ようこそ人類、ここは地図。

私たちにおける、素晴らしい座標を

戯曲『電車という病』

 

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タダシ

「ぼくの姉は電車病です。

とりつくしまもないくらい。

電車病というのは、あ、姉貴どこいくんだよ。

 

「きまっているじゃない、タダシ。

線路を走りに行くのよ。

 

タダシ

「こんな夜中にあぶないだろう。

 

「ばかね、試運転できるのはこの時間しかないでしょう。

子供はさっさと寝なさいよ。

それとも一緒にメトロを走る?

 

タダシ

「姉貴、本当に危ないからよしてくれ。

回送列車に轢かれるぞ。

 

「回送列車なんて、跳ね飛ばしてやるわ。

いってきまーす。

 

■ 姉、照明の外へ。後ろ向きで立つ。

 

タダシ

「ごらんのとおり、何を言っても聞く耳を持ちません。

もとから姉には耳がついていないんです。

一度聞いてみたことがありました。

姉貴、どうしてそんなに線路を走りたがるんだよ。

 

「(振り向いて)何言ってるの、タダシ。

電車が線路を走るのは当たり前でしょう。

あんたこそおかしいわよ。

電車らしくないわよ。

銀色に光ってもいないし。

畳みの上でテレビなんか見たりして。

あんた本当にあたしの弟なのかしらね。

ちっとも電車に見えないんだから。

そりゃ、あたしの気持ちなんか

これっぽっちもわからないはずだわ。

弟の理解も得られないあたしって、

電車としては、わりと不幸ね。

あーあ、OLなんか辞めて、

山手線にでも転職しようかしら。

 

■ 姉、ねっころがり、観客に背を向ける

 

タダシ

「わりと不幸だと言うわりに、

姉はいつも、 僕がいる茶の間に来ては、

そばでゴロゴロしています。

OLだって、当分辞める気はなさそうです。

まんざら会社も悪くないのだと思います。

いや、それどころか・・

 

■ 姉、振り返って

 

「ねえ、タダシ。自慢じゃないけど、あたし、

会社のことが大好きなのよ。

会社のことを考えてると、

あそこがどんどん濡れてきちゃうの。

 

タダシ

「よしてくれよ。姉貴。

俺の前で、会社の話はよしてくれ!

毎日毎日、家に帰ればその話ばかり。

聞かされるこっちの身にもなってくれ。

姉貴だって、知ってるだろう?

明日は大事な試験なんだ。

俺の未来がかかってるんだ。

 

「あんたの未来なんか知らないわ。

でも、試験のことは知っている。

 

タダシ

「だったら頼むよ。

今夜だけ。

会社の話はよしてくれ。

 

「・・・なによ、タダシ。まさかあんた、会社の話が嫌いなの?

 

タダシ

「好きとか嫌いの問題じゃないんだ。

今は試験のことだけ考えたいんだ。

 

「試験のことだけ?

タダシ。

あんた、そんなにアレが好きなの?

 

タダシ

「だから別に、好きとか嫌いの問題じゃないんだ。

 

「じゃあ、あんたは、

アレが好きでたまらないってわけじゃないのね?

朝から晩まで、猿みたいに、

アレばっかりしていたいって訳じゃないのね?

 

タダシ

「ああ。別に、みんなやるから一緒にやるだけだよ。

あんなの、終わっちゃえばなんでもないさ。

 

「・・・なんでもない?

なんでもないのに、今夜はアレのことだけ考えたいって、

いったいどういうこと?

ひょっとして、あんた。

『自分に嘘をついてる』の?

好きでもないアレのことを、

それだけを考えようって、

自分の心を偽ってるのね?

いやだ・・・そんなのって自然じゃないわ。

・・・自然じゃない。

ねえ、タダシ。

あんたは自分を偽ってまで、いったい何がしたいのよ?

 

タダシ

「だからさっきも言っただろ。明日の試験には、俺の未来がかかってるんだ。

だから試験に受かりたいんだよ。

 

「未来のために嘘をつくのね。

内なる自然をねじまげるのね。

言っておくけど、ねえタダシ。

そんな風にしてできる未来は、100%不自然よ。

だとしたら、タダシ。

あんたの未来は、200%不自然よ!

 

■ 姉にあたっていた照明が消える

 

タダシ

「あんたの未来は、200%不自然よ。

その言葉を残して、姉は飛び出して行きました。

深夜の踏み切り。

満月の光はジャムのように照りつけて、

東西へ長く伸びる、中央線の線路に飛び散っているのです。

僕はどんよりと暗い街へ出て、線路沿いに姉を探します。

姉貴!姉貴!

かすかな気配に振り返ると、

真冬の暗闇。

冷えた枕木。

沈黙する鉄のレールの上。

走り去る姉らしき後ろ姿。

つっかけが金属とぶつかる音。

がつがつがつがつがつがつがつがつ!!

