を未来から過去へと変える、素晴らしい機械。

愛の棒読み、おやゆびを削除。

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口説かれるのは退屈。

もっと絶望してください。

 

自販機のぼたんをおや指で押すみたいに、

手に入れようとする。

無邪気だからやめて。

そんなしぐさは。

 

きっと不謹慎な人がすてき。

手のひらでこすって。

花を摘むかわりに、

永遠に取り消す。

安全地帯の白い線を。

永遠に取り消す。

この世界に足らぬものを。

それを示す線を。

 

愛の棒読みが好きみたい。

絶望のない人。

あなたのことがきらいです。

だって平和だから。

きっとお菓子みたいにわたしを

楽しんで終わるから。

 

森羅万象に優しいタイムマシーン制作室

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「優しさなんて、きぶんの問題。」

小学5年生の君が、宿題のドリルをめくりながら顔も上げずに言い放ったのは夏の終わり。

「大切なものが目に見えないなら、目って何のためにあるの。」

教訓を散りばめたフィクションに悪態をつくことを覚えて、すっかり反抗期だと君が宣言したのが秋のはじまり。

優しさも気分も反抗期も、ぜんぶそのまま丸め込みたいと大人は無邪気に考えている。

たとえば、タイムマシーンを作ったりして。