ようこそ人類、ここは地図。

私たちにおける、素晴らしい座標を

「森羅万象に優しい図書館」の取扱説明書。

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人類カレンダー2018年、秋。

宇宙の片隅で、ひっそりオープンした「森羅万象に優しい図書館」。

この文章は本図書館の取扱説明書です。

 

<この図書館の仕組み>

 

この図書館の所蔵作品は、すべて旅をする本です。

この図書館は、地上に生きるすべての存在に向けて開かれています。

(もちろん、地球在住の宇宙人の方にも利用していただけます)

本を借りる為の資格や利用料などは一切ありません。

地球上のどこへでも、あなたのいる座標まで本は旅します。

 

 

<この図書館の作用>

 

◎「森羅万象に優しい図書館」では、

たった一冊しかない本を、みんなで愛する。

 

◎ある人の人生のひとときに滞在した本が、また誰かの人生の中へと旅をする。

 

◎旅する本には、誰かの時間、誰かの景色、誰かの思いが、地層のように、年輪のように、積み重なって増えていく。

 

◎「商品」としての価値とは別の文脈にある、「物としての大切さ」を増やし、味わい、分かち合っていく。

 

◎一冊の本を依り代に、人と人とが心を通わせる。

 

<この図書館での作法>

 

◎本に向かって、自己紹介をする。

 

◎同じ時間に生きているね、と誰かにハローを届ける。

 

◎本を受け取った手の先にいる人たちが、すこやかであるように祈る。

 

◎この図書館のような仕組みが、いろいろ形で、地上に行き渡っていることを思い出す。

 

<この図書館のほそく>

 

◎「森羅万象に優しい図書館」は、新しい試みではありません。

 

◎人類に内臓された「愛の仕組み」を思い出すための装置にすぎません。

 

◎だから、あってもなくてもどちらでも良い。

 

◎そういうものです。

 

____________

 

<所蔵作品>

 

◎現在、3つの作品があります。

 

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詩集「ことばの焚き火」

著者:金子恭子 

金子さんの日々の文章はこちらから

note.mu

 

眼差しと、ことばが、焚き火のように心に温度と明るさをもたらす。

 

その火に手をかざした時に初めて、

指先の皮膚が硬く、むずかしく、こわばっていたことに気づかされる。

 

まるで、ともし火のような一冊。

 

(ラジオ番組「森羅万象に優しいタイムマシーン制作室・イン・radio」でも、この詩集から一編を朗読させていただきました。)

 

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短編小説「もつれあう廃墟」

作者:2月5日、ゆみ

 

遠くに去ったはずのあの人の言葉が、いまなお強く心で作用し、光を放ち続けている。

心の立体模型を文章で立ち上げた、2月5日ゆみの処女小説。

 

(以下、ご感想から抜粋)

 

「読むほどに、ゆみさんの世界の中に入り込んでしまうと思いました。まるで偏光ガラスを覗き込んだみたいな、キラキラした小説でした。」

 

「消失点の位置が変わり続ける立体図を読んでいるみたいでした。遠近法の溶け合う瞬間がすごく面白かった。」

 

「泣きながら一気に読んでしまいました。そして何度も読み返してしまった。感想がうまく言えません。だけど、これを書いてくれて、届けてくれて本当にありがとう。」 

 

本作は、2018年に行われた第55回文藝賞の一次選考を通過した作品です。

応募の経緯など、小説についての詳細はラジオでお話しています。

 

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絵本「イスとイヌの見分け方」

著者:きたやまようこ

きたやまようこオフィシャルサイト

 

「やさしさ」って何だろう。

むずかしくて、よくわからない。

そんな時にはこの本が、きっと役に立つでしょう。

相手を理解すること。

ふさわしい態度とふるまいで、接すること。

イスなのか。イヌなのか。

まずはそこを見極めるのが肝心です。

 

<この図書館で本を借りる>

 

◎ここまでお読みいただき、「森羅万象に優しい図書館」で本を借りたい、と思われた奇特なあなた。

 

◎借りたい本のタイトルとご住所をメールしていただくか、東京の吉祥寺という場所にあるタイムマシーン制作室を直接訪ねてください。

 

◎メールアドレスはこちら。

niga2.5ka@gmail.com

 

◎タイムマシーン制作室はこちら。

東京都武蔵野市吉祥寺本町3-3-10

「BLACKWELL COFFEE」

 