間違いなく姉貴だ!

寒さにガチガチと鳴る前歯の隙間から、

安堵の吐息が漏れました。

待ってくれ。姉貴。

俺が、俺が悪かったよ。

俺は、俺は、

ほんとはアレが好きだ。

俺はアレが大好きなんだ。

大好きなんだよ、チクショウ。

だからもう、

内なる自然はねじまがっちゃいない。

内なる自然は、

この中央線よりも、

ピンとまっすぐに伸びている!

だから、

だから、姉貴。

お願いだから、電車のフリはやめてくれ。

頼むよ、姉貴!!

こっちに戻ってきてくれよ!!!!

 

■ 姉に照明。ゆっくりと振り向く。

 

「まっすぐだとか、アレだとか。

ジャムのように線路に飛び散る満月だとか。

そんなことはどうだっていいのよ、タダシ。

あたしがさっきから言っているのはね、

インターネットのことなのよ。

 

タダシ

「い、インターネット?

 

「そうよ。タダシ。

現実を見るの。

あんたはインターネットの使い方を間違えている。

間違え続けてその歳まで育ってしまったのが

たぶん不幸の始まり。

 

タダシ

「なんだよ、それ。

初めて知ったよ。なんだよ不幸の始まりって。

俺のインターネット使いの、

一体どこが間違っているって言うんだよ?

 

「やっぱり気づいていなかったのね。

だったら今こそ教えてあげる!

あんたのインターネットはね、

あんたのインターネットはね!

 

タダシ

「俺のインターネットが、どうしたっていうんだよ?

 

「あんたのインターネットは、

いつも上下がさかさまなのよ!!

あんたが生まれて17年間、あんたのインターネットはずっとずっとさかさまだったの!!

 

タダシ

「・・・ショックでした。

まさか、

僕のインターネットが

今までずっと、さかさまだったなんて。

それに気付かずこの歳まで、

のん気に生きてきたなんて。

 

「驚くのも無理ないわ。

 

タダシ

「・・・ダウンロードは?

姉貴、

ダウンロードはどうなってるんだ?

 

「そんな顔をしないで、タダシ。

こんなむごい仕打ち、あたしだってしたくなかった。

 

タダシ

「いいから全部教えてくれよ!

ダウンロードは、

一体どうなってるんだよ?

 

「意味ないわ。

 

タダシ

「え?

 

「意味がないの。

 

タダシ

「何が?

 

「だから、さかさまのインターネットでダウンロードしたものなんて、

ぜんぶがぜんぶ役立たずなの!

 

タダシ

「な、そんな。・・・ぜんぶが全部って・・・

 

「たとえば、ほら。

あれが何に見える?

 

■ 姉は床を指差す。

 

タダシ

「・・・あれは、線路だろ。

 

「線路に見えるのね。

 

タダシ

「だって、線路だろ?

 

「あれは床よ。

 

タダシ

「線路だろ?!

 

「無理もないわね。

 

タダシ

「何言い出すんだよ。姉貴。

 

「じゃあ、あれは?

 

■ 姉は椅子を指差す。

 

タダシ

「猫だろ。

 

「・・・(深いためいき)

 

タダシ

「猫だろ?違うのかよ?

猫じゃなかったら、いったい何だって言うんだよ?

 

「落ち着いて、タダシ。

あれは、椅子よ。

 

タダシ

「どうかしてるだろ、姉貴。

さっきから何言ってるんだよ?

 

■ 姉、椅子に近づいていって、椅子を蹴っ飛ばす。

 

タダシ

「あ!

 

「どう?これでも猫だって言うの?

 

タダシ

「ニャーって鳴かない・・・

 

「椅子だからよ。

椅子だから、ニャーって鳴かないの。

 

タダシ

「そんな・・・・そんなバカな・・・

 

■ へたりこむタダシ

■ 姉、タダシをじっと見据えたまま、自分の頭を両手で抱える。

 

「じゃあ、タダシ。

最期に聞くわ。

あんたには、これは一体何に見える?

 

タダシ

「・・・・(ごくり唾を飲み込む)

姉貴の・・・あたまだろ・・?

 

「(哀れみに顔をゆがめて)かわいそうなタダシ。

あんたには、現実が何ひとつ見えないのね。

 

タダシ

「・・・・・

 

「先頭車両よ。

これは、中央線の、先頭車両。

 

タダシ

「嘘だ!嘘だ!嘘だ!!!!

 

「現実を見なさい、タダシ!

あんたもあたしも、まぎれもない電車の姉弟なの!

それを知らないのは、あんただけ!

認めないのもあんただけ!

 

タダシ

「俺も姉貴も電車なら!親父とお袋は何なんだよ?!

 

「(信じられないという顔で)それを・・・聞くの?

そんなことをあたしの口から言わせたいの?

 

タダシ

「じゃあ他に誰に聞くんだよ?!

