ようこそ人類、ここは地図。

アーティスト「2月5日」のブログ。

めくるめく眩暈世界。わたしは船乗り。

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この二週間ほど、めまいがやまず、まっすぐと歩けない。

いつも船の上にいるようである。

地面が揺れている。

しばしば地震が起きているのかと間違う。

 

居合わせた人に尋ねると、揺れてはいない、と答えが返ってくるので、嗚呼これはわたしの肉体だけに起こっている個人的地震なのであるな、と結論して医者にかかる。

 

目を塞がれて体をぐるぐる転がされたり、仁王立ちになって赤い目印を見続けたり、ヘッドホンを耳にあてがい微細な音波に合わせて指でスイッチを押す、など各種点検をほどこされた末に、突発性難聴か、ストレス性のなんとか、メニエールは違うようだけれど、さあどうだろうか、とりあえずもうすぐお盆なので粉薬を処方します、と医者が言う。

耳鼻科の待合室では子供たちが走り回っている。

 

そうか世間はお盆休み、夏休み、そういう季節であるのだな、と処方箋をひらめかせて夏を感じ、朝晩と粉薬を飲み飲み横になっている。

体を立てようとすると、地面がぐらつく。

ぐらついているのは自分の方なのだけれど、感覚としては逆だから不思議だ。

 

真面目に養生しているものの、一向に回復していかないので、不安な心持ちが時折きざす。

このまま一生涯をひとり船の上で過ごすことになるのだろうか。

磯の香りだにしない栃木県の畳の上で。

扇風機の風に吹かれながら。

 

やけになって外へ飛び出す。

地上に降りるための階段がうまく踏めず、飛び出し損ねる。

 

このままめまいが止まなんだら、いっそ本当に船乗りになってしまおう。

曇天模様の空を見上げながら、そんな事を考える。

訓練はすでに勝手に始まっている。

一歩リードだ。

いまは微塵もない私の中の船乗り願望が現実味を帯びることがあれば、この訓練は無駄ではなかろうと思う。

何も焦ることはない。

僕らが旅に出る理由、オノ・ヨーコという人。その3

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青森に心惹かれた理由の2つ目を考えていたのだけれど、結局理由というのは後付けかもしれない、などという事をふと思う。

 

恐山、下北半島十和田湖、行方不明になっていた八戸のおじさん(野田秀樹の芝居のセリフに出てくる好きなフレーズ)、寺山修司、エトセトラエトセトラ。

 

青森関連でそそられるキーワードはあまた思い浮かぶのだけれど、結局この旅の目玉の目的地として私が選んだ先は、十和田市にある「十和田市現代美術館」なのであった。

 

towadaartcenter.com

 

 

東京から足を運ぶには少し遠い、すごく遠い。

 

そんな風に思いながら、数年ほど浮きつ沈みつするこの美術館への興味を再度手のひらにすくい上げて、転がしてみる。

ネット検索をかけて、この美術館の所蔵作品について調べてみる。

オノ・ヨーコさんの作品が3つ、展示されているという事が初めてわかる。

 

知らなかった。

これは行かねば、と思った。

 

✴︎

私が中学生の時に初めて「オノ・ヨーコ」という人の存在を知った時、まっさきに目を引いたのはジョン・レノンと結婚した日本人女性、という特異な経歴であり、語り草になっている数々のエピソード、そして印象的な長い髪と厄介そうな大きな瞳であった。

好きとも、きらいとも区別しがたい彼女の存在を、厄介そう、と思った私は近寄りがたいものとして、そっと片隅に押しやって、そして忘れた。

 

そうやって何処かになくしたはずのオノ・ヨーコという人を、ひとりのアーティストとして再び捉え直し、はしと向き合うことになったのは、自分が20代になってしばらく。

舞台演出を初めてからのことである。

 

アートが作品として完成するのは、どの地点なのだろうか。

 

舞台作品を作りながら、そんな問いがしばしば私の中によぎった。

脚本を書き上げ、役者にセリフを渡し、音響照明美術の支度をととのえる。

客席が人で埋まり、客電が落ちて、時計の針と共に舞台上のパフォーマンスは始まりから終わりをめがけて真っ直ぐに進んでいく。

 