◎ちなみに、タイムマシーン制作室の外観はお洒落なカフェですし、コーヒーを頼んでいただくことによって、カフェとして楽しんでいただくこともできます。だいたい月曜はお休みですので、インターネットなどで確認してみてください。

 

◎お目当ての本が貸し出し中の場合、本が帰還しましたら、ご連絡差し上げます。

 

◎お知らせを待つ時間もどうぞお楽しみください。

 

◎タイムマシーン制作室と連絡を取り合っている、なんて事は絶対に秘密ですよ。

2019、新しい白紙に立つことは。

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新しい場所に立つと、今まで居た場所は古くなるのだろうか。

過去、という引き出しに投げ込まれて、色褪せてしまうのだろうか。

きっと、そんなことはない。

まったくの新しい、

白紙のような現在に立つ、

僕たちの目に映るものは。

それは別世界の過去。

それは生まれ変わっている。

取っ組み合いの最中には、

決して見ることのできなかった、

傷だらけの背中を、

僕たちは見る。

澄んだ呼気を血液で濁らせて、

身体のすみずみに体温を燃やしながら、

這いずり回っていた戦場を、

いまの僕たちならば、

全力で抱きしめられる。

生きてゆくこと。

白紙の場所に立ち、

また立って、

なんどでも立って、

生まれ変わった新しい過去に、

出会い続けていくこと。

___________

新春。

本年も皆さまと共に、すこやかにのびのびと日々を過ごしてゆければと思っております。

どうぞよろしくお願いいたします。

新年のご挨拶と日々の感謝を込めて。

2月5日、ゆみ

タイムマシーン制作室よりの御礼。

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10月29日開催の「森羅万象に優しいタイムマシーン制作室」は無事にひとときの時間旅行を終え、制作室のメンバーはそれぞれの座標へとかえってゆきました。

 

制作室メンバーの皆さま、サポートいただいた皆さま、そしてこのタイムマシーン制作室の立ち上げにお力添えいただいた、BLACKWELL COFFEEの甲斐隆史さん。

みなさまの温かな手助けに、心からの感謝を申し上げます。

 

再び、お会いできる日を楽しみに。

本日からはまたラジオにて、森羅万象のあれこれを優しく語らっていけたらと思っております。

 

また、次の参加型アート作品の概要が決まりました。

詳細につきましては、ラジオとこちらのブログにて追ってお知らせさせていただればと思います。

 

ラジオは毎週月曜に更新しております。

どうぞご贔屓にしていただけますと幸いです。

(オンタイムでなくとも、下記のリンクからいつでも視聴いただけます)

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10/29開催!森羅万象に優しいタイムマシーン制作室

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「森羅万象に優しいタイムマシーン制作室」

2018年10月29日(月)19:15スタート ※完全予約制

@吉祥寺BLACKWELL COFFEE

吉祥寺駅北口、中町通り徒歩10分)

チケット料金:2000円

チケットは10月10日よりBLACKWELL COFFEE店頭で販売しております。

(メールにてもご予約いただけます。下記のアドレスまで、お名前とご連絡先をお伝えくださいませ。

こちらからのご確認のメールをもって、ご予約完了とさせていただきます)

niga2.5ka@gmail.com

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雨つろう、輪切りのユートピア(言葉によって、言葉を忘れる。すべての生き物のために)

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雨は動く線だ。

誰かの思いつきのように、その線はいつも脈絡なく開始される。

 

線は、巨大な余白にすばやく描きこまれて、質量と運動性をもっている。

うねりながら落下し、無制限に数をふやす。

まるで、生き物のように。

 

白い余白が幾本もの線によって埋め立てられると、そこはもう余白ではない。

あたらしい名前が発明されて、私たちは、そら、と口ずさむ。

 

そら、に引かれた線を拡大すると、そこに色がある。

色は奥行きを表して、線が立体なのだと私たちは知る。

 

誰かが指を触れると、色の内側に温度が見つかる。

温度は漠然としていて、どこか手ごたえが不足している。

それは、こちら側とあちら側とに切り分けられない、いろいろなものを思い出させる。

 

地上の生き物が水から生まれてきたことについて誰かが考えている。

 

目を閉じて、そしてふたたび目を開く。

そのまばたきのはじまりに人が死んで、そのまばたきの終わりに誰かが人を産み落とす。

 