姉貴のほかに誰に聞いたらいいんだよ?!!

 

「そんな風に責めないでよ。

お父さんもお母さんも、好きで早死にしたんじゃないのよ。

 

タダシ

「・・・悪かったよ。

 

「うどんよ。

 

タダシ

「・・・・

 

「お父さんはうどんよ。

 

タダシ

「うどん屋・・

 

「違う!うどんよ。炭水化物の。

 

タダシ

「な、ば、・・・うど・・

 

「お母さんは、臼。

 

タダシ

「うす?

 

「正月に出してきて餅をつくでしょう。あの時の臼・・

 

タダシ

「んなこと知ってるよ!

なんだよ臼って!

なんでお袋が臼で、親父がうどんなんだよ!

 

「出席番号が近かったの。それですぐに恋に落ちたの。

 

タダシ

「ありえないだろ、どう考えても!

「だって仕方がないでしょう!

どんな組み合わせの二人だって、

男と女は恋に落ちるし、セックスすれば子供ができるのよ。

 

タダシ

「そういう問題じゃないんだよ!

そういう問題以前の問題なんだよ“

臼とうどんがセックスして、電車の姉弟が産まれるなんて、

そんなバカな話あるわけないだろ!

俺たちの親父とお袋が、臼とうどんなわけないだろ!

 

「だけどタダシ!

あんたのインターネットは、さかさまなのよ。

 

タダシ

「・・・・・・

 

「ダウンロードも意味ないの。

 

■ タダシに「明日のジョー」のようなスポットライト。

 

タダシ

「・・・・俺は・・・俺はいったいどうしたら・・・

 

「一緒にお墓を立てましょう。

さかさまのインターネットを火葬にするの。

あんたの間違った17年間を成仏させてあげるのよ。

 

タダシ

「そうしたら・・・

俺は、

俺の意味ない17年間は・・救われるのか?

 

「もうわかっているはずよ。

タダシ、

自分が何をするべきなのか。

 

■ 姉、いつのまにか掃除機を手にしている。タダシ、ゆっくりうなずいて、掃除機を受け取る。スイッチを入れ、切符を吸い込んでゆく。

 

「(掃除機の音の中叫ぶ)そうよ、タダシ。

そうやって、役立たずのあんたの世界を、

全部アップロードしてしまいなさい!

 

■ タダシ、舞台上のいろんなものをどんどん吸い込んでいく。 その様子を見ている姉。 タダシ、静かに掃除機の電源を落とす。

 

タダシ

「何をしても無駄やっちゅうことはわかっとるんです。

せやけど、無駄やってわかるからこそ、あえてせんといかんことも

あるような気が僕はするんです。

無駄やってわかってるから、人間やったりできるんちゃうんかな。

なんぼかでも意味があるなんて、

そんなこと思い始めたら、

ぎょうさん人間乗せて、気違いみたいに走り回ったりでけへんのと

違いますか・・・・電車なんてその程度のもんです。

僕も姉も、誰も彼も、その程度のもんなんです。」

 

「いっちばんせぇんに電車が参ります。

危ないですから、

白線の内側まで、

下がってお待ちくださあぁぁぁぁぁぁぁい」

 

■暗転

わたしが雨を好きなのは。

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あさ起きて、まどのそとが雨の音にみたされていると、

ふと、思い出すのです。

わたしのこのうつくしい孤独を。

 

この世界において与えられた、私というひとつの小部屋。

その場所は、どんなふうにはげしく、雨が降りつづけたとしても、 湯気ひとつたてずに、乾いて、ここちよく、まもられている。

 

水びたしになどならない、かんぺきなこの孤独。

 

傘をもった人たちがひしめく、のぼりでんしゃのホームから、くろくぬれた線路を眺めるこの目には、 細くのびる金属が、まるで生きているように、かがやいて動き、 わたしをそそのかすのです。

 

だれかの秘密の小部屋を、そっとのぞき見てはいかがと。

 

退屈したような車内には、たくさんの孤独が、 コートに雨のしみを作りながら、ゆらゆらとひしめいて、 何も思わない目つきで、ふる雨を、まぬがれている。

 

列車がうごきだすと風に吹かれて、液体はまどにへばりつき、わたしは思い出している。

 

わたしがまだ、この世界に降る雨粒の中の一滴にすぎず、

わたしがこんなにもまだ、孤独ではなかったころの記憶を。

 

ああだけど、それをはっきりとは思い出せない。

あまりにも曖昧なかたちに、 窓ガラスの上で溶け合っている、幾本もの雨のすじ。

その輪郭など、はっきりと思い描けない。

わたしが世界の一部分として分かたれた、それ以前のことなど。

めくじら

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 あんにょん。

 

目くじらを立てている人が南にいるというので、会いに行くとそれは事件。

巨大な海の生き物が、その人の瞳にぶすと突き刺さっている。

 

だいじょうぶなのですか。

 

くじらをなでなで触りながら私が質問すると、

あまりだいじょうぶではありませんよ、

とその人は答えて。

でもしかたがないのです。

困ったものだと空を見る。

すると刺さったくじらのしっぽの方が、それに合わせてぐいんと上を向く。

 

じつは来週妻が出所してくるものですから、目印を出しているんです。

彼女はぼたん泥棒の罪をゆるされて、百年ぶりに出てきます。

 

奥様はぼたん泥棒? 

