ようこそ人類、ここは地図。

2月5日、ゆみの散文集。

面会の効用、渋谷の養老天命反転地。

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5月中旬某日。

 

引きこもっている。

 

人間との対話に乏しい毎日。

茶店での注文やよろず屋での挨拶を除けば、話らしい話をしていない。

 

社会性という筋肉がこのまま衰えて戻らないのでは。そんな不安が芽生え、なかば無理やりに出かけてみる。

 

近隣の書店で行われている本の出版イベントや、読書会といった集まりに参加。

発言の機会は十分にあり、多少なりとも内容のある会話をかわすことで、脳と社交性に刺激を与えたいと目論むが、催しの内容はどれも退屈極まりなかった。

うんざりした気分で帰宅。

 

茶店の注文とよろず屋での挨拶だけで、いまの私には必要十分量の社交生活だと思い知る。

 

5月下旬某日。

 

体のメンテナンスの効果が出てきたような気がする。

 

首の痛みもほとんど出なくなってきたし、眠りすぎることもない。

 

4月から始めた室内でのエクササイズも板についてきた。

体重や体脂肪といった数値にそこまで変化はないものの、1時間半程度のトレーニングが苦行ではなく習慣に変わりつつある。

 

我ながらとても素晴らしいことだと思う。

 

そんな矢先、飼い猫たちの毛づくろいを手伝っていたら、白猫の額の部分に瘡蓋を発見。

ブラシで毛をかき分けてみると、一箇所だけでなく額全体にわたって瘡蓋が広がっている。

 

ネコダニ、疥癬、皮膚癌、脱毛、免疫不全。

 

インターネットに散らばる不穏な単語を集めていると、恐ろしさばかりがそそり立つ。ひとまずかかりつけの動物病院を予約。

 

猫は何も知らず、瘡蓋まみれの頭で狭い部屋の中を無邪気に走り回っている。

 

夜、獣の小ささが哀れで真っ暗な部屋でひとり泣く。

姿見の中に自分の引き締まった腹筋がむなしく映っているのを見つけて、用心深く生きても避けられない不幸、という誰かの言葉が眼裏に浮かぶ。

 

5月晴天。

 

発明家のミサンガと渋谷の坂の上で待ち合わせ。

 

渋谷の坂の上は駅でいうと井の頭線の「神泉」という場所なのだが、土地の起伏と坂道によって構成されている駅周辺というのが、まるで岐阜にある「養老天命反転地」だ、という話で盛り上がる。

 

現代美術家であり、思想家でもある荒川修作の作品「養老天命反転地」。

この作品のコンセプトは「人間は死なない」というものであり、物理的に肉体が滅びた後も、土地の記憶として、あるいは編み込まれた時間の一部として、人間は死なず、場所と溶け合って生き続ける、という思想が埋め込まれている。

 

実際の「養老天命反転地」はカラフルな屋外アスレチック、という出で立ちなのだけれど、「鑑賞者が斜面や坂道で怪我をするのではないか」という安全性を懸念する管理者サイドに向かって、荒川修作は「そうでなくちゃ意味がない」と言ったという記事を何かで読んだ。肉体の可能性を、破損や不自由という広義の可能性も含めて、最大限に引き出し、意識化する装置として「養老天命反転地」は存在している。

渋谷円山町近くの迷宮のような路地裏のアップダウンを踏みしめながら、私は足元の地面に向かって「そうでなくちゃ意味がない」とは思わない。

私が思うと思わざるとに関わらず、作者不在で出来上がった「都市」というアート作品は、おのずと生と死のはざまのグラデーションをすべて含んだ器のように機能しているのだ。そのことを思って、人為的なものをあらゆる意味でやすやすと凌駕していく自然の巨大さ、そして残酷なまでの人間味の無さにしばしおののく。神というものがあるとすれば、それはこの自然の仕組みそのものではないのか、などと考える。