雨に占領された空の一辺は地上と分かち難く密着している。

線の先端は空をはみ出して、地上へと流れ込んでいる。

その流れ込むすがたを眺めている誰かが、液体、という言葉の意味を辞書で調べはじめる。

音楽はまだ現れていない。

聴覚と音感を持つ生き物が、まるで愛するような仕草で、それを待っている。

 

待つことをいとわない人がひっそりと眠りに落ちて、ほんのつかの間この世界から退場する。

人がいなくなって広々とした画面の中に、線がさしこむ。

 

線は音にすがたを変えていて、誰かがその気配を音楽と間違える。

 

それが間違いであることを知らせるために、私は小さなプレイヤーを取り出して、スイッチを入れる。

ボタンを押して電気がはしると、そこにしっかりと組み合わさった音の集合が出現する。

 

なんてすばらしいんだ。

 

誰かが感動した証拠を見せるように、手のひらをたたく。

指揮棒がオーケストラを演奏する。

風に舞う胞子たちのように、空気中に音の群れがふくらんで広がっていく。

 

ポケットの中に入れたままの四角くて薄い紙のような金属製のプレイヤーはわずかに熱を帯びている。機械がもたらすその熱を私たちはときどき命と取り違える。

 

けれど、そのことは、ちっとも問題にされない。

ちっとも、というその言葉の形。

その形を、肉体において確かめることを、私たちは試みている。

 

意識を集中すると、わたしの中に巨大な大聖堂が現れる。

石造りの、かたい、美しい建物を、たくさんの音が、音の重なりが、作り上げていく。

 

まずさいしょに建物の入り口ができて、高い天井のついた空間が太陽がのぼる速度でゆったりと現れる。

 

ステンドグラスのはめ込まれたおごそかな礼拝堂ができて、わたしはその内部を奥へと歩いていく。

 

恩寵のような光の点。

床にばら撒かれた、命のような点。

それらは、命に似ていて、くっきりとした輪郭を少しも持っていない。

 

光は、何かを照らすわけでもなく、ただ光そのものとしてそこにあって、動かず、地上に、とどまっている。

 

影と光の点が世界を覆う、ひとつづきの模様になっている中へ、わたしは踏み込む。

 

光は床から私の肉体の表面に、一瞬で移動する。

いくつも移動する。

 

点はほかの点とつながり、やがて私自身が大きな光そのものになっていく。

 

光になった私の先に、何かが見えている。

けれど、それが何かは判然としない。

 

私が光になるほどに、見えるものは暗く、わからないものになっていく。

 

めをとじる。

何かを見破ろうとするでもなく、ただわからないことを味わうために。

 

息をすう。

肉体がここにある、ことをたしかめる。

 

たくさんの音が束になって、私の背中を前に押し出す。

たくさんの腕が私の意識をからだごと前に引き寄せる。

 

気がつくと、わたしは音楽に抱きしめられている。

 

振り返っても、来た道はない。

過去は、すべてが跡形もなく、消え去っている。

 

余韻だけが残っている。

何かが、たしかにそこにあったはずだ、という余韻。

けれど、わたしの皮膚は、その形を、たしかめることができない。

 

考えようとするそばから、浮かんだことは泡のように消えて、どこかになくなっていく。

 

音楽はいつも輪切りだから、と生き物が言う。

 

それを手のひらにのせて、眺めたって仕方ないんだよ。

 

ただ抱きしめ合うことでしか、たしかめられないものがある。

それをわたしはずっと前から知っているような気がする。

 

生き物は、飛行機の翼みたいな巨大な包丁をゆったりとかまえて、焼きあがったばかりの大きな大きな食パンの塊をうすく、一枚ずつスライスしていく。

 

切り分けられた断面図を、わたしは一枚いちまい時間軸に沿って並べ置いていく。

 

音楽も食パンのように、切り分けて食べられたらいいのに。

 

生き物はそうだね、と答えるかわりに、新しい食パンをかまどから取り出している。

 

ずっしり重たそうな長方形のかたまり。

湯気を放ち、りっぱなオーク材のような色をしている。

 

生き物はそのりっぱなかたまりを、広い作業台の上にいくつもならべていく。

 

地平線の向こうまで、作業台は続いていて、湯気のたった食パンの行列も、規則正しく模様のように世界の果てまで続いている。

 