 

そうですよ。

あなた知らないのですか。

百年前、長野県諏訪市内で起こった「ぼたん三億個強奪事件」を。

 

はつみみですし,ぼたん三億個もいったい何に使うんでしょう。

私にはわかりそうもありません。

 

まあ若い人はそうでしょう。

今はミシンがありますから。服も丈夫に買えますから。当時と世相も違います。

 

私の妻は不器用でして、ぼたんがうまくつけられなくて。

不安に駆られたのでしょうね。

 

「このまま一生ぼたんがつかなかったら、いったい何を着て生きてゆけばいいのやら」

 

チャックがまだない時代でした。

だけど着物で生きるにはもう遅かった。

恐れた妻はぼたんを盗み、いまは刑務所暮らしです。

家族は百年待ちました。

 

目くじらを立てている人が悲しそうにうつむくと、くじらのしっぽが地面にあたって、その人はそれ以上、下を向くことができないようでした。

透明なくらし

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ゆふがた

きっぷをてにつかれたおかおで

おつとめからかえっていらっしゃる

かえるあなた

 

よくしつをあたため

おゆうしょくのしたくをして

かみをとかしてからえきまで

えきまであなたむかへにいって

きえさるわたくし

 

えきからのさかみち

くだりながらとぼとぼ

わたくしとあなた

まるでひとそろえの

おはしのようにいつも

ならんであるきゆくどんどんと

どんどんとゆくしわす

ゆくしわすいずこ

 

ほんじつのこんだてを

おしへてあげましょうかあなた

おんせんのようにあたためた

ゆどうふとおみおつけ

しゃっきりといただける

れんこんのあえもの

それからかんにしたおさけも

ごいっしょにめしあがれ

 

ごいっしょにめしあがれ

 

はしらどけいがときをきざむ

ちいさなやしきだんらんのいま

ただじこくをつぶやくとけいのこえだけ

きいておかおをみつめますあなたの

 

ああまたなにか

なにかあなた

かんがへごとをしているのですか

そうなのですかと

 

わたくしにどうか

あなたのいろいろをきめさせて

きめつけさせてくださいな

 

わたくしいがいのいろいろに

あなたはこころをなやませて

ここにはいないあなただと

うそでもほんとにおもはせて

 

そうそうだあれもここにはいない

いないひとならこころもいない

 

そうそうだからうわのそら

 

あなたはいつでもうわのそら

やさしいくせにうわのそら

 

それもけっこう

それもけっこう

 

わたくしなんにもわずらひません

ただただかうしていられれば

 

つまらぬものをたべさせて

つまらぬはなしをくりかえし

あきてもまだなおあなたにだかれ

つまらぬをんなとおもわれて

 

それがいいそれがいい

どうかどうかとまたせがむ

 

そんなをんなをあいしてくれる

やさしいあなたはいないかと

 

あきらめながらほんじつも

ほほえみながらてくてくと

えきへとまいり

まいりますわたくし

 

だれかをさがして

あのえきへ

きえさるまえにあのえきへ

 

ゆふがた

さびしくつかれたかおで

マジカル・リサイクル・サービス

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マジシャンになりたいと思ったことは一度もない。

タネとしかけを育てるのにずいぶん骨が折れると子どもの時から聞かされていたし、ほとんどお手本に近い失敗例を間近に見ながら育ったせいだ。

僕のパパンは生まれて1時間もたつともうマジシャンになると言い出して、子どもの頃からその欲望に周りの人間を巻き込んできた。結局は運と才能に恵まれていないことが段々わかってきたのだが、パパンはそれでも人生のかなりの時間を費やして、マジシャンになるべくもがいていた。

(彼はマジシャンに敬意を表して、それを「マジッシャン」と発音した。僕はどっちの言い方でも別にかまわないんじゃないかと思っていたけれど、パパンの前では一応そこには気を遣っていた。)

パパンはずいぶん熱心に手品の研究を続けていたし、各地の有名な「マジッシャン」にマジックの「コツ」を聞くために何日も車を走らせて大陸を縦横に行き来した。

 

だけど結局彼のそのおそるべき集中力はある日を境に矛先を変える。

長いこと手品によって目隠しされて気付かなかったようだけれど、パパンは実は相当に目移りしやすい性格だった。彼は手品修行の途中でパスタソース作りにハマってしまって、今はペンネのゆで加減やバジルや野菜の鮮度にうるさい、ふつうの庭師におさまっている。