 

発明家ミサンガはアボカドを挟んだパンを3つ喰い、私はよく冷えた珈琲牛乳をすすって暑さをやり過した。眠ることによって絵が描けるアプリの開発話などを聞くうちに、太陽が西に落ちて、神の泉の天命反転地にまた新しい夜が訪れる。

 

子を憎んでも、母。

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親になる事とは、無縁で生きていくのだと思っていた。

 

命を預かり、守り、育むという仕事が自分の人生に舞い込むことを想像して楽んだ日もあったが、それはもはや遠い過去の話である。

 

改めて人生を振り返ってみれば、結局親になる事はいつも自分から遠かった。

たとえば縁あって、妻になった時も。

父になりたいと願う人をつよくつよく愛した時も。

私はいつもどんな時でも母になる道を固辞し続けた。

 

その道を選ばなかった理由は判然としない。

 

妨げとなったものを書き連ねることができたなら、いっそサッパリとした心持ちで自分にも他人にも申し開きができそうに思うが、まったくよくわからない理由でもって、私は子を産むことも、親という立場を引き受けることも、やらず挑まず今日まで生きてしまった。

 

婚姻の最中、孫の顔が見たい、と請われた折は、自分の中にない色を出せと言われているような、泣きたいような心持ちになるばかりだったし、年増なのだから急いで子作りを、と道理を説かれれば、季節の終わりに焦るのはかえって不様だと居直る気持ちが湧いてきたものである。

 

そこには、他人の都合や価値観でもって自分の人生が圧迫されることへの反発心も多分にあったことは間違いないが、それでも自らの心に沿ったお節介であれば、軽く聞き流すこともできたはずだ。

 

けれど私は結婚を飛び出し、母となる運命を反故にした。

全身全霊で挑んだその脱出劇を悔いる気持ちは少しもないが、人の心を手折った時の鈍い痛みは忘れようがない。

 

独立国家を作るみたいな物々しい離縁の季節から数年を経た今思うことは、母となる道においては理屈などなく、単純な好き嫌いがあるだけ、ということである。

 

母の子として生まれてのち、いつの間にか女になった私は、妻になることはできても、自らが親になる事には生涯疎遠だと悟るための結婚であった。

 

当たり前のように母となっていく人たちを見るにつけ、何かを問われているような居心地悪さを抱いて過ごした時期もあったが、四十を目前にしてみると、自分に縁がない趣味や娯楽を一瞥するのと変わりなく、今では母になるという選択についてほとんど何も思わない。

 

人の好みに論理や筋道を求めて理由づけしたがるのは暇人のやることで、暇人代表のような暮らしを送っている私としても、好みは感覚の産物であると、そのくらいで分析をとどめておくのが上品な気がしている。

人の親になるということは、きっと素晴らしいことであるかしれない。けれど、自分がやるかと言われたら、決してやらないし好まない。

フルマラソンを走るのか、それとも走らないか。

いまの自分にとっては、そういう話と等価である。

 

そんなわけで、人の親となることなく、妻の座も降りて、ぼんやり一人で生きていくのだろうと思っていた私のところへ、この春二匹の猫がやって来た。

 

露天で死にかけている子猫たちを、もらってくれと言う人がいたのである。

 

獣の類を愛でる習慣もなければ、面倒見の良い人間でもないのに、なぜだか猫は引き取ろうという決意が生まれたのだから、人はわからない。

 

暴れ回って家の中を荒らすときには憎たらしい猫であるが、来客がある折には随分と怯えて決して人を信じない。物陰に隠れて、じっと気配を消している。そのくせ客が帰るが早いか、私を頼りにすり寄ってくる。気を許すとはこういう事かとまざまざ獣に教わる気分である。

 

動物病院に出向く折には、付き人である私は医者から「お母さん」なる呼称でもって呼びつけられる。

 

猫にしてみれば、私は「飼う人」ではなく、彼らの母であるらしい。

 