これをぜんぶスライスするつもりなのだろうか。

 

生き物にたずねようとして、そこに誰もいないことに気づく。

 

雨がやんだ空の虚ろさを誤魔化すみたいに、黒い鳥の群れが地上をよぎる。

 

着陸のアナウンスが流れて、頭の中の大聖堂はすでに形を失っている。

足場を失った音の群れたちが耳の中にさまよい、出口をもとめてもがいている。

 

指先でボタンを押し、プレイヤーを止めて、イヤホンをそこに巻きつけ、腰の後ろから安全ベルトをたぐり寄せながら、鳥が去ったあとの窓の中をのぞきこむ。

 

窓から見下ろすと、地上は道端に捨てられた薄汚れたパンケーキのように、泥水を吸って膨らみ、ぐったりと死にかけている。

 

これから向かう世界は、ぬかるみと憂鬱な気分を混ぜ合わせたもので出来ている。

そんなことを思う。

 

ベランダに干しっぱなしで雨に降られたときの敷き布団、と彼が言う。

 

起きていたの、とたずねると、いま、と返事をしながらほんの少しだけ残っているミネラルウォーターの紙コップに唇をつけて、きゅうくつな座席のシートに体をこすりつけるように腕や足を伸ばしている。

 

眠りのせいで体温がすこし上がったのか、動くたびにかすかに彼の肌のにおいがする。

 

飛行経路を示す液晶ディスプレイの地図の中で、白い飛行機の絵はアムステルダム、というアルファベットの文字の上に着陸しようと試みている。

 

乗り換えた飛行機の中では日本語のアナウンスも乗務員も消えてしまって、私たちは耳慣れない音楽を楽譜に起こす時のように要所要所で流れる英語のアナウンスに耳をすました。

 

神経を休めようと食べものを口に入れ、ミントの粒を手のひらに出して、大事なものをいたわるような仕草で、ていねいにていねいにそれを舐めた。

 

座席の正面に設置されたモニターの中で、誰にも愛されていない映画のラインナップが明るく光っていた。

 

細切れのあさい眠りと短い会話、ふいに運ばれてくる小さなカップに入ったスープやくだもの。

あたたかい食べ物の匂いを嗅ぐことが喜びに変わりはじめた頃、雨が降り始めた。

 

気がつくと、飛行機は雲の下に向かっていた。

 

インタビュー「森羅万象に優しいタイムマシーン制作室、では何が起きるのですか?」

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ー今回はインタビューをお受けいただき、ありがとうございます。

 

「こういった取材というのは、基本的にお受けしていません。

 

しかし、タイムマシーンについては誤解も多く、一度くらいはきちんとお話したほうがよかろう、というのが今回の判断です。」

 

ーお話を聞ける貴重な機会ですから、さっそく質問を始めさせていただきましょう。

まずはじめに、タイムマシーンを作るための、特別な場所があるというのは本当ですか?

 

「もちろんです。

 

タイムマシーンは大変に特別な場所で制作されています。

 

私たちはその場所の地図を描くことができますし、入り口を示すこともできます。

 

しかし、その場所を実際に訪れることができるのは、肉体とこころをその場所に運ぶ、と決めた人間だけです。」

 

 

ーなるほど、タイムマシーンの扉は、選ばれた人間にだけ開かれている、という感じでしょうか。

 

「選ばれた人間ではなく、決めた人間です。

タイムマシーンにおいて、選ぶ、選ばれるということを考えるのは、意味のないことです。」

 

ーそれでは、すべての人間にタイムマシーンの扉は開かれている、と言い直しましょう。

 

「その言い方の方がふさわしいと思います。」

 

ーそれにしても、タイムマシーンを作る、と聞くと想像が膨らみますが、具体的にはどんな材料やプロセスを必要とするのでしょうか。

  

「正確には、タイムマシーンは作るものではありません。

 

すでに皆さんの中で完成しています。

 

私たちが制作室でやることは、すでにあるタイムマシーンを意識的に動かすこと、動いている、と気がつくこと、そして自分以外の人間のタイムマシーン、その存在や在り方を想像すること。

 

材料は、すべて、みなさん自身の中にあるものばかりです。

 

それぞれが持ち寄ったタイムマシーンがどのように違っていて、どのように似ているのか。

それをただ味わうこと。

 

これがもっとも重要なプロセスです。

 

言葉に置き換えたり、意味や物語のフォーマットにむりやり当てはめようと試みると、タイムマシーンの生み出す微妙なニュアンス、大切なエッセンスはどんどん損なわれていくでしょう。

 

それを避けるために、私たちの制作室では、極力タイムマシーンが、あるがままの状態でいられるように、手助けをします。」

 

ーそれでは「制作」と言っても、実際に手を動かして形あるものを作る、という事ではないのですね?