(パパンの3番目のガールフレンドが僕の妹を産んだ年に、彼ははっきり家族の前で、「今日というこの日をもって、パパンはマジッシャンをあきらめる」とそう宣言した。)

 

4番目のガールフレンドと別れて落ち込んでいたパパンは、ある日オリーブの木の剪定中にアイスレモンティーを入れてくれた人妻と恋に落ちると、やがて彼女の望みどおり、シルクハットも鳩もダイスも、何年もかかって集めてきた倉庫2つ分の手品道具のすべてをあっさり手放した。マジカル・リサイクル・サービス。七色のペンキでそう書かれたトラックがやってくると、パパンの唯一ともいえる財産(リサイクルサービスの回収担当は見積書の「おもちゃ」という欄に迷いなくチェックを入れていた)を手際よく箱詰めにして、どこか知らないところへとそれらを永遠に運び去った。今から12年前の話だ。

 

それ以来、パパンはもう二度と手品を披露しようとはしなかったし、タネやしかけについてのお得意の講義もぶたなくなった。

僕は大人になり、特に好きでもない自動車修理工場に週6日通って、休みの日にはじっくり油の染み込んだ分厚いつなぎを2着、ランドリーマシーンに放り込む。ガールフレンドはたまに家までやってくるが、時々二度とやってこない。

だいたいそんな風なことが繰り返されて、そのサイクルの中に含まれるひとつひとつの出来事に僕はペプシを飲んで納得する。なかなか見事なゲップが出ると、自分の暮らしがまた一周し終わった合図だ。ささやかなピリオドがひとつ、僕の歴史年表に打たれる。

 

自分にはマジシャンの素質があるのかもしれない。

だから僕がそんな風に思い始めたのは、本当に思いがけないことだった。きっかけというほどのことはない。ただ、ごく自然にそれは起こって、その場に居合わせた全員をぽかんと驚かせたまま、僕はそれがマジックなんだということをごく淡々と受け止めるしかなかった。

その日の僕らは工場の休憩室で、まだ終業時間前だというのに、テレビを見ながら冷たいビールを飲んでいた。

喘息もちの工場長が見回り中に発作で死にそうになっていたのをレスキュー隊員に引き渡して、僕らはもうすっかり仕事する気分じゃなくなって、とりあえず酒でも飲もうと誰かが言い出したのに従ったのだ。

やりかけの仕事は残っていたけれど、ちょうど太陽も落ちてきて、ただでさえ照明の足りない工場の中は隅の方から暗闇がしずかに広がってきていた。

何人かは家に帰り、帰ってもしかたない連中はなんとなく残った。冷蔵庫から何本かのコロナとビールを取り出して栓を抜くと、僕はほかの連中と休憩室のぼろいテレビを眺めていた。

フットボールの試合がだらだらと続いていた。

そろそろ隣に座った奴が玉突きにでも行こうと誘いをかける頃合いだった。

だけどその日に限ってそいつは空の瓶を振ってこう言った。おい、もう酒はないのかよ。

それは一番年下の僕に、椅子から立ち上がってさっさと冷蔵庫の中を確かめてこい。そういう意味だ。

去年の夏、女房に逃げられた可哀そうな男だ。工場にはそんな連中ばっかりが吹き溜まりみたいに集まっていた。

彼らのうつろな視線がテレビのガラス面越しに、ここではないどこかをさまよっていた。

休憩室のすみにある冷蔵庫は、低い不満の声に似たモーター音をたてて僕を見据えていた。

 

急に誰かが見事なパスを成功させて、相手チームが逆転のシュートを決めたらしい。小さな機械の箱から漏れる歓声と光が一瞬にして大きくなり、男たちは何も言わずその光景を見つめたまま、背中の影の色を濃く強めていた。僕はその後ろ姿を何か物悲しい気分で眺めた。

テレビの実況とだいぶずれたタイミングで、誰かが耳障りな奇声を上げた。酔っているのだ。べとついたドアの取っ手に手をかけたまま僕はその声を無視して、ゴールを決めた選手がチームメイトの輪の中に誇らしげに戻っていく様子をぼんやりと見ていた。

だからというわけではないけれど、冷蔵庫の一番近くにいたくせに、そのおかしな事態に気が付いたのは、僕が一番最後だった。みんなが僕の方を見てわあわあ騒ぎ出して、それでようやく何が起こっているかを知ったのだった。

 

僕はその日以来、あれこれと考えざるを得なくなった。心地よく意味のない僕の人生のサイクルが、知らない誰かのでかい手でぐしゃぐしゃに握りつぶされようとしている。その状況をペプシで一気に片づけることもできたが、それは最終手段にとっておこう。僕はめずらしくそう思った。

 