実際に猫たちがどう考えているのかは知るよしもないが、彼らを看取るその日までは決して野垂れ死するわけにはいかない、などと自分の柄にもないことを時々は胸に思うあたり、単なる飼育関係と捉えるよりも母子のようなウェットな呼び名こそが相応しいのかもしれない、などと思ったりもする。

 

日々の腑分け、ギリシャ人のスープ

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5月7日。

 

2月頃から首の調子が悪い。

歯磨き時のうがいの姿勢がもう辛く、読書の姿勢をキープするのも次第に困難になってきた。

整体やマッサージ店に足繁く通うも毎度「手に負えないですね」と重症であることを示唆されるのに飽きて、根本治療を決意する。

 

筋肉のこりや緊張、関節の可動における不具合は炎症部分だけをいじってもあまり効果はなく、それを引き起こしている内臓の疲労や精神的な要因にアプローチするのが先決である。

 

それを分かっていながら幾日も近所の肩揉み所でお茶を濁していた理由は単純で、根本治療を任せられるゴッドハンドの治療院(新宿方面)まで赴くのが非常に大義なのである。

 

新宿駅も東西南北の各エリアによって雰囲気が違っているのだが、治療院のある場所はやや大久保よりの北側エリアに乱立するアジアンな雰囲気の雑居ビルの最中だ。

 

おりしも診療当日は土砂降りの雨。

 

大久保方面へと伸びる西新宿の道のりは、映画「ブレードランナー」を彷彿とさせる都会の陰鬱さに満ちている。

 

しかし悪天候だろうが、ロケーションが灰色の未来都市だろうが、予約がなかなかとれないこの治療院に「キャンセル」の文字はない。

 

雨に濡れたスカートの裾を絞りながら診療所にたどりつく。

気を取り直してゴッドハンドに首の不具合の原因を腑分けしてもらう。

 

治療は筋肉の緊張を引き起こしている臓器を順番に整えていく。

 

まるでミルフィーユの層を一枚一枚剥ぐようにして、こりや痛みの原因を引き起こしている臓器の反応をひとつひとつ丁寧に取り除いていく。

それに連動して、徐々に肩や首の可動域が広がり、体もほぐれて楽になってくる。

 

この日は、副腎、胃腸、子宮、と順番に反応が出ている箇所の臓器を微調整。

(微調整といっても、何をどうしているのかはわからない。揉んだり叩いたりもなく、お腹をちょんちょんされているうちに、肩や首が勝手にほぐれていくのが不思議だ)

 

施述の最後に「肝臓の反応が出ていますね」とゴッドハンド。

酒も飲まずに暮らしていたのに、と私が嘆息すると、

「なにかイライラすることがありましたか」

と尋ねられる。

 

肝臓は苛立った感情を司る臓器らしく、イライラが続くと負担がかかるらしい。

思い当たるふしもあり、またすこぶる身体も緩んだので満足して帰宅。

 

精神の波立ちをうけとめる器としての肉体の精密さを思って、

「肝臓、その他もろもろの臓器たち。いつもいつもありがとう」

と唱えながら寝る。

 

5月8日

 

春先に小説を仕上げてから、食生活を見直している。

 

執筆期間中はセブンイレブンで買ってきた「黒糖ロールパン(3個入り)」を朝に昼に牛乳で流し込んで空腹をしのぎ、夜は近所の飯屋で適当なものを食べて寝るという生活。

量も、質も、手間のかけ具合も、すべてにおいてバランスと思想を欠いた食生活のせいで、皮膚も暮らしも荒れ放題。

見直す余地はじゅうぶんすぎる程あった。

 

まずは自炊だ、と思い立ち、炊飯器を駆使してひたすら毎日野菜のスープを作り続けたのが4月。

(キッチンにはガスコンロがないので、加熱系の調理は主に電子レンジと炊飯器頼みである)