 

「そのとおりです。

 

それはすでに完成しています。

形は持たない状態で、すでに完璧に出来上がっています」

 

 

ーその、形を持たないタイムマシーンが「あるがままの状態でいる」というのは?

 

 

「たとえば実際に何人かでタイムマシーンを動かしたときを想像してください。

それぞれの中にある、それぞれのタイムマシーンを、です。

 

その時タイムマシーンが過去へと向かう人、未来へと向かう人、ここではないいつか、名づけ得ぬ地点へと旅をする人もいるでしょう。

 

その時間軸の旅の中で、タイムマシーンの窓から見える景色を、こんな景色が見えた、などと周りの人に報告する必要はありません。

 

私たちも何が見えたか、どんな気分か、などと質問したりすることはしません。

 

なぜならば、何らかの「言葉」に置き換えた時点で、その人の中にあるイメージの一部、あるいは大部分は失われ、「言葉」に付着した意味や他人の作ったイメージがかわりに紛れ込み、その人の見た景色は、味わった感覚は、まったく違う何かに変質してしまうからです。」

 

ータイムマシーンを味わうプロセスにおいて、感想を言ったり、意見交換などはするべきでないと?

 

「もちろん、思ったことや、伝えたいことを言葉に乗せてコミュニケートすることは素晴らしいことです。

 

しかし、人間の意識という場所には、言葉ではうまく捉えきれないものがたくさん溢れています。

いやむしろ、言葉になる領域の方が少ない。

そう言った方が正確でしょう。

 

ほかの人がいるから、何かうまい感想を言わなければ。

そんな風に心が働いてしまうことや、自分の中でも言葉にならない感覚を、なにか既存の言葉に置き換えて、人に伝える、というのは、社会的な振る舞いとしてはごく当たり前のように行われていますが。

私たちにとっては、あまり良い作用を持つとは思えないものです。

 

そのような態度は、私たちに言わせれば、この世に一つしかない美しい宇宙を、ダンボール箱に投げ入れて、どこか適当な場所に積み上げておけばよい、というような感じを受けるのです。

 

とりあえず、そこにあるものは片付く。

しかし、ふさわしい扱いではない。

 

とりわけタイムマシーンに関しては、そういった態度でいることは野蛮だと考えています。」

 

 

ーなるほど、そうですか。おっしゃることが、なんとなく分かってきました。

 

「ご理解いただいて、感謝いたします。」

 

ーそれではつまり、要約すると、あなた方の制作室では、時間旅行ができる乗り物を作るわけでもなく、写真や言葉で過去の懐かしい思い出を見せ合うのでもなく、ただ何人か人を集めて、それぞれが昔のことを振り返ったり、遠い先の未来を想像したり、何も言わずぼんやりする。簡単に言えばそういうことになりますね?

 

「おっしゃる通りです。

 

 それ以上でもそれ以下でもありません。

 

人間の意識以上に素晴らしいものはありませんし、そこに必要以上に手を加えることはまったくもってナンセンスです。

 

中途半端なテクノロジーを披露したり、小手先の意見交換で社交パーティを開くほど、私たちは明るくほがらかな人間ではないのです。

 

私たちが興味をそそられているもの。

それは、ただただタイムマシーンなのです。

 

すでに完成しているタイムマシーンの素晴らしさを、言葉なく見つめ、味わい、耳を澄ませる。

 

これ以上に森羅万象に優しく、あたたかい振る舞いがあるでしょうか。

 

ですから、何かお祭り騒ぎや手品の類を期待して来ていただいても、がっかりなさるだけでしょう。

 

私たちの制作室では、訪れる人がもっとも素晴らしいものを手にしてやってくるのです。

宇宙を差し出す人に向かって、一体どんな品物をお出ししたら礼儀にかなうのやら。

どんなマナーブックをめくっても、その回答は見つからないことでしょう。

 