いったいどういうトリックを使ったんだ。

休憩室にいた連中は、あの後いっせいに僕に詰め寄った。

僕が開けた冷蔵庫の中には、つい1時間ほど前に運ばれていったはずの工場長がいたのだ。彼はがんじがらめの拘束具をつけられた状態で、クッションか何かのように丸まって、狭い箱の中に乱暴に押し込められていた。眼はかたく閉じられて、死んでいるようにも見えた。

事態がややこしくなったのはそのあとだ。僕が冷蔵庫を開け閉めするたびに、悲惨な姿の工場長がその中で出たり消えたりしたのだから。僕がそれを出そうと思えば出たし、消えろと念じればそれは消える。そしてまったく奇妙なことに、ほかの誰がやっても無駄だった。何度扉を開け閉めしても、そこにはコロナとジンジャーエールの瓶が2本。そしてカビの生えたラードの塊にバターナイフが刺さったまんま汚らしく転がっているだけだった。

僕が子どもの頃、パパンがよく話してくれた手品のタネとしかけの話。僕はその話を思い出さずにはいられなかった。それは自分だけの力でどうこうできるものじゃないんだ、とパパンは言った。それに見初められるかどうか、そこが大事なんだよ。(あとでそのくだりが有名な奇術師の受け売りだと知ることになるが、そこは仕方ない。僕のパパンはいろいろなものを寄せ集める才能だけは見事だったのだ。)

付き合いたてのガールフレンドと同じさ。お互いが恋に落ちたなら、あとは育てていくものなのさ。そいつがうまくいった暁には、きっと素晴らしいマジッシャンへの道が拓けるだろう。そしたらどんなヘビーなショーでも絶対乗り越えられる。神様の手が味方するんだよ。

 

だけど僕は、マジシャンになりたいと思ったことは一度もないのだ。

乗り越えるも何も、マジックショーをやりたいとすら思っていない。パパンのように、タネとしかけと恋に落ちて、彼らをかわいがった覚えもない。あんな奇妙なことを自分がみんなの前でやってみせたことだって正直まったく嬉しくない。「できる」と「したい」と、ましてや恋はとにかく全く別物なのだ。

電話でそのことをパパンに話すと、しばらくパパンは何を言っていいか分からないという風に口ごもって、スパゲッティを茹ですぎてしまうから、という言葉を最後にそのまま電話が切れた。

おそらく、僕はパパンのナイーブな未練をうっかり蒸し返してしまったのだろう。

だけどやっぱり僕はマジシャンになりたいとは思わないし、自分が何の気なしにやったことが素晴らしいショーになっていたとしても、周りの人には「気にしないで」と笑ってお茶を濁すしかない。

ましてやパパンの情熱を受け継いだ「偉大なマジッシャン」なんて僕はほんとうにまっぴらなのだ。

大名庭園、お着物道を通りゃんせ。

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まあこう見えて、あたしはこわがりやから、世の中にはこわいことってぎょうさんあると今まで思ってたんよ。

 

せやけどな、ほんまにおそろしくて、足ビビビってすくんでまうような、そんなおっとろしいもんなんて、そうそうあらへんねやってあたし、こないだ分かってしもてん。

 

ちゅうのもな、お庭歩きのことや。

 

あそこの大名庭園は裏門の鍵がだるだるやから、一発忍びこんだれやってこないだ夜おそくに百ちゃん誘って二人で出かけてん。

 

春になれば染井吉野が咲きほこっとるお庭さんや。

ものごっつきれいやねんけど。あんたはどうせアンポンタンやから分からんやろ。

まあええわ。

 

そのお庭さんがな、この時期はまた紅葉やで紅葉。

もみぢ狩りの狩り場やで。

おもてからちょこっと中をのぞくともうな、真っ赤なお城や。

昼間はおっちゃんおばちゃんがぎょうさんつめかけよる。

まあ年寄りの観光名所やな。

わらわら人がおって、地元の人間にはうっとおしい眺めや。

 

せやけど、夜は別でな。

夕方5時には正門が閉まるから、誰もおらんくなる。

さぞかし静かやろ。

誰もおらん紅葉のお庭を2人じめや。ええやんええやん。

そう思って百ちゃんと出かけてん。

 

裏門の前までさむさむ言いながら、百ちゃんとカイロにぎにぎしてな。

閉門の5時もとっくにすぎて晩御飯の時間や。

ほしたら着いてびっくり。目ん玉とれたわ。

 

むっちゃ人おるやん!