 

レンコン、人参、大根といった根菜類もたやすく摂取できるこの炊飯器スープにすっかり味をしめた私は、栄養価においてもさらなる充実をはかろうと思い、輸入食品店をはしごして、めぼしい食品を物色しはじめたのがこの5月。

 

アマランサス、キヌア、チアシード

俗に言う「スーパーフード」はやはり凄いらしい。

 

輸入食品店の品揃えとネットの情報を元に、買い漁ったスーパーフードたちを日々のスープに投入し、ビタミン、ミネラル、食物繊維を存分に摂取することに成功する。

(何かの種だというこれらのスーパーフードたちは食感もぷつぷつで楽しい。

食感フェチの私は、規定量よりもかなり多めに入れてしまうが、まあいいだろう)

 

黒糖ロールパンが野菜スープに置換されただけで顔に血の気が舞い戻り、高栄養価のスーパーフードを摂取しているという気分がまたすこぶる健康に良い気がしている。

 

調理のたびによく使うアマランサスについて、

ギリシャとかローマとか昔の文明が栄えていた地方の言葉っぽい」

と勝手に思っていたのだが、ググってみたところ「アマランサス」の語源はやはりギリシャ語であった。

(アマランサスは、ギリシャ語で「花がしおれることがない」の意味らしい)

 

アマランサス。

ギリシャ語の食べ物。

 

日本の米を炊くための機械でギリシャ風のスープをこしらえながら、洒落た気分に浸る毎日であるが、主菜はたいていロールパンを合わせがちであるのを今後は改めていきたいとぼんやり考えている。

 

(写真はアマランサスと香菜のスープ。アジアとギリシャの融合である)

恩寵の五月、男たちは西に去る。

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5月の連休も特に変わったことなく暮らしていた。

出来事らしい出来事と言えば、男たちが私のもとを去っていった。

そのくらいである。

 

行きつけの店が開かなかったり、家の近くまで人人が押し寄せてきて引かず、駅までの数メートルを移動するにも難儀したりと、この時期ならではの不便が多くあった。

 

吉祥寺に暮らしているせいだ。

 

ここは素晴らしい町だけれど、その素晴らしさは時間帯と人間たちの混雑具合によって安安と転覆されうる、不安定な素晴らしさなのである。

 

ゴールデンウイークなるものが現象として押し寄せて日常生活を圧迫しているにも関わらず、世間並みの開放感と自分とはまったく無縁である。

 

そのことを悔しがって良い気はするものの、暦どおりに一喜一憂するだけが喜びというのも芸がない気がしている。

淡々と暮らしの不便に対処しながら、私はなるたけ平然と過ごそうという意気込みで5月の日々に臨むことにした。

 

天気の良い日は散歩に出かけ、草木を眺めたり、書店でめぼしいものを購ったりして楽しんだ。

人に会うこともなく、人が会いに来ることもなく、それだけでも非常に平穏で静かな5月の始まりである。

 

そう思っていた。

 

5月某日。

 

朝から立て続けに決別の報せが届いた。

近くに住む人から一通。

海の向こうに暮らす人から一通。

 

文面はどちらも似通っていて、もう君の人生の邪魔はしない、力になれなくてすまない、などと一見すると男らしい、エモーショナルで美しげな身引き文がしたためられていたが、要するに金輪際の連絡を断つからそのつもりで、という一方的な通告であり、その内容もさることながら、タイミング的にもいささか面食らうような唐突さであった。

 

 

相手は見知った人であり、けれど既にやりとりが途絶えて久しい人たちであった。

 

さらに言えば、私と彼らとは決別を通告されるほどに込み入った関係でもなくて、ただただお互いの人となりを曖昧に披露するだけの、たまに言葉を交わすくらいの、いわゆる文通相手であった。

 

そんな淡いはずの関係から、思いがけず前のめりな別れのメッセージが矢のように飛んできて、私は驚いた。怯んだ。

 