「舞台はナマモノ」だとはよく言われる。

ではその「ナマモノ」というのは、一体いつまで生きているのだろう。

そして、どこでどのように死ぬのだろう。

 

数ヶ月にわたって稽古をつけた役者の演技の精度をストーカーのように執拗な眼差しでもって見守りながら、私は自分の作品地点がどこにあるのか、どこにもないのか、その解を探していた。

 

オノ・ヨーコさんの作品に『グレープフルーツ・ジュース』という本がある。

 

想像しなさい、という呼びかけで読み手はそこに書かれた内容を、見た事もない景色を頭の中に思い描くよう指示される。

想像しながら、自分の常識や思い込みが柔らかくほどけて、どこでもない場所に立っているような、風が吹き抜けていくような、そんな感覚に陥る。

 

本に書かれた言葉と、それを手にした人と、その人の想像力の働きと、そして像を結んだ不可視の景色と。

それら全部でひとつの作品。

 

書かれた言葉によって、読む人の頭の中で作品が完成する、という仕組み。

本自体はその作品を生み出すスイッチのように機能する。

『グレープフルーツ・ジュース』によってそれを目の当たりにした時、私は私の作品は観客の頭の中で完成するのだ、という結論に辿り着いた。

(そのあと結論は流転して、それは数ある回答のひとつ、という事に今はなっている。けれどあの作品が流転の最初の一押しであったような感触は今も忘れていない)

 

ともあれ、アートは額縁や美術館や劇場という物理的に限られた場所でしか生存を許されない脆弱な貴重品などでは毛頭なくて、それに触れた人の魂に太く根を下ろし、やわらかに野蛮に発芽していくものなのだ。

その美しい仕組みを、作品によって私に教えてくれたのがオノ・ヨーコさんという人なのであった。

 

「ナマモノ」は死なず、花になる。

 

そんなわけで、十和田市現代美術館ではオノ・ヨーコさんの3つの作品を観た。

 

ピカピカ光る電飾やゴムやプラスチックをふんだんに取り入れた現代アート作品が多い中で、生きた林檎の木に紙の短冊を結びつける『念願の木』。

玉石を敷き詰めた『三途の川』、そして実際に鳴らすことのできる『平和の鐘』。

どこか私たちの肉体と地続きの材料でできたそれらの作品は、私たち人類そのものであり、そしてオノ・ヨーコその人であるなぁ、とそんな事を思った。

 

小さな美術館の外に出ると、世界とのつながりが太く大きな夕焼けになって光っていた。

 

 

 

作品タイトル『キクナ』

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作品タイトル『キクナ』

スケッチブックにサインペンで。

 

僕らが旅に出る理由、太宰治の青森。その2

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 大英帝国を差し置いて、どうして青森だったのか。

 

青森に興味を持ったきっかけは2つあった。

1つ目は津軽半島にある金木(かねぎ)という土地だ。

ここは作家・太宰治の生まれ故郷で、今でも生家の建物が残っている。 

 

一応、前置きしておくと私は太宰治の大ファンというわけではない。

思春期を太宰に救われた記憶もないし、桜桃忌が近づいてきても特に気にしない。

太宰治の良さがしみじみと染みてきたのは、20代の終わりごろにぽつぽつ本を読み出してからだと思う)

 

好きな太宰作品は沢山あるし、魅力ある作家だとは思う。

けれど、

「とにかく太宰が好きで好きでたまらくて心酔してます、ほんと生まれきてすみません!」

みたいな、そういう「どっぷり感」は一切ない。

 

それならどうして太宰治の生家を訪ねて、私は青森まで行くのだろう。

自分でもなぜ、と思って考えてみる。

すると、

フィクションとしての「太宰治」。

生身の生活人としての「太宰治」。

その2つの太宰を反復することで浮かび上がる何かを見たい。

そんな思いがあることに気づく。

 

作品を読んだことがなくても、「太宰治」の名前を知らない人はあまりいないだろう。

人間失格」といった作品名から連想される、シリアスで取っつきにくい雰囲気。

その雰囲気だけで十分に「文学」の記号として機能しうるのが太宰治という作家だと思う。

 