 

そうなんよ。

夜の庭園をライトアップするっちゅう、なんちゃらウィークや。

 

なんやもう、あてがはずれたわって思ったけどもやな。

そこで帰るんもさみしいやんか。

ほんならふつうに入ろかっちゅう話になって、

百ちゃんと切符買うて中に入ったわ。

まあまあ、そこは正解やったな。

 

一歩お庭に踏み込んだら、見渡すかぎり万華鏡や。

びうてほーや。

うっつくしい眺めやった。

 

ちっこいもみぢの葉が、何枚も何枚も空中で重なってポーズつけとんねん。ジャンプしたまま降りられへんバレリーナやで。

ずっとずっときれいなまんま、そこで時間が止まりよる。

 

興奮した百ちゃんが

「お着物の柄の中、歩いとるみたいやなぁ」

って言うたから、興奮したあたしも

「ほんまやな、お着物の柄の中やわ。お着物道やわ。」

って答えといた。

 

吹流しの袖口を抜けると、お池にぶちあたってな。

端っこから端っこまで、泳いだら何分くらいかかるお池やろ。

まあ水泳部員とちがうから、そこらへんはわからんかったけど。

とにかく、ごっつでっかいお池や。

そのお池に、ライトアップされたもみぢやらつつじやらが色とりどりに映りこんで、水面がまるで鏡なんよ。

見事なもんやで。想像してみい。

あたり一面、水でできた鏡ばりの絨毯や。

そこに金ピカの秋が、うっとり優雅な顔しはって寝そべってるんやから。

ほんでもって、風が吹いたりすると水の波紋に合わせてな、鏡の中の景色がゆらゆらちゃぷちゃぷ揺れたりするんよ。

なんやたまらんかったわ、あんまり浮世ばなれしとって。

 

あたしがゾクゾクしながら見とれとったら、

「まるで穴や。」

お池さん指さして、百ちゃんがそんなことを言うた。

 

たしかに明るく照らされた岸辺のところ以外は、

百ちゃんの言うたとおり池はがらんどうで、

地面にでっかい穴がぽっかり口を開けとるみたいやった。

 

「なあ。これはたぶん、じごくあなやで。

 落ちたら絶対じごくに落ちる、じごくあなやで。」

 

百ちゃんは穴の淵に立ちすくんで、でかいでかい地獄への入り口をはやしたてる。

 

いや、ちゃうで。

でかい池が地獄へ通じる地獄穴で、怖い怖いっちゅうオチやないんよ。

 

まあまあ、たしかにあんだけおっきな落とし穴が、夜道に口開けとったら、そらそれで、むちゃむちゃ怖いねんけどやな。

 

ちゃうねん。

そっから後の話や。

 

池からまた元の着物道を引き返して、百ちゃんとふたり、吹流しの模様になって歩いとった時や。

 

もう裏門も近いでって辺りで、ふと名残り惜しくなって百ちゃんもあたしも、お互いに立ち止まったんよ。

後ろにも前にもずっと続く紅葉の赤々とした眺めや。

うちらは、なんとなく口もきかんと黙ってしばらくそれを見てたんよ。

まあ、日本人やしな。秋の風情に感じ入る瞬間やった。

 

そん時や。

あんまりその眺めが美しかったせいやろか。

 

「ほんまはあたし、いまここにおらんのとちがうか。」

 

そんなクエッションが、夜空からぽかーんと心のなかに落っこちてきて、

そこでピタッと止まってん。

 

どっから落ちてきたのか知らんけど、なんや赤や黄や橙の秋の切れ端を見てるうちに、へいこうかんかく、みたいなもんが、どっかでおっきく傾いてしまったのかもしれん。

 

その「ピタッ」の瞬間から。

こんな浮世ばなれした眺めは、現実にはありえへんのと違うやろか。

自分の心ん中にしかありえへん眺めなんと違うやろか。

どんどんそないに思えてくんねんな。

 

ほんでな、もし仮にそう思たことがほんまやったらな

仮に、目の前の景色が心ん中にしかありえへんものやとしたらやな。

 

あたしがいま見ている、この紅葉のうっつくしい絵っちゅうのはや。

あたしの心の中のうっつくしい絵やねん。

あたしはあたしのこころんなかをうっつくしいけしきとか思てながめとんねん。

 

そんでな、中のもんが外にもあるっちゅうことはな、

あたしの外側と内側がおんなじうっつくしい模様でつながっとんねん。

地続きやねん。

 

ちゅうことはや。

その外っかわと内っかわの間に突っ立っとる

このあたしっちゅう仕切りは一体なんやねんな。

うっつくしい外っかわの模様とうっつくしい内っかわの模様を

なんで途中で区切っとんねん。分けとんねん。

そんなん、せんでええやん。

仕切りなんか、いらんやんか。

 

そう思えてきてん。

 

ほしたら、障子紙が水に溶けるように、あたしもこの模様の中に、溶けてしまうのがよろしい。

いや、ちゃうな。

もうはなから、あたしはこの模様に溶けとんねや。

ここにはせやから、あたしはもうはじめからおらんねや。

 

そうやった。

ここにあたしはおらんねや。

 

 

 

百ちゃんがあたしの手を引っ張っらんとそのままやったら、

あたしはきっと、あそこで溶けてなくなってたと思うねん。

 