手切れのやり方は人それぞれ、千差万別であろうが、今回の彼らは黙って去っていくのではなく、わざわざこちらに宣言してくるあたり、何か腹に思うところがあるのか、そういう作法を重んじるタイプなのか。

 

考えながら、しかし一方的に自分が相手に振られたような格好になっていることを思うと、あまり明るい気分は湧いてこない。

自分の何が相手に作用して、関係の清算を決意させたのだろうか。

それ以前に、「別れ」を宣言させるような関係にまで導いたのは単純に相手の誤読なのか、こちらの不手際か。

 

釈然としないままで、どうぞお元気で、と去る人に見送る言葉を返す。

その夜は早めに床についた。

 

翌日、また別の人が手紙をよこす。

名古屋に住む人だ。

 

この春、花見がてら世間話をしていたら、名古屋で一緒に暮らさないかと誘われて、きっぱり断った相手である。

 

私が愚痴をこぼすとそれを慰める形で自分の願望を差し込んでくるその人は、こちらが断っても怯まない様子で、桜がすっかり終わった後も酒や食事の機会を伺ってくる。

 

入り口は友達という格好で誘い出し、酒が回る頃には男女の図式を描いているあたりが鬱陶しく、けれど好意を撥ね付けて気兼ねしないでいられるほど失礼でも乱暴でもない点が長らく悩ましい相手であった。

 

しかし好いた者同士ならともかく、やっと住み着いた念願の武蔵野を遠く離れて自分と一緒に名古屋で暮らせばよいという彼の先の申し出は、あまりに頓珍漢で間抜けに思えて、私はすっかり興が冷めた。

女の私がその日暮らしなのにかこつけて、面倒を見てやってもいい、という口ぶりで同居を提案する男の神経に、いったい何を言い出すのかと腹立ちもした。

 

もちろん男女の仲なれば、そんなやりとりも決して不自然なことではない。

私もそれは承知している。

けれど、相手は淡い飲み友達である。

 

異性とふたりきりで喫茶をすれば、それを逢引だと考える人もいるのかもしれない。

けれど、それを万人の価値観に当てはまることと拡大して勝手に色気づくのは古臭い。

 

そうまではっきり言うことはしなかったものの、名古屋の人にはこちらから絶縁したいと申し出た。

すると、これからも君の生き方を応援している、とメッセージが返ってきた。

 

身を引く時の男たちの言葉は、どうしてこうも遠い目をした文面なのか。

男の性欲とプライドをざっくり「ロマン」でひとまとめにして投げつけられた時に受けるダメージは、鋭い痛みよりタチ悪く、初めから古傷のような痛み方をする。

 

ともあれ、思いつく限りの男たちは去った。

どんな報せがきても、しばらくは微動だにせず落ち着いて開封できる自信すら湧いている。

それを思えばこの5月はまるで恩寵の日々であった。

男たちが今も暮らす西の方角を眺めながら、そんなことを独り思う。

三鷹、世界とバレリーナのための喫茶店。

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中央線の高架工事ですっかり様変わりしてしまった他の駅と違って、三鷹駅はまだかろうじて昔の佇まいを残している。

それが私には救いのように思われる時がある。

 

小学生の頃、バレエのレッスンのために電車を乗り継いで、三鷹駅前の小さな稽古場にひとりで通っていた。

駅を降りてすぐの、線路沿いの雑居ビルにはさまれた建物の中に幼い私のステージがあった。

 

まだ残っているだろうか。

そう思って、大人になって訪れると、バレエの稽古場だと思っていたその場所は日本舞踊を見せる演芸場の会議室であった。

 

当時の練習生だった私たちはレッスンがはじまる前に椅子や机を部屋のすみっこに寄せたり、バーレッスンの際につかまるための壁際の手すりは見つからなくて、自然折りたたんだ机の縁につかまって脚の上げ下げをしていたことなどが思い出されて、そうだったのかと今更ながら合点がいって可笑しかった。