太宰治」の記号性や文学というジャンルにおけるポップ・アイコン的な祭られ方が私には面白く、そして作品・「太宰治」が今現在どのように鑑賞され、そしてその存在が更新され続けているのか。

私はその「現場」に立会いたい。

そんなことを思っているようだ。

 

(一昨年、東京三鷹にある『太宰治文学サロン』を取材した時に、そこにいるボランティア・スタッフの方がまるでリアルタイムで生きている近所の有名人を噂するような身近さで太宰エピソードを話す様子がとても面白く、「太宰治を語る人たち」ともっと話してみたい、と思うきっかけになった)


太宰は作品を通じて作られた彼の「虚像」で人気を博し、その「実像」で愛される作家なのだと思う。

虚像の出来栄えが見事であればある程、その舞台裏の素顔に触れた時の意外性や「発見した感」というのは大きく、読者はその落差も含めて、なお一層彼に魅了される。

そういう仕組みを目の当たりにする時、心の中は面白く、また不思議な味わいがある。

 

芸術が時の洗礼を経てエンタメ性を獲得していく。

それはやはり太宰治その人だからこそ可能な、バージョンアップの形だったのだろうとつくづく思う。

 

実際に訪れた青森県五所川原市・金木町で、私は太宰治の生家『斜陽館』と第二次大戦中に太宰が疎開していた時に使っていた離れ『疎開の家』を訪れた。

 

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『斜陽館』はどちらかというと観光色が強く、明治期の木造建築の佇まいを味わうといった向きであったが、その斜陽館から少し離れた場所にある『疎開の家』。

ここは今なお太宰治の気配がそこかしこに息づく、まるでパワースポットのような厳かな力を感じる場所であった。

 

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実際に疎開中に太宰が執筆していたという書斎の一室の座布団に座らせてもらい、『疎開の家』の管理人さんと言葉を交わす。

 

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太宰が家業や肉親に抱いていた思い。

作品に滲む彼の優しさと葛藤。

新潮文庫の太宰の短編集を片手に、管理人の方は「フィクション『太宰治』の一人歩きが裏目に出て、本人の人柄が日の目を見ない場面に居合わせると悲しい」のだと、太宰愛を煙のようにくゆらせる。

丁寧な所作でめくられる文庫本のページには、たくさんの付箋が挟まっている。

 

私が、音色の異なる楽器を使い分けるように、作品ごとにふさわしい筆使いのできる作家であったという意味で、太宰を「器用な人だと思います」と所感を述べると、その「器用」という言葉に反射的に出たのであろう、「けれど彼の人間は不器用ですからね」とすかさず擁護の言葉がかぶさってくる。

 

前のめりだ。

この人は前のめりに、太宰の「実像」を愛しているのだ。

ここにも太宰治の虚と実を行き交う、激しい往来がある。

ふつ、と喜びに似た感情が胸に込み上げる。

ここに来てよかったと思いながら、私は再び津軽鉄道に乗り込み、彼の人の故郷を後にした。 

 

太宰治記念館「斜陽館」 - 太宰ミュージアム

 

僕らが旅に出る理由、行く先は青森。その1

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「どこか遠くに行ってくればいいのに。イギリスとか。」

居候先で家主にそう言われたのは、たしか6月ごろのことだった。

 

当時の私はこの2年ばかり不慣れな賃金労働を続けた無理がたたって気力・体力ともに衰弱を極めており、ほうほうの体で会社を辞めて独立。

フリーランサー専門のコーチングを受けながらも、とりあえずは人並みの健康を取り戻すのが先決という結論にいたり、都内を離れて田舎で療養&居候ライフをスタートしたばかり。

つまりは海外へ出かけるようなアグレッシブさは元より、どちらかというと病人よりに命の針は触れており、なんとかその日暮らしをしながら今後のことを考えるのが精一杯という、振り返れば暗澹たる状態であった。

そんなタイミングでの海外旅行の提案である。

 