その証拠に、裏門から出たあと街灯の光に洗われると、あたしの体にずしんと何かの重さが戻ってきてん。

それが何やったのかと聞かれると困ってしまうんやけど。

百ちゃんのおかげで命拾いしたわって、その時に思た。

 

そうや。

きっとあれは、お庭の中で落っことしそうになった、あたしの命の重さかもしれへんな。

あのお庭の眺めの中には、

 

やめとこ。

 

あたしが恐ろしいのは、あん時、あの模様に溶けてしまうことがきっと正しいって、自分がはっきりそう思ってたっちゅうことや。

恐ろしいなんて、微塵も思わんかったっちゅうことや。

 

恐ろしいもんを恐ろしいと感じなくなる。

そんな風にかどわかされたら、人間なんてひとたまりもないわ。

 

それにくらべたら、こわいこわいって怖がってられるもんなんて、まだまだかわいいもんやで。

 

ほんまに。

幽体離脱の父。

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困っているのは、ほかでもない

私の父のことなのです。

いったい、いつから始まったのか、

私もくわしく知りません。

よくよく記憶をたどってみれば

確かに、赤いランドセル。

わたしが九九を習うころ

事態はすでに

あのすがた

 

あのころ

わたしが恐れたものは

宿題だとか犬だとか

スカートめくりなどでなく

息をひそめてこっそりと

上履きの中に隠れてる

わたしの父のことでした。

 

お父さんはおそらくね、

ひどく心配性なのよ。

 

母は事が起こるたび

わたしにそう言い聞かせます。

「会社の人も言ってるの。

ひどく真面目な人だから。

きっと心配しすぎるの。

ときどきムキになりすぎるんだ。

悪いことじゃあ、ありません。

よくある事とも思えませんが

あってはならない事じゃあない。

だってあなたのご主人でしょう。

悪く出るとは思えませんよ。」

知らない男が家に来て

母の鼓膜にベタベタと

甘いことばを塗りつけます。

 

そんなときに限って父は

いつも会社にいるんです。

心配性が途切れると

仕事に溺れてしまうのです。

自分の殻にこもるのです。

心が弱い人なんです。

 

中学の時は筆箱に

高校では生理用品の隙間で

父はわたしの心配を続けました。

包み隠さぬ友人たちは

ときどき私に言いました。

 

「わかっているとは思うけど、

いつもあなたのお父さん、

幽体離脱してるわね。

柱のかげや机の中で

こっそりあなたを見てるわね。」

 

わかっているからなおのこと、

口にされると困るのです。

父に悪意はないんです。

ただ心配性がすぎるんです。

だから体を脱ぎ捨てて

わたしの傍にいたいんです。

 

そんなわたしの父ですが

それでも世間は優しくて

会社も首にはなりません。

幽体離脱をする人は

よほど丈夫にできていて

首もなかなか切れないらしく

それでも無理やり切ろうとすると

不当解雇になるそうです。

世の中やさしくできています。

 

そんな父も

つい先月

賃金労働の夢から覚めて

晴れて定年を迎えました。

家に居るのが常になり、

母もひどく喜んでいます。

これで父の幽体離脱

すっかり影をひそめるだろうと。

 

案の定、

父は体を脱がなくなって

心配性も止みました。

わたしが父を思い出し

出先で財布を開けてみても

そこにはもう

父の姿はありません。

ときどき寂しくもなるけれど

これでよかった気がします。

 

子離れとはよく言いますが

父はようやくわたしを離れ

ほったらかしの自分の住処に

ちゃんと戻っていったのです。

終の住処を見つけたように

父は幸せな顔になりました。

考えてみれば

人間は

そもそも

体と生きるんです。

幽体離脱しなくても

心配くらいできるのです。

 

わたしがちかごろ

困るのは、

そんな父のことなんです。

自分の体に戻ってからは

父は 強気になりました。

心配性は止んだのですが

すこぶる強気になりました。

 

心の弱い人間の

強気はたまに

たちが悪い

 

わたしの父がいい例です。

わたしがどこかへ行こうとすると

外から鍵をかけるのです。

窓も全部を閉じるのです。

たまったものじゃあありません。

仕方がないのでこっそりと

新聞受けから外に出ます。

それでも父はあきらめず

私が帰ると鍵をかけ

むごい仕打ちをするのです。

一生出るなと言うのです。

 

出るなと言われた

その部屋は

一生居るには退屈で

捨ててしまうには惜しいのです。

だから昼間の間だけ

わたしは家出をするのです。

そとをふらふら歩くのです。

うっかり車にはね飛ばされて

泣いては家に帰るのです。

高いところに登っては

捨てられぬ家を恨むのです。

家が一番という言葉は

負け惜しみなんだと思います。

家を捨てたその先に

行くところがないだけ

なんだと思います。

わたしの父にそう言うと

そうでもないさと

笑います。

いつでも家出が出来るよう

家に居るのがいいのだと。