もちろん、せっかく訪ねてくださる人に、コーヒーの一杯くらいは、お出しするかもしれませんが。

 

私たちにできるもてなしと言ったら、せいぜい、そのくらいのものですよ。」

 

 

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「森羅万象に優しいタイムマシーン制作室」

2018年10月29日(月)19:15スタート ※完全予約制

@吉祥寺BLACKWELL COFFEE

チケットは10月10日よりBLACKWELL COFFEE店頭で販売。

(メールにてもご予約を承りますが、店頭販売分が優先となります)

niga2.5ka@gmail.com

 

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死なないための1つの解、三鷹天命反転住宅。

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この肉体が滅びてもなお、世界と溶け合ってその一部となり、存在し続けるものがあるのではないか。

 

それは長らく私の個人的な予感であり、時々は確信であった。

 

目に見えないものを、どのように取り扱えば「大事」にできるのか。

 

それを考える手段が、自分の場合はアートを作ることだと思い始めてから、長らく心に引っかかっていた「三鷹天命反転住宅」を訪ねることにした。

 

結果、その場所は、いまの自分にとって出会うべき、的確な解の1つであったように思う。

 

www.rdloftsmitaka.com

 

芸術家/建築家の荒川修作とマドリン・ギンズが手がけたこのカラフルな建物は、「死なないための住宅」というコンセプトを掲げており、実際にそこに泊まったり、住んだり、という形で作品と関わることができる。

 

今回私が参加したのは「見学会」という名のワークショップだったが、限られた時間ながら実際に住宅の中に入り、その空間を体験できる、素晴らしく広がりのある内容だった。

 

学芸員の方による作品の解説の中でも印象的だったのは、写真などで「天命反転住宅」を見る時にまず目を引く、ビビッドな、ともすれば刺激が強すぎると感じる建物のカラーリングが、単なる装飾的な目的ではない、ということ。

 

建物がカラフルな塗料で何色にも塗り分けられている目的は、アート作品として人工的に「自然」を再現しようとした時に、「多様な色彩がそこに居合わせている」状態に置き換えるのが最も「自然」に近い状態である、という意図のもとに作られているのだという。

 

「自然の色」というと、植物の「緑」や大地の色、海や空の「青」などで塗ることを連想しがちだが、それはあくまで人間が「自然」を切り取った時の一部にすぎない。

 

本来の「自然」の色彩というのは、私たちが識別しきれないくらいの無数の色彩がそこに存在している状態であって、その状態を表すには、一見すると「うるさいくらいの色数がひとつの空間にある」場所を作ることが必要なのだ。

 

そのような意図に基づいて設計された空間において初めて、私たちは「いかにうるさい色彩環境においても、人間の視覚はそれに慣れる機能を備えている」ことを体感することができる。

 

ほかにもワークショップの中では、頭で理解する前に「身体がその場所を理解し、すでに対話が始まっていること」を気づかされる瞬間が多くあり、プログラムが進むにつれて、自分の身体における知性が明るく目覚めていくような感覚があった。

 

すみずみにまで思想が行き渡り、かつその思想が一つの作品として訪れる人の身体に(頭ではなく、身体に直接)語りかけるよう設計されている点が「住めるアート」と言われる所以であるのだ、とつくづく腑に落ちた。

 

 

荒川修作とギンズの作品において用いられている、「死なないため」という言葉の意図は、物理的な死を超えていくような、人間の可能性を知ろうとする態度を指しているのだと思う。

 

肉体の死は、あくまで表層的な存在の終わり(見かけ上、そこで終わりに見えるような区切り)にすぎず、「天命反転住宅」は物理的に肉体が滅ぶことは、人間の存在が消えてなくなる事とイコールではない、という思想を模索するための装置として、丁寧に見事に設計されていて、それを作品として具現化するに至った作り手の中にある、命を掴もうとする切実さを思わずにいられなかった。

 

人間の身体の可能性は、「死」という見かけ上の終わりを超えていく。

 

「死」を超えようとすること。

それは、物理的な死を遠ざけることでも、やみくもに生命を引き延ばす努力のことでもない。

 

人間の肉体と精神、魂の可能性を自らの身体で知ろうとする態度、身体に付与された知性を知ろうとする事こそが、生きようという意思の表明であるのだと、そんなことを思った。