「いつまでもそんな死にそうな顔で居られても、こっちだって気が滅入る」

「はあ…(そんなこと言われても)」

「イギリスってすごく面白い国だよ(行ったことないけど)。ああいう所にいけば気が晴れると思う」

 

なぜイギリス。

この瀕死の体にユーラシア大陸横断のフライトは過酷すぎるぜよ、と無言で受け流していたが、旅費を負担するから、と家主は譲らない。

 

そもそも私は長距離移動のための乗り物が無理なのである。

10代でパニック障害を患ってからというもの、飛行機や新幹線の利用は極力避けているし、やむなく利用する際は信頼のおける人に付き添いを頼むことにしている。

 

それがゆえに、「単身イギリス旅行」。

ううううう、辛そう。

キャッキャとはしゃぐ気は毛頭起こらず、むしろ苦行に感じてしまう。

旅費の負担という提案は、とてもありがたい申し出には違いないのだけれど。

 

それからほどなくして、家主は海外ドラマ『ダウントン・アビー』なる英国貴族たちが繰り広げるお家騒動的な話にハマっていて、その舞台がイギリスだという事が明らかになった。

なんたる安直。

であれば私の旅先も、家主のマイブームによって限定される必要はまったくないのでは。

 

「イギリスは、ちょっと今は気が進みません」

「じゃあ、いつになったら元気になるの?」

「時期は、自分でもわかりません」

「イギリス以外で行きたい所ないの?」

「青森なら」

「え?」

「青森なら行きたいです」

「え〜(不満げ)。あおもりぃ?ふーん。。。地味だね」

 

イギリスから青森の落差は大きかったようで、話はそこで終わるかに見えた。

が、結局私はひとり青森に行くことになった。

家主は死にそうな無職(またの名をフリーランス!)の中年女がうろうろ家の中を徘徊するのが、よほど嫌だったと見える。

3泊4日分の旅費をぽんと手渡された。

そんなわけで、私はひとり青森へ旅出つことになったのである。

 

 (つづく)

夏籠人間模様、解読絵巻

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悩ましきことのつくづく。

ジパング
四季の国がゆえに
葉月ともなると都市は
砂と石と油の床にずぶと埋まりて
どこもかしこも地獄に似た灼熱が常なり。

殊更に
人の集うところ
人肌くるみたるその温もりども
密に集うがゆえに風神様も力及ばず
微風そよがすに留まりはべりぬ。

目覚めては
山の手電車でついと走れど
内側の気色はさながら蒸した湯屋のごとく
額に汗したる人どもの見苦しき様よ。

湯屋ならば
水を打ち冷ますこともできようが、
人々ひしめき合いたる籠の中では
それも叶わず。

ただ目当ての駅に想いを募らし
気を紛らわせけれど
やがて、
それにも飽き飽きて
籠の内の人々眺め
心平らに過ぐす術を見つけることにす。

額に汗したる男

執刀中の外科医と思うべし。
人命をその手で動かしたる最中。
額を汗でしとどに濡らすも不思議ならず。
持ちたる手拭でそっと雫を押さえてやるもよし。
同じ籠に乗り合わせたるは幸運なり。

座席で化粧に耽る娘

肺呼吸できぬ民。
白粉に見えし粉は酸素の粉なり。
粉末酸素を顔面の皮膚に塗りて
呼吸をす。
紅差すも同じ理なり。
酸素の粉顔から剥がれかかりたる折
生命危うし。
指摘すべし。

眉間に皺寄せたる人

これより土下座に向かう人なり。
地に頭擦り付け許し請う事情あり。
心重く、気持ち晴れぬこと泥の如し。
同情すべし。

にわかに怒り出す人

お殿様なり。
下々の日々の暮らし見物にまいりたまふ。
されど、
その余りの苛酷に身をやつすこと耐え切れず
お忍びの御身もお忘れになりて
籠の中、暑さの渦中に御乱心。
江戸城への乗り換え電車教えるべし。

言葉曖昧聞き取れぬ車掌の声

まだ赤子なり。
言葉よく知らず
舌も思うようには回らぬが
声だけは大人びて野太し。
家計のため里子に出されるも
ろくに食事にもありつけず栄養不良。
不憫極まりなし。