厳しいレッスンをする先生は、いつも幼い乳飲み子を連れて稽古場に自転車で現れた。小さな町のバレエ教室だった。

会議室が畳敷きではなかったのが唯一の救いで、子供だった私は硬いリノリウムの床があるというだけで、そこをバレエを踊るためのステージだと信じて疑わなかった。電車の切符を握りしめ、長く伸ばした髪をお団子頭にひっつめて、大人たちに負けないようにと中央線の車両の扉付近にいつも凛々しく立っていた。

白いタイツと、バレエシューズを稽古バッグに詰めた、痩せぎすの小学一年生。

父はなく、母は不在がちで、ただ踊ることと、夢を見ることだけが慰めであった。

 

幾たびも転居を繰り返し、ふたたび武蔵野に戻ってきた今はあれから30年近く隔たっている。

バレエを踊るための凛々しさは一体何処で失くしたのか、今となってはもう持ち合わせてはいない。

 

冬から借りている今の部屋から財布と文庫本を手提げに入れて、ぽつぽつ歩くとすぐ三鷹駅だ。

最寄り駅ではないのに、その近さを最近になって発見して驚いている。

東京に暮らしていると、自分のいる場所がときどき思いがけないところに繋がって、それが面白い。

 

殺人的な吉祥寺の混雑に比べると三鷹駅前はとても寂しく、それなりに店数はあるものの熱量に乏しくて死にかけた人を訪ねている気分である。

店をのぞけば顔色の悪い店員がレジを打ち、生活に疲れた顔のアルバイトが棚に並べた化粧品の埃を払っている。

品物は色褪せて、建物は何かを諦めて久しい感じがする。

どこか地方都市のような空気をまといながら、それでもその寂しさの中に懐かしさをおぼえるのは、かつて見知った場所だからなのだろうか。

 

人が歩くには巨大すぎるバス通りが駅からまっすぐ北に伸びている。

その通り沿いに小さなカフェを見つけて、私はその隙間のような空間で椅子に座り、本を読む。

静かに過ごすための喫茶店です、という但し書きがあって、店内では声を失くしたように人々は沈黙に身を溶かし、ただ時がすぎるのをじっと味わっている。

 

物静かな店主に淹れてもらった珈琲を冷ましながら、日没によってトーンダウンしていく西の空をブラインド越しに眺めると、今日という1日はもう二度とやって来ないのだという刹那さを思う。悲しくはないのに、涙に似たものが込み上げてくる。

 

グラスに注がれた液体は少しも減ることがなくて、カップの中の珈琲からは温度だけが失われていく。

私は椅子に座るだけで何も減らしていないのに、今日は滅びて、手の届かない場所へと移動していく。

 

人々は気づいているのだろうか。

今日という日が人類にとって最初で最後の1日で、そのただ一度きりの塊が滅びようというこの瞬間は二度とこの地上にやって来ないのだというそのことを。

 

ただ一度きりの上映しかない映画のエンドロールを眺めるように、私は三鷹駅前にある小さな四角い覗き窓から、滅びゆく世界のラストショットをこの眼にじっと焼き付けている。

 

踊らなくなった今の私にできるのは振りほどくことで、古びた皮膚の中にうずまく思考のノイズを脇にどけて、あるがままに世界を観ることは、これからもきっと変わらず出来そうな気がしている。鎧を着せかけられたこの眼差しを、時々裸にして日の光にあてること。それを時々、思い出すことは。

小説という肉体、抱擁のために

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「小説」は現実の世界に足を踏みしめながら楽しむことのできるフィクション、だと思っている人も多い。

 

「小説」は物語で、謎解きで、歴史や世界を教えてくれる情報源。感動の装置。

世間では、広くそのように考えられているように思う。

 