くどくどと身の上話する人、多くは五月蝿し。
よき人の口に出して己が身の上物語る人
極めて稀なり。
されど、
物言わぬ物
物言わぬ人こそ
よく心の眼を凝らせば雄弁に口上す。
その言葉聞くべし。

 

ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』 彼女はシャッターを切る。

 

ジュンパ・ラヒリさんというインド系アメリカ人作家の短編集『停電の夜に』を、この2カ月くらいをかけて、とぎれとぎれに読んでいる。


内容は決してつまらなくはないのだけれど、一気に飲み干すような読み方ができない類の作品で、ひとつの話を読んでは何日か休み、途中でほかの本もはさんで、ちょっと映画でも観て、とそんなことをしているうちに、すべての作品を読むまでにかなりの期間を要していて、まだあと2本、未読の作品を残している。

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私はよほど合わない作家の本を無理に読むのでもない限り、読書にそういう時間のかけ方はしない方なので、「ふしぎだなぁ、時間かかるなぁ」とこの本を読みながら首をひねっていた。

さいきん人と話していて、ふと思い出して自分のおすすめ本として『停電の夜に』を挙げたときに、その面白さを言葉にするのが妙にむずかしくて、そのうまく言えないもどかしさが再び「この本ってふしぎだなぁ」という感覚を呼び起こして、いまこうやって文章にして考えている。

 

どうしてこの小説は、読みすすむのにこんなに時間がかかるのだろう。


ほかの人はどうか知らないのだけれど、少なくとも私はとても時間がかかる。ひとつの作品を読んだら、しばらく次の作品を読む気が起こらない。
そしてその理由は、ラヒリさんの小説の「言いたいことのなさ」に由来するものなのだろうと、何となくそんな気がしている。

彼女の小説を読んでいると、誰かの記憶を撮影したスナップ写真を見せられているような、そんな気分になる。
『停電の夜に』の作品はどれも、悲しみにくれることができない種類の悲しさだとか、不幸だと嘆くにはあまりにありふれている出来事の苦さを描き、極めてドライに人生の片鱗を描写している。
そして、そのフレームの中に作者自身はいない。外側からレンズを覗き、淡々とシャッターを押し続ける。その一連のしぐさこそが、彼女の作品の独特の手触りを作り出している。

そして、それらの手触りは限りなく読者である自分自身が生きている人生の手触りにちかく、似すぎていて、小説によって別世界を体験しているというよりは、「今いる自分の居場所からどんなに隔たっても、たとえ違う人間になったとしても、今の自分が味わうのとそう変わらない、同じ種類の人生しかないのだ」という夢のない事実を告げられているようでもある。

 

もちろん作者は、作品の中にそういうダイレクトな言葉を用いているわけではない。
けれども、人の人生に否応なく紛れ込んでしまう「かたづけようのないもの」「できればそっと見て見ぬふりをしてしまいたいもの」を淡々と描き、そこにそれがあるのだと示す。そういうこと自体が、もう十分なメッセージとして機能している。
そしてその語り口は一見するとマイルドで優しい調度品のようだが、手で触れてみたときに、それが思いがけずひやりとした素材でできていることに愕然とする。

だからジュンパ・ラヒリさんの小説のページをぱらぱらとめくってみると、そこに待っているものは単純な読書というほど生やさしいものではない。
そこにあるのは、自分自身の人生の追体験であり、あるいはまだ味わっていない不幸や侘しさの予告編である。

だから私は、そんなものを次々と読み進められはしなかったのだ。
そして、時間をかけてゆっくり咀嚼しなければ「もたない」という思いにも自然となるのだろう。
ジュンパ・ラヒリさんの描いているのは、作者の人生でもなければ、架空の誰かの人生でもない。読者である私の人生、それそのものなのだから。
それを他人事として読んで楽しみたい気持ちと、読みながら、読み終わった後の苦々しい実感と。
その行ったり来たりを許される場所を作り出す上手さが、彼女の小説の魅力なのだと思う。


そして彼女の作品をたまらない気持ちで読み進んでいるとき。
部分麻酔の手術を受けているみたいだ。
ふと、私はそんなことを思ったりもする。