この現実世界を構成する1つの事象、要素、趣味として楽しむ対象物。

野球やサッカー、ラーメンや雪見だいふく

極端に言えば、「小説」はそういうものと同列に位置づけられているような気がする。

(世界を構成する一部であって全部ではない、という点において同列、という意味である)

 

けれど、実際に自分で小説を書いてみて思ったのは、小説はそれを書いている世界を含むもう1つの世界であり、小説こそが「現実」である、ということだ。

 

たとえば、小説を書いていると、その中には遠近が生まれ、時間軸が生まれ、それらを掛け合わせることで運動性が生まれる。

 

動かそうとしなくても、しっかりと作れば、「小説」という構造物は自発的に動き出す。

 

この場合の「自発的に動き出す」というのは、例えばある登場人物を描いたら、作者の意図をはみ出して勝手にセリフや筋書きが出来上がる、というような創作上の「運動性」「自発性」のことを言っているのではない。

(「アイディアが降りてくる」とか「キャラクターが動き出す」とか、創作における紋切り型のセオリーを言葉の表層的な意味でしか授受できなくなっている人は、そういう話をしているわけではないので、注意深く読んで欲しい)

 

そうではなくて、小説が現実を文章で写し取り、デフォルメした模型、というような生易しいものではなくて、そもそも空気中に散漫に溶けている「現実」をしっかりと抱きしめるためには、小説のようなフォーマット(器)が必要で、そこに流し込んで初めて、私たちは「現実」の色合いや質感や重量などを測ることができるし、そもそも「現実は存在するのか」という事実そのものを確かめる方法は小説でしかありえないのではないか、とさえ考えるのである。

 

生きていて、この生きていることを確かめることは不可能だ。

自分の顔を自分で見ることができないのと同じように、生きているということを確かめるには、生きているもう一人の自分を連れてくる必要がある。

手鏡や写真やビデオカメラで、間接的に自分のすがたを確かめて、ああ自分は存在している、ここに生きているのだ、と思い込むことはできる。

同じように、過去の記憶や現在にまつわる情報を寄せ集めて、「生きている」ような気分の中を私たちは生きている。

自分ひとりでは心細くて多くの人と一緒になって、「生きている」ムードを共有することで安堵している。

けれど逆に言えば、それは単なる「気分」であって「生きていることそのもの」ではない。

だから人はときどき、不安になるのだと思う。

自分が生きているという、その根源的な事実を確かめることができないのだから。

その状況は冷静になると、あまりにも恐ろしい。

それに気づけない鈍感な人ほど、心に余裕をもって生き永らえることができるのだろう。

 

では「生きていることそのもの」とは一体どこに存在するのか。

どうやったらそれに触れることができるのか。

そのひとつの答えとして、私は「小説を書くこと」を提案したい。

読む、のではなくて、書くことが重要である。

書くことによって初めて、「自分が生きていること」がわかる。

「小説」の中に生まれた世界が、小説を書いている自分のいる世界を浮かび上がらせてくれる。

生きている自分を見つめるための、もうひとりの生きている自分。

そのもうひとりを小説という肉体に宿すのだ。

 

小説を書くことで、そういうことが可能になる。

生きていることへの感謝が生まれるとか、人生の素晴らしさを実感するとか、そんな表層的で道徳的な効能を謳っているわけではない。

ただ、自分がたしかに生きていること。

その命の手触りを抱きしめることのほかに、人が救われることなんてあるだろうか。

書きながら、そんなことを考えていた。 

 

 

命のための天気予報

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猫は柔らかく、

肩は凝って、

春が折り返す頃なれば、

あちらこちらで花が散る。

 

あまねく全ての人たちと同じように、自分の未来も不透明で、そのこと自体はごくごく自然で詮無いこと。

そのように兆した不安を一度は白紙に戻そうと思いなしてみるのだけれど、激しい春の嵐に見舞われたせいなのか、不透明な未来を明るく照らすのは無理なことと知りながら、せめて行く先を探るため杖の一本も欲しくなるのが人情というもの。

心細さは極まって、杖を求めてハタハタと足掻いた先に、占い稼業の人に行きあたる展開はきっと春という時節ならではのこと。

  

▪️世間なみの指針を手放して暮らすのは気ままで自由だが、油断すると道に迷う。

 

自由でない方が安楽であることは不自由を呪いながら日々の賃金労働に勤しむ諸氏が人生をかけて実証済みであるから改めて言い募る必要もあるまい。

けれど、世間なみの安楽と不自由を天秤にかけて割に合わない我慢だと脱サラをしてみた私の現在というのは果たして自由を呪いながら安楽でもないという、見る人が見れば立つ瀬のない場所でもっての立ち往生である。

前にでも後ろにでも方向はともかく、この場所から動く方が健康によかろうと思う。

生きながら往生し続けるよりは。

動くためには何をも使おう。阿弥陀くじや下駄占いでさえも。

 

▪️どんな占いでも良い、杖になれば。 

 

診察も理髪もマッサージも、技より人が肝心である。 

どんなテクニシャンも素晴らしい道具持ちでも、その人の志が乏しければ宝の持ち腐れというもので、ともすれば杖を求めに行った先で相手のお道具自慢に付き合わされることになりかねない。

金を払うなら気持ちよく慰められたい。

そう思う心は凡庸な人間の証左であろうか。

そんな乙女心を燃やしながら占い屋を物色していると、たまたま何かを頼みたくなるような人物を見つけてアクセス。

四柱推命なる占いを生業とする人と判明。

 

▪️突如はじまる抜き打ち漢字テスト、命のための天気予報。

 

人生で二度目の占い鑑定にいそいそと赴き、占者の青年にお会いする。

(人生初の対面占いは、かの有名な「赤羽の母」による姓名判断であった)

四柱推命という字面を見て、こんなマニアックなものを生業とするのは一体どんな人間だろうと思ったが、青年はごく控えめに言って爽やかな若者であり、羽を生やすとか頭上に雲が渦巻いているなどの奇をてらった感じは見受けられず安堵する。

 

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鑑定場所の喫茶店に着席するや手作りの可愛らしい冊子を手渡される。

そこに自分でメモをとりながら、鑑定が進むというスタイルらしい。

ひさびさに肉筆で文字を書くことになり、鑑定内容よりも己の漢字能力に注意が向きがちな序盤であったが、鑑定が進むうちに口頭での問答が主になり、内容に集中し始める。

四柱推命という占いは、診断結果もその解説もやたらと漢字だ。「丙」「戊」「庚」みたいな、画数少なめで読めない漢字が多用されている。玄人っぽい)

 

占いは端的に言うと「相談」である。

何かしら悩みを抱えた人間がやってきて、占者に相談し、問題解決の糸口になりそうなヒントをもらう、というのが大体の構図である。

ひとしきり腹の探り合いのような時間を経て、気がつけば己の一大事を今日会ったばかりの人に包み隠さず話しているというのは、つまるところそれなりの相談相手に巡り会えたということであり、直接的な解決策や助言や忠告よりも大切なのは、この「わたくしごと」を他者と共有する体験なのではないではないかとふと思う。だとすれば、占いに出かけた私の本懐は果たされて、悩ましき過去も未来も現在も気がつけばグラスの中の氷とともに溶けて見えなくなっている。

 

明日も生きているのだろうか。

直近の未来におけるおのれの命の存続をすら訝しむ私を笑うように、四柱推命は10年20年先のバイオリズムまで予報して、今日という日の私の気分を問答無用で明るく照らすのであった。

 

四柱推命占い mikataさんのサイト

mikataさんの「占い」についての考え方や解説が面白いサイト。

医者にかかるような気分で診てもらいたくなります。

www.mikatablog.com